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セイシュンの痛み

 私は男性にもてなかった。それにおいて、私にかなう人はいないぞ。
とほほのほ( ;∀;)

 な~んでか。オバサンになってその訳を考えることもなくなっていたのだが、過去を洗い出しているうちに、自己分析した結果が固まったので書いてみる。

 今思えば、幼少時からやたら「出た」のだ。しょっちゅう「出た」のだ。後から知ったのだが、みなさん、それほど「出なかった」んだよね。

 出してたヤツ、近づいてきたヤツ、触ってきたヤツ…。変質者ではなくてもクラスメートからも。毎日のように、集団で追いかけられて捕まえられて、狼藉に及んで……それは幼稚園のときだけどね。
 今思えば、決定打をくらわず、よく逃げ切ったものだと思う。

 無意識の男性不信が植え付けられたかもしれない。

 後々、痴漢にあったことのない女性に複数出会い、びっくり仰天だった。
痴漢なんて、日常茶飯事だと思っていた。泣いて動けないなんて考えられない。怒りから、さまざまな撃退方法を考えたりしていた。
 オカルトのように、目を見開いたままゆっくり向くとか、指逆側曲げとかね。
 自分は、女性としての見た目の魅力がないわけではない、ということが、そのことから考えついたこと。
 変なことで、変な方向に考えてしまったのではあるが。
 
 さて、話は続く。
 ヘンタイ続出のさなかに成長し、中学3年になる。
 そのクラスの男子がとても好きだった。と言っても、男子の結束が好きだったのであって、個人的にというのはなかった。中に、他のクラスの女子が見に来るようなモテ男がいて、どうしてなんだろう…としきりに観察したのだが、よく覚えていない。
 女子はグループでいがみ合い、恋のさや当てに巻き込またりして、面倒でみにくいと思っていた。男子の中に入りたかった。

 そんなクラスも卒業とともに解散し、高校へ進学。

 私は誤解していた。高校へ行けば、あの男子の状態が戻ってきて、女子も大人になっていて、男女分け隔てなく仲間としての付き合いができるだろうと思ったのだ。
 ツタの~からま~るチャペルで~(古い!)って、そんなイメージ。(あの曲は女子高だったような…。『学生時代』ペギー葉山さんの歌)
 それこそ青春だ~なんてね。

 ところが、とんでもなかった。

 「もてなかった」私が形成された理由、第二段が高校にあった。

 入学直後の状態。
 席は出席番号順で、当時は男子から始まるので、女子は後半となる。
男子27人、助詞16人のクラス。私は比較的早い方の番号で、男子に近い席になった。
 登校して席について、ふと見回すと女子がいない。全員廊下にいて、すわっているのは男子のみであった。
 毎日そうだった。最初はその理由がわからなかったが、よく観察していると単に「男女を意識している」だけだった。
 いやだった。仲間外れにはなりたくないので廊下に出たが、くだらないと思ってゆううつだった。
 みんなで楽しく話したかった。そして、そういうふうにクラスを導く力がなかった。

 人気投票。
 ある日、黒板に、女子の人気順位が書き出してあった。それは「ふ~ん」と見ただけだったが、その横に、不人気投票がある、と書いてあった。名前は発表されていなかったが、それは震えるほどのショック、私は帰宅途中で泣いた。
 クラスの男子が大嫌いになった。

 キャンプ。
 女子は16人しかいないので、男女ペアになるイベントなどでは、必ず駆り出された。嫌でたまらなかったが、いつも責任感で参加していた。
 肝試しのペアが発表になったとき、今も覚えているが、私のペアの相手が罵声とともに露骨に残念がり、周囲も頭を叩いたりして爆笑していたのだ。
 涙が流れる前にトイレに逃げた。この時点で何度目かなあ、泣いたのは。

 後でわかったことだが、その男子は、私の前の出席番号の子が好きで、当たったと喜んでいたのが、間違っていたから、ということを知らされたが、そんなことは知らない私には、あまりにも残酷な仕打ちとなった。ただでさえ、不人気投票に入っているだろう、と思っているのに…である。
 今思えば、それを伝えてくれた人(男子だったかも)は、私の表情を読んだのかもしれない。

 体育祭。
 懲りずに参加したのは、もう義務感。真面目だったなあ。今なら仮病だ。
 私のペアの相手は欠席だった。どうしよう…レースから抜けたらまずいか…。困っていると声が飛んだ。「体育係、代わりに出てやれよ」助け舟。ありがたかったが、同時に恥ずかしく、かなしくもあった。楽しみにしていたわけではないのに、嫌の嫌塗り。
 声の男子、このクラスでは唯一リベラルで、この他にも、何度か助けてもらったと記憶している。
 もしかしたらキャンプのときも、彼だったかもしれない。誰にでも優しさを向けられる人だったんだろう。

 文化祭。
 文化祭委員をしていた。これが楽しかった。先輩も同期も含めて、熱心なメンバーたちといろいろ準備を重ねた。男女も関係なかった。
私が高校で救われた、唯一のグループになった。
 クラスの出し物は封じた。世話をするのが嫌だったから。これでもっと嫌われたかもしれないが、このとき既にどうでもよくなっていた。黒い。

 2年になるとき、クラス替えを切望していたがかなわず、とってもがっかりしたのを覚えている。
 私の心はすっかり硬化し、クラスの男子と話すどころか、目を合わせた記憶すらほとんどない。
 意識しすぎて、かわいいふりなのか、素なのかわからない態度の女子も合わず、ずっと孤独な気持ちですごした。
 唯一、文化祭委員だけ、笑顔になれた。

 3年になりクラス替えがあった。
 そのクラスでは、自然と男子とも話せた。女子も仲良くできた。かたくなになっていて何の期待もなかったが、受験期でもあり、サラリとしていて快適だった。

 実は、友達から聞く話では、1~2年のときも、ほかのクラスでは男女が異様に意識することもなく、普通に接していたそうだ。
 クラスが違えば、今の私はもう少しマシだったのかもね。タラレ~バ。

 そんなこんなで、男子が苦手というか、どうにも良くない印象を持ったまま卒業したのだが、20年がたち、学年全体の同窓会があり、好奇心で参加してみた。
 そこでは、そんな人もいたかな~程度の記憶の男子と自然に話せた。
高校時代の硬化が、さすがに軟化したのを感じた瞬間かもしれない。

 もう一つ、過去の自分に対して、もてないコンプレックスがやや緩んだ話がある。
 中学のときのクラスメイト二人と久しぶりに会って、話に花が咲いたときに聞かされた。
 自分が好きだった男子が、私を追いかけていたと言うのだ。知らなかったが、後日の飲み会で、しつこく誘われたことがあったのを思い出した。彼女がいることを知っていたし、ヨッパライの気安さだと思って適当にあしらったのだが…。

 以上、もてなかったのは、男子に近づく気がなく、男子からのアピールを感知するセンサーもなかったせいだと今はわかる。
 人によっては、そんなのは不毛の青春だと思うことだろう。過去の事だから、何を言われても、もうそれはそれで仕方がない。

 考え方によれば、打算がなく、かわいかったじゃないか。すべて、みずみずしいセイシュンの痛みなのであ~る。

 


 

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