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眠れない夜に語る新たに挑戦した『文学賞』への道のり

私は今、真っ暗なリビングに寝転がり、窓の外で吹いている風の音を聞いています。あまりにも外が騒がしく寝付けないので、諦めて布団から出てきてました。

ガタガタと窓が揺れる音がして、風の吹く音も強まっている。どうやら台風が近づいているようです。

こういう時に思いふけるのは「さて、明日はどんな日が待っているかな」だとか、ドキドキワクワクする明るい内容ではありません。自分のこれまでの人生だとか、今後の人生だとか、そういったヘビーなことが大半です。

あまり自分の近況を語るのは如何なものかと思いますが、何だか熱い想いを語りたくなってきました。

今回は「最近のこと徒然 新たな挑戦をしたり、減量の方針を変えたり、近々する美容整形の話」のnoteでもお話しした、新たな挑戦についてまとめることにします。

私が挑んでいるのは「文章」で挑戦するビックイベントです。

引用:最近のこと徒然 新たな挑戦をしたり、減量の方針を変えたり、近々する美容整形の話

ビックイベント。実はこれ文学賞のことでした。

<目次>
1.文学賞の締め切り間近に恐怖のアクシデント発生!
2.小説のタブーと言われている「夢オチ」で書き上げた私
3.もし受賞者に選ばれたらやりたいこと

文学賞の締め切り間近に恐怖のアクシデント発生!

2018年9月29日

私はある作品のデータをメールに添付して送りました。

それは住んでいる市で開催している『文学賞』に応募するための小説です。締め切りは9/30(日)。ギリギリの提出となってしまいました。

締め切り間近の提出になってしまったのには、私が小説を書き始めるのが遅かった、何度も読み返して最後の最後まで校正をしていたのも理由に含まれます。

しかしそれだけではなく"盛大なミス"をやらかしてしまったのです...!

小説のタブーと言われている「夢オチ」で書き上げた私

私はもともと、文学賞に提出する作品を"夢オチ"で書き上げていました。夢オチを簡単に説明すると、「全部夢でした!」で終わる物語のことを指します。

多分皆さんはここで、

「ミステリアスでいいじゃん!」
「それもアリだよ!」
「夢オチで終わる作品もあるよね?」

と、前向きに捉えるかもしれません。実際に夢を題材にした作品も世の中にあります。

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■ふしぎの国アリス
→アリスが見ていた夢の話

■銀河鉄道の夜(著:宮沢賢治)
→銀河鉄道で旅をして色々なことがあるけど全部夢だった

■東京大学物語 (漫画)
→主人公の夢と妄想が混じった話

※物語の内容はかなり要約しています

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しかし、結末が気になって読み進めた読者を裏切る行為になるので、小説では"夢オチ"はタブーとされています。

それに、夢オチってすごく便利なんです。破茶滅茶なストーリーを作っても「すべて夢でした!」となれば、強制的に締めくくることができるから。裏を返せば、誰だって作品を書けてしまう...とも捉えられます。結果として夢オチ小説を別の話に書き上げたのですが、そこで気がついたのは、夢オチはあまり悩まずに小説が書けるんだなってこと。

あまり悩まずに書ける小説なんて、文学としては如何なものかと思いますし、物語としては未完成です。ましてや、1番やってはいけない構成のもと小説を書き上げ、神聖なる文学賞に提出する気まんまんだったのです。

なぜミスに気がついたのかというと、元新聞記者で過去に文学賞受賞を目指したことのある夫に校正をお願いしたのが、事の経緯。

:「どうどう? 面白い?(ドヤ顔でできた小説を見せる)」
:「うーーーーん、ひとつ言っていい? 夢オチって小説で1番やってはいけないことなのよね...」
:「まじですかwwもっと早く言ってよ(爆笑)」

情けなさ。夢オチがタブーであることを知らなかった自分。ミスに気がついたのが締め切り3日前であったこと。様々なことが入り混じり、不思議と爆笑してしまいました。そしてミス発覚後、2日で別の物語を書き上げ、締め切り前日に提出しました。

何というか、2日で書き上げるなんて、小説に関わる時間が短すぎる。本当に勿体無いことをしました。早く書き始め、早く間違いに気がつき、もっと長い時間をかけて書いていたら、もっといい作品ができたのかもしれないのにと思うと、無知であった自分を殴りたい...

もし受賞者に選ばれたらやりたいこと

文学賞受賞者には、賞金が渡されるそうです。もし、もしも私が受賞できたら「親族みんなで外食をしたい」と考えています。ちょっといいフレンチレストラン、シュラスコ、和食、みんなが喜べば何でもいいんですけど、美味しいご飯やお酒を楽しんでもらいたいですね。

また、受賞者に選ばれたら「文章を書くということを社会的に認めてもらえるのでは?」という期待もあります。期待してしまうのは、自分の仕事や自分の文章に自信がない裏返しなのかもしれません。

私はフリーランスです。親族のほとんどはサラリーマンが多いので「仕事=企業に勤めること」が常識的。フリーランスの理解はない人たちが多いので、私は親族の中で「少し道から外れた人」、もしくは「よく分からない仕事をしている人」と、認識されていると思っています。

なので、文学賞に受賞できた暁には、私が仕事にしている『文章を書くこと』が社会的に認められ、親族にも認められるのではないだろうか、と。

様々な思いの中で気がかりなのは、育ての母である祖母89歳に嬉しい報告ができるのは、今しかない。そんな焦りです。私は幼い頃から父子家庭で、父の実家に預けられ、祖母は私を3歳〜9歳まで育ててくれました。祖母であるけれども、母でもある。祖母は私にとってかけがえのない人です。また、祖母の息子である私の父は10年前に亡くなり、親孝行をする人が減った今。私が何かしてあげたいけれど、何1ついい報告ができていないもどかしさ。

もう祖母は89歳。来年90歳になります。年齢という現実を考えると、長い時間は残ってないかもしれない(まだまだ元気ですが笑)

だから文学賞に...受賞...したい...おばあちゃんを喜ばせたい...

なんて思うわけです。90歳になる人にライター、ブロガーなんて言っても理解してもらえないけど『文学賞』なら分かってもらえるかな。

しかしながら、文章を書くのって楽しいですよ。もし今回の挑戦がダメでも、今後もめげずに文章で自己表現していきたいと思います。


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