創世記12章1〜3節 契約を守ってくださる神②「地に足をつけた信仰者アブラハム」 2022.8.14 守谷キリスト教会礼拝メッセージ

「御国を来らせたまえ」と私たちは祈ります。

神はご自分の国を、
お一人で造るのではありません。

神の国を建て上げる協力者として、
私たち人間を造られました。

罪に堕落してしまった私たちを、
神は見捨てませんでした。

神は人類の代表者として

アブラハムと
その子孫であるイスラエル民族と

契約を結び、共に歩まれました。


アブラハムは、
①行き先を知らないで(ヘブ11:10)、
②父の家を離れて(創12:1)、旅立ちました。

このアブラハムの姿勢が、
私たちの信仰のルーツでもあります。

神を信じた旅路の中にあっても、
アブラハムは常に地に足のついた歩みをしていました。

他の神々を信仰していた父テラに
誠実を尽くしつつ、
神に応える時を待ちました(使徒7:3-4)。

また、
族長として一族と財産を守ることにも、
責任を果たし続けました(創13-14章)。


一方で、
アブラハムは失敗もしました。

今日の箇所の直後、
彼は「示す地」に到着したにも関わらず、
そこに留まることをしませんでした。

移動した場所で飢饉に見舞われ、
避難したエジプトでは
妻を妹と偽って
王宮に渡してしまいます。


置かれている場所で
与えられた責任に誠実に生き抜くために、
ある種のしたたかさを必要とされることがあります。


そこには
神を悲しませる決断も混在していることもあります。


一筋縄ではいかなかったのが
アブラハムの信仰生活であり、
私たちの歩みでもあります。

このアブラハムを待っていてくださった神に、
私たちは目を上げましょう。


神は幾度となく
アブラハムに約束を語り続け、
アブラハムは希望を持って約束された祝福を待ち望みました。


今日、
異邦人である私たちは、
このアブラハムと同じ神を信じ礼拝し、
同じ祝福を受け継いでいます。


私たちは
神が結ばれたアブラハム契約が
成就していることの証しなのです(ガラ3:14)。


「神の賜物と召命は、取り消されることがない(ローマ11:29)」とは、

アブラハムと
その子孫であるユダヤ人について
語られている言葉です。

ユダヤ人は、
イエス・キリストを十字架につけた民であると同時に、
約束の民でもあります。


先の者が後の者になりましたが、
後になった者のこともまた、
神は待っていてくださいます。


他者への祝福とするために、
神は今日も、
一筋縄でいかない現実を生きるわたしたちを
待っていてくださるのです。

本日の説教を振り返るために

① 生活や仕事の中で、ある種のしたたかさが必要とされる場面はありますか?

② あなたがクリスチャンであることは、誰にとっての祝福になっているでしょうか?


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