生きる悲しみを思う〜やまゆり園事件から7年〜
今日、7月26日は7年前にやまゆり園事件が起きた日だ。
犯人は、障害者とのコミュニケーションが取れなくて、彼らに生きている価値がないと判断したと聞く。
私は子どもを3人産んで、うち2人が生まれつきの心臓病だった。
先天性心疾患では遺伝子に障害があり、脳を含めた多臓器へ影響が生じ、重度障害を持つ子もいる。格好つけずに言おう、その子たちとのコミュニケーションは確かに容易ではないぞ。私は何度も迷路にまよいこんだ。究極的には、その子を産んだお母さん以外は通じ合えないのではないか、と思うこともある。
では、言葉が通じず、思いが通じなかったら、相手を否定していいのか?
否。
この社会では、同じ言語を話していても、通じ合えないことがいくらでもある。
体に障害がなくても、健常者と言われる人でも、勝手に妄想して、誤解をして、一方的に人を傷つける人は、あの犯人以外にも、存在している。
そんな人に伝えられるなら、伝えてみたい。
生きる悲しみは、誰もが経験しているのだ、と。
自分の悲しみを理由に他者を傷つけるのはやめてほしい、と。
心の傷が大きすぎて動けなかったら、うずくまって歩けるようになるまでじっとしていればいい。
そんな時でも、時間は自ずと前へ流れる。
黙っていても、あなたの乗る舟は川を下っている。
そして、その舟は決して沈むことはない、だから安心していてほしい。
やまゆり園でご家族を亡くされた方々の悲しみに、わずかでも慰めがあることを、あらためて祈っている。
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