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会社員の覇気がない理由と、ブロイラーと社畜との違い。

某所で、最近の日本人の正社員は覇気がないという話をしていた。
「その日暮らしができればいいや」という発想で、目が死んでいる人間が多いと。
要するに、「社会人になって、一人前になってこうありたい」
という大志を描く人間が少ないのだろう。

それはかつての私にも同じことが言えた。

先行き見えない会社での仕事


私たちはどこかの会社に入って学んだことを活かすように、学校で教わる。
それ以上の存在になるように、とは教わらない。

で、学校を卒業したら一般企業であれ、公務員であれ就職する。
いざ就職してみてキャリアを重ねてみるが、
目標らしい目標が見えてこない。

20代30代のうちは一生懸命与えられた仕事をすれば良いかもしれないが
だんだん目標設定のようなことを提示されるようになる。

自分の上司のようなマネージャーとしてキャリアを積みたいのか?
それとも今の仕事の延長線上で技術職としてずっとやっていくのか?

どこかで会社でのキャリアについて考えさせられる時がやってくる。

考えてみるのだけども、マネージャーとしても専門職としても、どっちもピンとこない。
今の自分の上司と同じように責任だけは強くなって人をマネージメントするのも、
あるいは思考停止で今のままの仕事をするにしても。

考えれば考えるほど、先の見通しが暗いものになる。
それが会社に勤める20代30代世代の葛藤でないだろうか。

ブロイラー


思考停止で同じことだけをやり続ける、特に大志を抱く訳でもない。
これって何かに似ている。

私たちがそこら辺のスーパーで買うブロイラーに似ている。

ただただ私たちに喰われるだけの運命で量産されるブロイラーたち。
私たちは学校という鶏小屋に飼い慣らされ、社畜としての学びを受け、
ただただ入った会社の業務を回すため、
会社の歯車として生きていくことを良しとするために
毎日同じルーティンに囚われる。

その日暮らし、というのであればブロイラーと変わらないでないか。
平日の会社員については、毎日同じことの繰り返しで
本当にやっていることはブロイラーと大きく変わらない。

住んでいるアパートもブロイラーの鶏小屋と対して変わりない。

食肉のためとしての一生のルーティンに囚われ
加工されるまでにひたすら餌を与えられ飼育され続けるブロイラーと、
プロ意識を持っているつもりでいながら
社畜で終わっている会社と家を行ったり来たりしてるだけの我々に、どんな違いがある?

次第に目が死んでいく若者たち


会社に入ると与えられた仕事で「最適化」されてしまうので、
大志を抱きようがなくなる。

次第に目がブロイラーのように死んでいく。
楽しみといえば土日祝日に酒を飲んで旅行する、
あるいは空き時間にゲームをすることくらいで
それ以外の時間は社畜としての時間をまっとうする。

私がかつて知人と話しした中で、会社員の世界では
「大谷翔平」のような存在がいないという話をしたことがあった。

例えばIT業界だとビル・ゲイツとかマーク・ザッカーバーグとか
偉人としてわかりやすい存在はいるのだろうけど
そう言ったITの世界の革命児のような存在になりたい、

という若者を私は見たことがない。

バブル世代だったらそういう人間がいただろうか。
世代が違うからといえばそうなのか??

まぁ別に私も、学校の教育でビル・ゲイツとかマーク・ザッカーバーグ、孫正義、
そういった偉人を目指せと教わった覚えもないしな。

学校教育のどこかの過程で「自分はああはなれない」というところに落ち着いてしまう。

そして、私たちは都心の満員電車に詰められる生活を余儀なくされ
まるでブロイラーのようになってしまう。

終わりに

どこか人生を諦めてしまう人が多い中で、
偉業を達成してしまう偉人も中にいる。
そういった人たちは
「他者がおかしいと思うことを、なりふり構わずやっている」人たち。

人はいつから「自分には無理だ」と思うようになったのだろうか。

会社の歯車で終わっていいというのであれば
目先の人生にばかりを目に向ける
ブロイラーと何ら変わらない。

「自分はブロイラーでない」というなら、
人としてのプライドを見せてほしい。


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