桜と詩歌と世界遺産 * ひめいち【番外編】
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世界遺産であり国宝、さくら咲く*白鷺城のご案内をしています。
この記事には前編があります。初めての方は【その壱】もご参考に。
※白鷺(はくろ)城は姫路城の別名です
【その弐】は、有料入城ゲートを入ったところ、菱の門からのご案内です。
5.菱の門~三国堀【世の中にたえて桜のなかりせば】
さっ、気を取り直して後半戦開始。
城内で最も豪華とされる門。菱の門から二の丸へと参りましょう。
三国堀を前にして、みなさんは選択を迫られます。
そのまま直進して、いの門、ろの門とひたすら天守への道を進むか、
左へ折れて、西の丸へ寄り、千姫を偲ぶか。
筆者がビギナーさんをご案内するとすれば、迷わず西の丸へ向かいます。
ささ、こちらへ。
6.西の丸【千姫物語】
千姫が多くの時間を過ごしたこの場所、訪ねない手はありません。
西の丸には千姫の夫、本多忠刻の中書丸という屋敷がありました。
忠刻は宮本武蔵を剣術の師とする文武両道のしかもイケメン。(たぶん)
大坂の陣で深く心に傷を負った千姫を包み込むように優しく癒やしてあげたのです。
このあたりで現在地確認。西の丸(庭園)にいますよ~。
これから、西の多門櫓内に入って化粧櫓まで進みます。
この多門櫓の中は百間廊下と呼ばれる長い長い廊下。
この廊下、実際の長さは240m!。1間は2m弱ですので、名前以上の長さなのです。
ここには、歴代城主の紹介パネルや千姫ゆかりの羽子板、城郭に使われていた瓦、家臣に関わる書物などが展示されています。
百間廊下の最終地点は、化粧櫓と呼ばれた千姫が寛いでいた部屋。
現在は、忠刻、千姫の着物(復刻版)が飾られていました。
次はいよいよ天守に向かいます。
7.二の丸~天守へ【どこを見ても桜】
城郭内の天守への道は、侵入してきた敵をあざむくためでしょう、遠回りで入り組んだ迷路のようになっています。
白壁に開けられた、四角や丸や三角などの狭間(さま)も鉄砲や弓矢でみなさんを狙っているように見えるかも知れません。
でも、大丈夫ですよ。城内で戦が起こったことはこの城の700年の歴史の中で一度もないのですから。
8.そして天守【奇跡の城】
天守閣の見学は穴蔵(地下階)からになります。
地下と言っても、地面の下ではなくて石垣に囲まれた暗い階。だから穴蔵。噂の? 厠(かわや)から話を始めましょう。
この厠(かわや)は籠城のために設けられている”超”非常用のトイレ。
白鷺城天守、ご存知のように外観は優美な姿ですが、内部は当然ながら戦いのための軍事要塞です。
で、築城当初のまま今も姿を保っている現存天守(全国に12)のうち、籠城用の厠を持つ城はこの城だけなのです。
なお、ここは幸い戦の舞台にはなっていませんので(天守は神聖な場所ということもあり)このトイレが使われたことは一度もありません。
※現在、厠内部は一般公開されていません。
他にも、この階には炊事用の流しや塩を貯蔵するための倉庫などがあります。徹底抗戦の準備は常に怠りなく、です。
一、二階に上がると穴蔵の暗さが嘘のよう。(この城は窓が多い)
鉄砲や矢を射かけるための石落としや火縄を掛ける釘。鉄砲や槍を掛けるための武具掛けなど、防御設備がいたるところに設けられています。
みなさんは今、四百年前の城内を目の当たりにしているのです。
三階は、天守の中で最も天井が高い階。地階(穴蔵)から最上階(六階)の床下まで突き抜けている大柱がよく見えます。全長約25mの心柱です。
他にもこの階には、武者隠し(敵が攻め上がってきたときこの中に隠れてゲリラ戦?を戦う)や、鉄砲や矢を射るための石打棚が設けられています。
四階は、三階の約半分の面積。上に行くほど狭くなります。
でも、四方向に石打棚と、まだまだ戦意は旺盛です。
そして五階。「あれ?、まだ上の階があるやん。外観からは五階建てに見えたからここが最上階と思ってたのに・・・」って声が聞こえてきます。
この五階、やたら暗くて天井も低い。
そう、実はこの階、今でいうロフト。四階の屋根裏的存在なのです。
だから、外から観てもわからない階なのです。
まやかしの階と呼んでいます。(筆者が言っているだけです)
そして六階、最上階。
この城の守り神(いや、姫路城下の守り神)である刑部神社が目を引きます。でも、よく細かいところを見てください。(普通のお客さまは、この神社と窓の外(絶景ではありますが)ばかりご覧になります)
天井は竿縁天井、壁には長押、金箔の(六葉)釘隠し、舞良戸と書院風の造りになっているのです。
かつては内側に障子も立てていたとか。
ただし、殿さまやその家族等がこの天守で暮らしたということはありません。天守閣はあくまで城郭の最終防御地点、平和になった江戸期の中頃以降は権威の象徴でしかなかったのです。
正直、維持費などを考えると天守閣は、藩によってはお荷物的存在だったのかもしれません。
姫路城は「さくらの名所百選」にも選ばれていますが、この景色を見ると百選どころか、ベスト1!ですよね。(個人的見解)
そして、【その壱】で少し触れた、第二次大戦中の空襲のこと。
『奇跡』のお話です。
姫路城の奇跡はこれだけではありません。
明治維新時、尊王派の備前藩に姫路討伐の名の下に包囲され、大砲まで撃ちかけられたとき(姫路藩は、元々譜代大名であり佐幕派とみられていた)。
もし、藩士の一部でもこれに応戦していれば、築城以来初めて戦の舞台になっていたかも知れません。
※地元の姫路藩上層部は、朝廷を敵とすることは毛頭考えておらず、結果的には無血開城しました。
そして、その後の老朽化。
それまでは、藩という存在があり、傾きかけた天守を何度も修築してきたのですが、当初の明治政府は城郭の保存修理まで手が回らず、至る所で瓦が落ちたり、壁や石垣が崩れたりと荒れ放題だったといいます。
全国250の城郭の内、200城近くが廃城となりました。
そのうち軍内部からも(名古屋城などを含め)名城を存続させようという声が上がり、保存への方向付けがされるわけですが、本格的に修理が実施されたのは、市民の声「白鷺城保存期成同盟会」が結成された以降になります。
明治の終り頃まで、6000tともいわれる天守の質量を、土と石だけの地盤が懸命に支えていたのです。(実際に地盤が強化(コンクリート化)されたのは1964年完成の昭和の大修理の時でした)
『奇跡』のお話で、時間を取りました。
天守を降りましょう。
次の画像からは、動物園内(もしくは周辺)からの撮影です。
世界遺産と城を満喫ください。
ちなみに、現在の動物園の入場料は210円(小人30円)。
物価高の世にあって、あっぱれな料金ですよね。
9.エピローグ
さぁ、そろそろ和船の予約時間です。
名残惜しいのですが、内曲輪を出ることにしましょう。
長々とご覧いただきありがとうございました。
では。春の姫路城、桜の下でお会いしましょう。