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意識高い系のセミナーに感じた違和感の正体。

魚座に海王星が入ったあたりから
精神世界に傾倒するムーブメントが走り始めた。

魚座が海王星に入ったと言ってるのは2012年2月5日。
この辺りの時期からコーチングとかスピリチュアルとか
少しずつ流行り始めた時期でないだろうか。

特にコーチングなんて、今ではさまざまな企業で導入されている
自分のやりたいことに向けて加速させる手法である。

当初はアメリカで主流だったものが日本に持ち込まれ、
日本でも成功事例が増えていって
今ではコーチという肩書を名乗る人も出てきた。

こうして世の中が少しずつ目に見えるものから、
「目に見えないもの」を重視する社会になっていった。

そういう切り替えの時期で、だんだんと精神の使い方などの
「目に見えないものの大事さ」が認知されるようになった。

「意識高い系」なんていうのが流行り出したのも、
この時期くらいからじゃないだろうか?

「見えない世界」仕事に従事したい人が増えたこと


コーチングもスピリチュアルも
どちらも見えないものを取り扱う領域。

海王星は奉仕や精神成長の部分も意味することから
従来のような「目に見えるもの」に重きを置かないわけである。

コーチングはコミュニケーションで相手のやりたいことを引き出すし
スピリチュアルは見えない世界の力を借りて
クライアントさんにエネルギーを与える。

そうした素晴らしいセッションの数々で
自分が変わった、そして高い効果を体感した、ということで
コーチングとかスピとか爆発的に
「やりたい」と言い出す人が増えたわけだ。

私もその中の一人で、コーチングもスピリチュアルも
かなり傾倒してお金をかけて勉強してきた。

こうして少しずつ意識の高い人が、
目的意識を持って行動する人が世の中に増えてきた。

少しずつ世の中は変わってるんだなと思ったし、
コーチングみたいなものを取り扱ってる人は心地良いから

こういう人が増えていってほしいな、というのは
会社で責任のなすり合いするような環境を見てきたから
私がとても強く感じてきたことだった。

心地いい空間なのに「拭えない違和感」

今現在、確かにコーチング人口もスピ人口も多いし
学びにくる人間は皆意識が高い。

会社に行くよりもよほど心地の良い空間を創出しているし
そこから離れたくない気持ちでいっぱいである。

しかし一緒に学んだり、一緒にレクリエーションしたりして、
私の中でふと違和感が出てきた。

「なんかキモい人多いな」と。

この「キモい」というのが
正直いって具体的に表現するのが難しい。

「俺は普通の奴らとは違う」
「俺はお前らと違って、本質の情報をなんでも知ってるんだぜ」
「無敵の俺を見せてやるよ」

会話してもそんな感じがバリバリ伝わってくる、

正味、違和感しかなかった。
そういう集まり言っても、ミーティングしても。
「早く終わってくれ」としか思えなくて。

コーチングに至っては、私は学ぶのをやめてしまった。

これを言葉で説明しようがないから
私には違和感の理由が最後までわからなかった。

人が進化成長するのはセミナーに行くからでなく、自ら創意工夫するからだ

違和感の正体を同じように違和感感じる人と話したり、
もしくは自分なりに紐解いてきたのだけど

そういう異質な雰囲気を醸し出す人は
レベルの高いセミナーに行けば行くほど、
あるいはレベルの高いセミナーを難民になっても繰り返し受ければ受けるほど、

自分が進化成長すると思ってる節がある。

いや、確かにそうなんだけどね。
ブラック企業でバカ面した社長の訓示を聞くより、
場末の居酒屋で同僚とグチを投げ合うよか、よっぽどいいんだけど。

それって「誰かがなんとかしてくれる」と思ってないか???

確かに高額セミナーで意識高くなって帰ってくるけど
そこから先の創意工夫がなく
「話をしてもつまらない」
「話をしても終わった後に最後に不快感が残る」。

意識高い大人より地元のマルシェで子供の相手してた方がマシとすら俺は思った。

最近の出来事に関しても、人間関係については
コーチングを学んだ時に感じていた問題点と
あんまり変わらない節があった。

そのことが私に、人間関係を整理させるきっかけになった。

なんで人が進化成長するかっていったら
バカ高いセミナーになっていい気になるからじゃなくて
学んだことを活かして自分で創意工夫していくから進化成長って言うんだ。

終わりに

私が一番進化成長したと感じた人は、
かつて窓際に追いやられていた中年サラリーマンの同僚だった。

彼はイニシエートでもなければ、
別に大成功した起業家でも大富豪でもない。
ただの中年のおっさん、それも仕事ができないと
瀬戸際に追いやられていた立場であった。

場末の居酒屋やラーメン屋で、会社の仕事について
俺と一緒にグチってた時期があった。

そんな窓際族のサラリーマンだった男が、
今では脱サラして自分の夢を見つけて、
完全手作りのお菓子店を開いている。

酒におぼれグチってた中年リーマンが
全く別人になって生まれ変わったのを
彼と長いこと同僚だった俺はずっと見てきた。

そこに俺は人間の可能性を感じている。
本来はポテンシャルを秘めてるのだと。

人間の喜び、美しさというのは「自己実現」にあるのだ。
人間にとっては自己実現を全うすることが
自らの幸せにつながるのだ。

自己表現、それができないからみんな困ってんだろ??

「XXだから〜」とか何がしか理由つけて
人間の可能性を切り捨てるなんて、

俺はあり得ないと思うよ。


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