退任をイメージして、起業することの大切さ
社会教育は親子三代で完成する、だから100年かかる
私は2004年にコモンビートというNPO法人を設立しました。
コモンビートは、ミュージカルを創るというプログラムを通じて、社会人教育を行い、多様な価値観を認め合える社会を作ろうという活動です。
このコモンビートは、100年つづくような団体でありたいと考えていました。
同じことを100年続けるのではありませんが、教育というのは一瞬で変えられる魔法を持っていません。
また、社会や私たちの成長とともに歩んでいく必要があり、教育は親子三代で完成するというイメージを持っています。
だから、
1世紀=100年
というイメージで始めました。
その時代のテーマに、しっかり取り組んで、コモンビートもまた変化をし続けて行く必要があります。
10年で辞めることを決めて、起業をした
では、100年続けるためにどうしたらいいか?
私が考えたことは、
10年で辞める
ということです。
退く時期を決めて起業した
ということです。
よくそんな質問をいただきます。
当時、私が関わっていたいろいろなNPOやNGOは、みなさんが高齢でした。
起業後にインタビューを受けた時も、
と言われて笑っていたのを思い出します。
カンタンにいえば、法人を長く続けたいなら、一番エネルギーをかけられる状態をキープし続けることだと思うからです。
人は不死身じゃない。
ライフステージも変わる。
だから、
必ず辞める時がくるのです。
予定どおり、2004年創業のコモンビートは、2014年1月から代表者の交代をすることができました。
後継者問題がなぜ起こるのか
どう考えても、私が100年後まで代表をすることはできません。
確実に辞めないといけないわけです。
多くの経営者が、
といいます。
でもそのほとんどが、辞められていません。
だから、後継者不足が問題になっているのです。
というのは、辞めるつもりがないのです。
条件付きで辞めるわけです。
ということですよね。
そんな、うまくはいきません。
だから、産業や伝統がなくなってしまっているのではないでしょうか。
ユニクロやソフトバンク、日本電産なども、後継者がいないといっています。
仕方が無いですよね、ずっとやり続けるつもりで始めていますから。
全ては、始めるときが肝心だと思っています。
どんな辞める時が来るのか
起業家や代表が、その職を辞めなければならないタイミングというのはいろいろ来ることでしょう。
ざっくりとこんなところです。
この中で、4〜7はビジネス上の都合での退任なので、
ということです。
一方、1〜3は、本人の意志の問題で続けられないということです。
もちろん代わったほうが良いと第三者が判断していても、代われない理由がたくさんあります。
などでしょうか。
4〜7は、本人がどうであっても、外からの力によって変えざるをえません。
起業家や経営者は、理由がどうであれ、この1〜7が起こりうるということを想定しながら経営をしなければなりません。
私のように10年といっても、突然やってくるハプニングは容易に考えられます。
一番の問題は、交代を想定していないということです。
著名な起業家や経営者は、ビジネス上の業績や功績は評価されますが、世代交代ができない状況にあるということを含めると、企業の継続性の前提(ゴーイングコンサーン)を疑う必要があります。
長く居続けると、交代が難しくなる
長く居続ければ続けるほど、交代することが難しくなります。
スタートしたころは関係がフラットであったとしても、後から入って来た人にとっては、創業者であり上司であり先輩であるので、遠い人です。
いくら自分から距離が近いと勘違いしても、それはやっぱり、無理なのです。
人数が増えれば増えるほど、それは顕著になります。
一番良いのは、時間を区切って、早めに交代をすること。
べつに代表でなくとも、創業者であれば、その組織でやりたいことはできるはずです。
だから早く、代表は退くのが良いのです。
早めに、重要な役割から、外れる
退任はできないにしても、早めに重要な役割から外れることで、人が育てられる時間が持てます。
私は、現理事長の安達亮と、7年くらいかけて業務を引き継いできました。
とにかく、毎週1回、ランチをたべる。
業務についての相談もありますが、事務局長としてほとんどの業務を当初から任せていました。
任せるので、そのぶんだけのハプニングはありますが、それなりに想定済です。
挽回できるプチ失敗は、できるだけ多くやってもらったほうがいいのです。
ミュージカルの運営といっても、もちろん法人経営として法務局や税務署、社会保険や雇用といったテーマもあれば、著作権や契約書といった難しいものまでたくさんあります。
僕が突然居なくなってしまうことだってあります。
私はどんな時でも必ず、起業家のように人材育成をしています。
初めて取り組むことに対して、自分なりの感覚を大切にし、それに基づく仮説設定をして、ゴールを決めて自分でやっていく、というものです。
そうやって自分の重要任務を任せていくことで、最初は少しやりとりは増えていきますが、徐々に自分の役割が減っていきます。
そのうち、「ちょっと誰も動けないので、レンタカー屋さんからトラックを持ってきてもらえますか?」という依頼がくるようになれば、それはもう大成功なのです。
同じレイヤーに、人をたくさん置く
チームで考えるとは、どういうことでしょうか。
チームにはリーダーがいて、統率されているイメージでしょうか。
正直、ピラミッド的なやりかたは昭和でもう終わっています。
リーダーも代表も、創業者もベテランも、ひとつの役割にすぎません。
創業者や起業家は、役割ではありません。
その人がこのチームで何ができるのか?という役割以外に、存在の意味はありません。
創業者や代表は、どうしても、その振る舞いをしてしまいがちです。
周りからそう持ち上げられますし、いつでもそういった肩書きをぶら下げて歩いているからです。
でも、それは外部に向けた役割であって、中のチームにおいては害でしかありません。
重要な役割をみんなで担うために、同じレイヤーにたくさんの人を並べていきます。
すると自分は、そのメンバーのひとりに過ぎないということになります。
変な忖度がなくなりますし、代表という気遣いもなくなります。
特に、自分より10歳若い人に任せるようにしています。
どうしても人の上にいると、気持ちよくなって勘違いされます。
下に降りるという表現をする人もいますが、それはそもそも上に居るという意識があっての発言です。
それを言うなら、全員が上に上がって、同じように責任などを共有するという表現のほうが、みんな気持ち良くできるのではないでしょうか。
予定どおりの交代プランを、予定どおり実現する終活
予定どおりの交代とは、時間を区切って、人を育て、自分の役割を無くしていく。
いわゆる、終活ですね。
これを進めていくと、だんだん、自分の役割がなくなっていきますから、ちょっとづつ寂しくなります。
自分がこの組織にとって必要とされているのか?と不安になります。
これは、自己有用感が低下しているのですが、その分だけ他の人が自己有用感を感じているのですから、予定通りです。
徐々にできることが少なくなります。
もう、団体にとっては、必要のない人間になっていきます。
最後は、イザという時のためのお守りみたいなものになります。
そうなってくると、当然ながら報酬を頂くこともおかしい(私は当初からもらっていませんが)ですし、肩書きをつけていることも不自然に思えてきます。
その分だけ、誰かの報酬が渡され、肩書きを譲ることができるのです。
自分が居座ることによって、誰かのチャンスを奪うことになるのです。
無事退任をすると、実際には自分にも新しいチャンスが舞い込んできます。
何かを手放さないと、何も入ってこないのです。
そして、新しい代表はまた、自分がそうしたように、
最初から退任をイメージして、第二創業をしていきます。
100年ですから、10年毎に10人の連携プレーが始まります。
創業者がしなくてはならないことは、良き習慣を未来に残すこと
みなさんの起業、組織の世代交代で、想いを込めたビジネスが、未来まで続いていきますように。