障がいを持って、働き続けること
私が未来のためにできること、それは「障害を持って、働き続けること」
それは一体どういうことを意味するのか。以下で説明したい。
私は障がい者だ。日常生活に少なからず制限がある。周りの人の支えも欲しい。だけど、私は世の中のため、家族のために一生懸命働きたい。健常者と同じように、いやそれ以上に社会に貢献できる人間になりたい。
役に立つ仕事ができれば、自分だけではなく、他の障がい者の方の希望になるのではないか、、、
現代社会には障がいに対して、いまだ偏見が残っている。例えば、障がい者は仕事ができない、役に立たないなど。
はたして、本当にそれは正しいのか。いや正しくないだろう。
だが、大学生で障害者になった私は、無意識のうちに、その偏見を持っていたと思う。
だから、障がい者になった当時は、その現実に受け入れられず、自分は役に立たない、生きている意味はあるのか、など様々な感情が溢れ出していた。すなわち、自分の人生を諦めてしまったのだ。
しかし、「障がいを負ったので、人生を諦めました」なんて言い訳をする人生こそが、「本当に意味のないこと」だと気づいたのだ。
それ以来、大学生活の中で、できることに必死に取り組んだ。苦手だった英語も得意になり、TOEIC800点取得できた。簿記の資格も身につけ、財務諸表の読み方も理解できた。障がい者でもできることはたくさんあるのだ。
そして、他の障がい者と接する中で、障がい者への偏見は消えていた。そこで気づいたことがある。
それは、障がい者として私自身が働き続けることを通じて、社会や顧客の役に立つ回数、貢献する回数が増えるほど、障がい者への偏見がなくなるのではないかということだ。
障がい者と接する機会が増えたことで、偏見がなくなった私自身のように、偏見を持っている人々も障がい者と接して、障がい者への偏見がなくなるかもしれない。私が働き続け、社会に貢献することを通じて、その接する機会を提供できるならば、障がい者への偏見がなくなる。
逆に言うと、身近に接する人の中に、障がい者がいないから偏見もなくならない。そうならば、自分が障がい者の立場で、社会や顧客に接して、役に立つことをやり続ければいい。そうすることで、障がい者との接点が増えるだろう。
したがって、私が未来のために、強いては未来の障がい者のために、働き続け、社会の役に立つこと。これが私にできることだ。
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