いつかはちゃんと、終われるから。
豆塚エリさんの『しにたい気持ちが消えるまで』を読みました。
豆塚エリさんとは、去年の秋ごろからお付きあいがありますので、以下、親しみを込めて「エリさん」と呼ばせていただきます。
自殺未遂と後遺症による身体障害
エリさんは16歳のときに、飛び降り自殺を図りました。その自殺は未遂に終わり、後遺症によって身体障害者となり、現在は車椅子での生活をされています。
この本は、そんなエリさんのこれまでを綴るエッセイなのですが、そのあいまには、エリさんの書かれた詩も何篇か載っています。
複雑な家庭環境の中で育ち、過酷な日々を耐え、自殺未遂、そして後遺症により身体障害者となる……。
これだけを聞いたら「なんと悲惨な人生なのだろう……」と思う方もいらっしゃるでしょう。
けれどエリさんは、決して自己憐憫に浸ることなく、冷静に、そしてときにはユーモアも交えながら、自身の過去を綴っています。
一種の爽やかさすら感じる文章に、とても引き込まれて、一気に読み終えてしまいました。
Kindle 版もあります。
わたしも過去に自殺を図ったことがあり、そして未遂に終わりました。後遺症が残らなかったことは、ほんとうに幸いだったと思います。
詩歌などの創作活動を行なっていること、自殺未遂の経験があること、それらの共通点によって、以前からわたしは、エリさんに対して親近感を抱いていました。
さらに、高校生のときに文芸部に所属していたこと、高校を退学したことも、エリさんとわたしとの共通点で、この本を読んでから、エリさんに抱いていた親近感はいっそう強くなりました。
文学フリマでの出逢い
わたしがエリさんと出逢ったのは、去年の文学フリマ福岡のときでした。
そのときわたしは、出店者ではなく来場者として文学フリマに行ったのですが、ふとエリさんのブースが目にとまりました。
細長い歌集や、正方形の詩集。それらがとても素敵で、ブースの前に立ち止まり、歌集や詩集を手に取って見ていたら、エリさんが気さくに話しかけてくださいました。
そしてそのときに、「今度、本を出すんです」って言われたんです。わたしは思わず「商業出版ですか?」って訊いてしまいました。というのも、わたし自身が商業出版というものにすごく憧れていたからなのですが(というか、今もすごく憧れています)。
すると、「そうなんです、これです」と言って、そのときにはまだ出版予定だった『しにたい気持ちが消えるまで』のチラシをくださったんです。
その場では言い出せなかったのですが、わたしにも自殺未遂の経験があったこと、また、わたし自身が詩を書いたり短歌を詠んだりすることから、エリさんにとても親近感を抱きました。
なによりエリさんの作品がとても素敵で、とても憧れの方にもなりました。
ちなみに以下が、その文学フリマ福岡から帰ったあとのわたしの呟きです。
そのあと、わたしは Twitter 上でエリさんにリプライを送りました。けっこう勇気を出して、自分にも自殺未遂の経験があることを告げました。
そしたらお返事をいただけまして、「そうだったのですね。お互い生きててよかった」と言ってくださったのです。
それからずっとずっと、この本が出版されるのを心待ちにしていました。
ほんとうに、読んでよかった。エリさんに出逢えてよかった。
文学フリマ自体、行ったのはあのときが初めてだったので、おっかなびっくりでしたし、会場でもずっと、出店者でもないのにめちゃくちゃ緊張しっぱなしでしたが、行ってよかった。
そしてエリさんが生きていて、さらにわたしも生きていて、よかった……。
「生きていてよかった」とたまにでも思えるのなら
人生は、なかなかにツラいものです。
嫌なことなんてわんさかあるし、自分にはどうしようもないことだっていくらでもあるし、死んでしまいたくなる日ばかり……。
というより、むしろ毎日のように「死にたいなあ」って思うし、かつては自殺を図ったりもしましたし。
正直なところ、わたしは今も毎分毎秒毎瞬、「死にたい……」と「死にたくない!」を光速で行ったり来たりしています。
そして「いやでも自殺だけはしないぞ」と何度も何度も、自分に言い聞かせるかのように、胸のうちで叫んでいます。
それでも「生きていてよかった」と思えることは、たまにかもしれないけれど、ありました。
そしてこれからも、たまにでもそう思えるときが訪れてくれると願っているし、それにきっと訪れるはずだと信じてもいます。
あなたのツラさは紛れもなくあなたのもの
この本を読んで、今まさに「死にたい」と思っている人が、救われるかどうか、それはわたしにはわかりません。
「私はもっともっとツラい人生を送っています」と言いたくなる人だって、いるでしょう。あるいは「私なんて、この方に比べたら遥かに恵まれているのに、なのに……」と自己嫌悪に陥ってしまう人だって、いるでしょう。
でも。
あなたのツラさは、あなただけのもの。あの人のツラさは、あの人だけのもの。わたしのツラさは、わたしだけのもの。
ツラさも、幸・不幸も、恵まれているとかいないとかも、比べるものではありません。比べる必要なんてない……、というよりも、そもそも比べようなんてないのです。
働きすぎて過労死する人がいる一方で、職にありつけず路頭に迷って餓死する人がいる。
遠くの国では戦争でたくさんの人が殺されていて、この国ではたくさんの人が自殺している。
ツラいものはツラいんだから、思いっきりツラがればいいのです。
(もちろん、可能であれば、周囲の人にでも、医者にでも、はたまた見知らぬ誰かにでも、助けを求めてほしいとは思いますが……)
そして、もしも「幸せだなあ」って思えたときは、それを「申し訳ない」なんて思う必要はないのです。
エリさんはこの本の中で、こんなふうに言っています。
そう、大丈夫です。いつかはちゃんと、終われるから。
わたしが以前つくった曲の中には、「僕もいつかはちゃんと終われるんだろうか」というフレーズが出てきますが、まあきっと、終われますから。
どうあがいても体は生きようとする
エリさんも本の中で書いていますが、心がどんなに死にたがっていても、体は生きたがります。
自殺・餓死・病死・事故死・老衰死・殺害される……、といったことがない限り、人は生きます。生きちゃいます。
どんなに死にたいと願っても、呼吸を、自分の意志の力だけで止めることは、不可能です。
頑張って息を止めたって、そのうち苦しくなって、息を吸っちゃいますし、吐いちゃいます。
心臓を止めたいと思ったって、その思いだけで自分の心臓を止めることはできません。
だから、生きましょうよ。
わたしは、生きますよ。死ぬまでは、生きます。
いつか終わるその日まで生きたいし生きてほしい
自殺した人たちを悪く言うことなんて、わたしにはできないし、したくもない。
それでも数人の知人が自殺したときは、とても悲しかった、やりきれなかった。「よかったね、ラクになれたんだね」とは、どうしても思えないのです。
もしかしたら自殺をしなくてもなんとか生きていける方法があったのではないだろうか……、そんなふうに、どうしても思ってしまうのです。
「わたしに何かできることがあったんじゃないだろうか」なんて、それは傲慢かもしれないけれど。
それでも。
今、生きている人たちには、「どうか自殺はしてほしくない」と願ってしまいます。
ありがとう
ここまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。
もしも『しにたい気持ちが消えるまで』をまだ読んでいない方は、ぜひぜひ、お手に取ってみてください。
そして、豆塚エリさん、わたしと出逢ってくれて、ありがとう。この本を生み出してくれて、ありがとう。
死にたいと願ってしまうあなたのその苦しみが、少しでも癒えることを、願っています。
豆塚エリさんの Twitter
→ @mamen325
しにたい気持ちが消えるまで Twitter 公式アカウント
→ @kierumade_book
2022.10.30 公開
2022.10.30 誤字訂正
この記事が参加している募集
サポートしていただけると、とってもうれしいです、……が、余裕のない方は無理してはいけませんよ! ちなみにサポート代は生活費・画材・文芸創作にまつわる道具などに使わせていただきます……!