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お父様に支配された、僕の狭い世界

 お父様からの助言(躾)は絶対的に正しい、それが世間の常識で、誰もが同じように家庭で学ぶべき事である。…それが精神的虐待なのかは今でも疑問だ。兄弟達は皆「お父様」「お母様」と呼ぶ、家族の誰に対しても丁寧語、敬語で話す。

幼少期の世界

 僕には特別に秀でた才能がなかった。興味の全く向かない習い事をたくさんやらされた。スケジュールの殆どはレッスンや宿題で埋まっていた。
 興味をもった事、初めて「楽しそう」と思えた事は乗馬だった。馬に乗って高い位置から初めて"お父様"の頭頂部を視た。青空に少しだけ近い視界を見ていると澄んだ空気が肺を満たしていくのを感じた。
 それでも馬にはずっと悪いことをしたと思っていた、拘束され限られた世界しか歩けない、僕は自分を重ねて頃く乗っていたが、やはり辛すぎてわざと落馬した。案の定、お父様は僕に乗馬を辞めさせた。実家を出るまで二度と乗ることはなかった。

 服装の自由がなかった。可愛いものが好きだったが、"お父様"にとっては酷く不快なようであった。服装は、英国の良いところの少年のような、白いシャツにタータンチェックのベスト、リボンやネクタイ、バーバリーのお揃い生地のハーフパンツにハイソックス、ローファー、日本人にはさぞ滑稽な姿だと思う。
 お父様が服装に拘るのは、自分のアクセサリーとしてパーティーなどに連れ回す為だ。「それがお前には一番美しく見える、品良く振る舞い、賢く素晴らしいと思われるように、覚えておきなさい。」…狭い世界ではどうしようもない洗脳から抜け出すことは、大変だった。なぜならば実際、他の大人から褒められて嬉しかったのだから。お父様が間違っていると疑わない理由がなかった。

 部屋には僕の好きなものが何一つ無かった。…おそらく、ドールハウスに住人である人形の好きなものばかりが並ぶことの無いように。ここはきっと"僕以外の他の誰かの部屋"だと思うしかなかった。


学生時代の世界

 学生時代は自宅から車で送迎だったので、寄り道など殆ど出来なかった。財布も持たなかったので、学校の売店には付き添って眺めているだけだった。

 ある日、親友がくしゃくしゃの千円札を1枚くれた。初めて買ったのは、30円くらいの綿菓子だった。「雅月、遠慮しなくていいからさ、好きなものを買いなよ。やっぱ売店なら焼きそばパンだろ!…な?学校で食っちまえば親父さんにもバレないだろ?」と言われて、ドキドキしながら選んだのは結局小さな袋に入った綿菓子だった。鞄にしまい、大事に1日持っていた。見つからないように部屋に持ち帰った。

 盗んだものでもないのに罪悪感と高揚感は当時の自分には刺激的だった。夜中にこっそり食べた、甘い夢のような素敵な味だった。以来、大人になって拒食症になっても綿菓子だけは食べていた。


逃げ出した世界

 高校を卒業し、音大に進学した頃。ついに張りつめていた糸が切れた。少し前から暗号通貨で大金を得て粛々と資産を増やしていた、家を出るまでバイトは一度もしなかった。調子付いて「自分の好きに生きたい」と話し、お父様に口応えをしてみれば、僕という存在全てを否定するようなお叱りだった。

 自分で作った資産だけ持って実家から逃げた。実家から連れ戻しに来る人達に入られないよう、セキュリティのしっかりした少し高級なマンションを買った。

 髪も生まれて初めて真っ白に染めた、自分が素敵だと思った好きな服を着た。誰の指示も、誰からの強制も、誰からの評価も気にしない「自分」に出逢った。

 そんな変わり果てた姿で実家に立ち寄った。勿論またお叱りを受け、内心では半ベソ状態で黙って聞いていた。「お前は一人では何もできないだろう、何だその下品な格好は。私に泥を塗るような真似ばかりして大学も辞めて働きもせず、世間知らずが…」そこまで聞いて、僕は柔らかなレザーバッグの口を開けた。

 銀行から下ろしたての帯を破り雑に数千万円を詰めたバッグで、"お父様"を殴った。

 応接間に舞い散った札がゆっくり落ちてゆく、その中で同じくゆっくりと不意打ちのバッグに殴られ倒れるお父様を見た。一瞬の出来事が長く感じた。もしかしたら人を殺める時や自死の刹那、そんな時間を感じるのだろうか。

 そのまま少し札の残ったバッグを持ち、逃げる様に実家から去った。当然、今でもお父様からは目の敵にされているが、周囲には「長男は音楽家で実業家」として素晴らしく飾られているのだ。


逃げ出した先の世界

 僕は、狭い世界から逃げ出した。不勉強のほぼ直感だけで投資をし資産を増やし続け、働かず誰にも迷惑をかけることなく静かに暮らした。平和だったが、あまりにも退屈な日々を過ごした。

 暫くして、身分を伏せ自分の半生を全く知らない音楽仲間とバンドを組んだ。これが今もなお活動の続くバンドになり、その中でアーティストなら憧れる地を踏む事になる。クラシックでも音楽教室や学校で指導するようになる。
 マンションやアパート経営で様々な事件や事故、死体と出会う。そして一時的に養女を迎える。独り身で生涯暮らすつもりが男性パートナーを養子にして結婚する。

 …そんな人生、当時は想像もつかなかっただろう。


…今日のお話は、ここまで。

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