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とあるフリーランスエンジニアの昔話⑧ 「自分を変えるために、あなたはまず何をやめますか?」

案件や自分が住んでる賃貸の兼ね合いもあり
会社を辞める時期が決まっていた。

そのため長期心理カウンセリングを受けていた当時
私はカウンセラーの先生と

「円満な人間関係にして、会社を辞める」

ということをゴールにしていた。


メンターやスゴイ先生に倣って
「月商7桁」「ブログ月間1000万PV」

これらに惹かれ目指した人間にしては
「円満解決で会社辞める」という
なんだかスケールの小さいゴールではあるが

これまで転職してきた中で
「円満退社」は生まれて一度もやったことがないため
遠大だがやりがいのあるゴールに感じた。

これは、とあるフリーランスエンジニアの昔話。


「やめたいことをやめる」キャンペーン


私はカウンセラーの先生とのセッションで
「やめたいことをやめよう」と勧められた。

「やりたいことをやろう」というのは
自己啓発界隈でなくとも割と世間一般的に言われていることだ。

法律で「職業選択の自由」とかもあるわけだし。

だが「やりたくないこと」というのは
知らず知らずのうちに山積りになっていって
何が「やりたいこと」なのかわからなくなっていく
のだ。

私は先生からそれを聞いて、
目から鱗が落ちるような感覚だった。

「やめたいことをやめまくった後に残るのはなんだろう?」

私はそれを見出したかった。
人生かけて探したかったものは、それなわけだから。

それからというもの、私のサジ加減で
どんどんやめたいことをやめていった。

人から言われて買ったものを売る、
人から言われてやったビジネスをやめる、
人に勧められてやったサービスをやめる、

それらをことごとく実践していった。

会社の前にやめるべきことが
いくつもあったことに気付かされる。

少しずつ「やめたいことをやめる」中で
私にとって革新的な変化が起こっていった。

会社での変化

それまで私は会社に行くのが気が進まなかった。
朝起きた瞬間に体調がすぐれず
そのまま休んだこともままあった。

通勤途中で倒れそうになって、
途中駅で降りて会社を休んだこともあった。

これから暗い処刑場に行くという気持ちばかりで毎日遅刻の常習犯だった。

行きと帰りの満員電車だけで憂鬱だったが
会社で仕事がうまくいかないもので
鬱屈感がさらに余計に上乗せされていた。

それほどまで行くにも足が重たかった職場が
いつしか懐かしさを覚えるようになった。

先進的な起業のはずだが
旧世代の機械を当たり前のように使ってたり
やたらと床が軋む状況に対して

「そういえば昔、東京に住んでいた
おじいちゃん、おばあちゃんの家がこんな感じだったな」

「おじいちゃんの家にこういう昭和の機械あったよな…」
あ、ここ(会社)は自分の『過去』が投影された場所だから、当然か」

会社に対して思う気持ちとして奇妙なものだと思うが
そうした懐かしさを覚えるようになっていた。

また、それまで孤独で誰にも相談できないと思っていたが
私がとっつきやすい性格のメンバーがアサインされる出来事もあった。

これまで「自分には誰もいない」と思っていたところが
仕事の相談をしたり愚痴を言い合えるメンバーが増えてうれしかった。

仕事が繁忙な現場で、他愛のない話もできるんだと、
ささやかな幸せを見出すことができた。

会社を辞めていく起業仲間たちと、会社に残る自分

その年は、多くの起業塾同期生が
自分の所属している会社を辞めていく年でもあった。

彼らはSNSで会社を辞め、
起業家として新たな人生を歩むと報告していた。

彼らのメンターが辞めても大丈夫って
「GOサイン」を出したから
躊躇なくやめられたのだろう。

私もその流れに乗っかりたかったが、結果として会社に残った。

私は一足先に「高み」に向かわんとする
勇ましい彼らに羨ましさを感じていた。

いや、会社脱出ゲームで先抜けした
要領の良い彼らに羨ましさを感じていた。

彼らは自分がやりたいことのために「やめたいことをやめた」。

私は「やりたいことを探す」ために「やめたいことをやめる」。

その「やめたいことをやめる」ために
会社に残って生活費を確保しつつ
やめたいことを一つ一つ見極める作業に入った。

ある意味対比のような構図がそこにあった。

対比の構図を感じた時点で、私と彼らとの間に
「決して埋められない溝」も

薄々感じていたー。

ー自分を変えるために、あなたはまず何をやめますか?ー

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