見出し画像

廃坑巡り: 海外生活日記

<1>

黄金の国ジパング。

日本について、モンゴル人が中国大陸の北方に打ち立てた元帝国(1271-1368) の首都大都 (現北京) を訪れたヴェニスの商人マルコ=ポーロ (1254-1324)はそう伝えている。

マルコ=ポーロは海を渡って日本を訪れることはなかったのだが、伝聞でそう伝え聞いたそうだ。

しかしながら、海の向こうの黄金の国の噂は実際のところ、まったくのウソではなかった。

日本はかつて、世界有数の金山を幾つも保有していた。

元帝国が滅び去ってのち、数百年後の日本国を支配していた徳川幕府が直轄領とした佐渡金山は、当時世界最大量の金を産出していた。

日本列島は、純金の大判小判が普通に市場に流通していたという、世界にも稀有な国なのだった。欧州にも金貨はあったが、日本の流通貨幣の方がずっと高品質だった。

搾取と略奪と奴隷貿易で欧州を栄えさせた大航海時代を謳歌していたカソリック教国との交流の潜在的な危険性を察知していた幕府は、ほとんどの異国との接触を禁じた。

しかしながら、やがては幕末には無理やり開国させられてしまった。

こうして異国との不平等な交流が行われるようになると、本邦と異国との異なる金銀交換レートが改められるまでのそうあまり長くはない期間の間に、日本国の貴重な金のほとんどは海外へと流出したのだった。

日本の佐渡金山が枯渇してしまうころ、地球上の別の場所、アメリカ合衆国西部や英領オーストラリアなどの開拓地では新たな金山が発掘されていた。

いわゆるゴールドラッシュの時代が幕開けたのだ。

世界中から食い詰めた移民たちがかの地を訪れて、地底から掘り起こされる砂金を手にすることに彼らは一喜一憂した。

英国政府が政治犯などの流刑地に定めたオーストラリア大陸の西の海、つまり南太平洋のオーストラリア寄りの比較的大きな島国ニュージーランドにゴールドラッシュの波が訪れたのも、やはり十九世紀も終わりに近づいたころ。

日本国が明治維新の文明開化と富国強兵政策を推進していた時代、南島オタゴ地方に続いて、ニュージーランド北島でも古い地層がむき出しになった崖の中から金の欠片を含んだ石英がたくさん掘り出されたのだった。

日本列島同様に、火山帯の上にあるニュージーランドの大地には大量の金が含まれていた。

こうしてニュージーランドにおいても、高らかと不協和音だらけのゴールドラッシュ狂騒曲ラプソディ―が国中に鳴り響いた。

文字通りに一獲千金を求める男たちは、当時はまだ未開だったコロマンデル半島近辺の山々を切り崩し、または原生林をなぎ倒してき出しにした大地から金を含んだ鉱石を掘り出すための大穴を能う限り穿うがったのだった。

世界中でこの地にしか存在しなかった、人類の歴史よりも古いカウリなどの固有種を含む原生林は根こそぎぎ倒されて、大地は剥き出しにされて、鉱山は掘り進められた。

掘り出した鉱石を砕いて砂金を取り出す場所は英語では Battery と呼ばれている。

山道の入り口に置かれた金山の歴史の説明

<2>

わたしがそうした遠い昔の協奏曲の残響が今もなおこだまする土地へと足を踏み入れたのは、先週の日曜日のこと。

グーグルマップより
国際空港のあるオークランドからは車で1時間44分(133キロ)

ワイキノという名前の小さな集落。

マオリ語で「ワイ」は水を意味する。

ワイカト、ワイトモ、ワイホウ、ワイヒ、ワイララパなど、マオリがアオテアロアと呼んだ国ニュージーランドには「ワイ」を冠した土地の名は多い。

「キノ」は「悪い、邪悪、ひどい、醜い」を意味する言葉。

おそらく、ワイキノという土地は、河川氾濫などで水に祟られた地だったのだろう。

ワイキノはオヒネムリ川という山間やまあいを流れる渓谷のそばにある。

1890年には欧州移民はただの五人しかいなかったこの僻地、1906年には二千人弱の人口にまで膨れ上がったというのは、もちろんゴールドの力。

川のそばの大地からは金を含んだ大量の鉱石が産出されたのだ。

飯炊き女や売春婦や鉱夫たちで大いに賑わい、盛時には人口二千人をも数えた炭鉱町は金を含んだ鉱石のほとんどが掘りくつされてしまうとその後、急速に廃れ果てて、2018年の国税調査に基づいた公式統計によると、コロマンデル半島の南の外れのワイキノの町に住んでいる人の数は306人にしかならない。

このあたりのほとんどの住民は、いまでは牛乳や牛肉のための牛飼いとして暮らしている。

1952年まで鉱山採掘は続けられた。

鉱山閉鎖後も1955年までワイキノの Battery は運営されていたのだそうだ。

往時の風景を思い浮かべると、蒸気がそこら中に舞うスティームパンクな情景が目に浮かぶ。

ジブリの「天空の城ラピュタ」のスラッグ渓谷のような世界。

Battery という言葉に関して、日本語ではあまり良い訳語が見つからないのだが、坑道から掘り出した鉱石を砕いて溶かして金と不純物を分離する場所で坑道の一部なのだとされている。

地下道につながる鉱石貯蔵庫は半地下に位置していて、これが狭い坑道でつながれているため、この名がついたのだ。

野球の投手と捕手は他の野手とは違い、投手捕手は役割のうえでは全く切り離せない関係なので、「一揃いの組」という意味でバッテリーと呼ばれる。

採掘場は、鉱山の石を切り出す場所全体を指してしまうので、よい訳語ではない。

訳しようがないので、カタカナでバッテリーと呼ぶことにする。

この先をゆくとミュージアム
Tramway はいわゆるトロッコ
Kilns は鉱石を溶かす釜
土曜日と日曜日にはトロッコに乗れます

つまり、鉱山夫たちが一日十時間を超えるきつい労働を終えた後、少し離れた鉱山から鉱石とともにトロッコに乗って帰ってくる場所、バッテリーのあるところがワイキノなのだった。

トロッコ乗り場

鉱山の坑道から、トロッコの線路を登り下って、一回の運搬で1.5トンもの鉱石が運び込まれたという。

子どもはこれに乗れると楽しいと思います

バッテリーでは全盛期、常時二百人ほどの労働者が働いていたのだという。

オーストラリア・ニュージーランドを合わせてAustralasia (ˌɔ:strʌˈleɪʒʌ: オーストラレイジァ:RとLに注意)と呼ぶのだが、Australasiaで最大の金採掘工場がかつてのワイキノには存在していたのだった。

大国オーストラリアにもこの規模のBatteryは存在しなかったのだ。それだけたくさんのゴールドが採れたということ。

でも、全て過去形のお話。

現在のワイキノは、もはや往時の面影はほとんど何も留めていない。

野ざらしのさび付いた鉄塊ばかりが転がっている。

70年ほど前に打ち捨てられた廃鉱から繋がっていたバッテリーの残骸だけがいまもなお、少しずつ風化して朽ち果て行きながらも往時の繁栄を今に伝えている。

ゴールドラッシュ以前からもずっと絶えず流れていた美しい渓谷の豊かな水は、いまも往時の頃のままに流れている。

した渓流の傍の巨石

<3>

鉱石から金を取り出すため、当時としては最新鋭の機械が置かれていたバッテリー。

ずっと昔に打ち捨てられた鉄くずと石造りの建造物の土台たち。野ざらしで錆果てて、どんどん風化してゆこうとしている。

ところが朽ち果てて役立たずの鉄屑と石の残骸だけになったバッテリーは、いまでは不思議な魅力を醸し出している。

時間の缶詰のような場所。

時が止まっている。

見る者は魅了されずにはいられない。

遠くから見ると完全に太古の遺跡
横穴は貯蔵庫として使われていたらしい

廃墟になったバッテリーを訪れた往時を知る人たちは、過ぎ去った在りし日々をそこで懐かしんだ。

木造の柱などは失われて石造りの土台だけが取り残されている
墓場にも見えなくもない過去の遺物

往時の繁栄を知らぬ人たちは、かつてこの地で行われていたであろう大規模な採掘活動の様子を想像する。

長く続く線路は観光客用の
トロットのためにきちんと整備されている
城壁のような石壁

この土地では時空が止まっているかのような錯覚を覚える。

耳をすませば、すぐ隣の美しい渓谷では、流れてゆく水たちが太古の昔と同じく、激しい唸りを轟かせている。

人は過ぎ去ってしまった時間にこうして出会うと不思議な感傷に捉われずにはいられない。

たとえそれが自分にかかわらない歴史物語であったとしても。

日本の金山が最盛期を終える頃に活躍した俳人芭蕉は、平安後期に欧州に栄えた藤原三代が栄華を極めた土地だった場所を訪れて有名な句

夏草や 兵どもが 夢のあと

という十七文字を詠んだ。

奥州藤原氏が繁栄を極められたたのも、独占した東北地方の金山から掘り出していた砂金の力なのだった。

その金の力を奪い取ろうとして鎌倉幕府は奥州藤原氏を討伐したのだった。義経を匿っていたなんて口実でしかない。

鉱夫たちの夢、いまもワイキノのバッテリーにはとどまり続けているのだろうか。

芭蕉を思い出したので、芭蕉をもじって次のような句を詠んでみた。

草萌えて 黄金こがねのちの 時の跡
時満ちて 黄金こがねの夢の のちの思いに
陽光に 満ちた廃市はいしの さび光り   

まあ駄句なのですが
こんなセンチメントを楽しめるのもいいことです
バッテリー構内

<4>

人口数百の小さな集落の人々は、曾祖父や祖父の生きていた時代の記憶を風化させることなく、これからの時代にも伝えてゆこうとして、この地を訪れるくれるであろう人たちのために、朽ちかけていたバッテリー跡地を整備した。

そうしてやがて、日曜日の山歩きにぴったりな、すてきなピクニックコースが出来上がったのだった。

吊り橋は揺すると驚くくらいに揺れる
一度に乗れる人数制限が橋毎に書かれている

わたしが先の日曜日にワイキノを訪れたのも、子どもたちと山歩きするためだったというわけだ。

渓谷沿いの美しい山道を幾つもの吊り橋を通り抜けながら歩いてゆく。

この吊り橋、とても揺れる!

坑道跡はきちんと整備されていて、誰もが通ることのできる20分ほどのトンネルの散歩道として、今では地元の人たちや観光客に愛されている。

湿った坑道はオレンジ色の光を放つ薄暗いランプに照らされている。

マウンテンバイクを楽しむには最高の山道なので(レンタルあり)、トンネルの中も数多くのバイクが行き交う。

歩いている人たちは時々、後ろや前からやってくるバイクに気をつけないといけない。

トンネルからさらに美しい自然いっぱいの山道を一時間半ほど歩くと、美しい滝を拝むこともできる。

Owharoa Fall(オファロア滝)

川向うには鉱石を運んだ鉄道のための駅が改装されていて、いまではカフェになっている。

中に入るとカフェになっている
電車のチケットもここで購入できる

中にはたくさんの歴史的写真が飾られていて、ワイキノの歴史を偲ぶことができるようになっている。

なかなか素敵なチョーク絵
誰が書いたと聞いたら以前、このカフェに勤めていた人に絵心があり
こうして描き残してくれたのだという
鉱山夫たちの記念写真
彼らが使用していたランプのコレクションが生々しい
ちょっとしたミュージアム

次世代への教育目的と観光客のために、今も列車を走らせていて、渓谷のそばをゆっくりと汽車のようなレトロな列車が隣町のワイヒまで走るのだ。

三十分走って、向こうにつくと十五分休憩してまた逆方向に戻ってくるという観光列車。

一日に数本出ているので、便を遅らせると向こうの町で数時間過ごすこともできる。時間を間違えると戻ってこれなくなる(笑)。

ワイヒには巨大な大穴が掘られていて、すぐ側には鉱山科学博物館が建てられている。

ワイヒには廃墟はほとんどないので、時の流れが止まったようなふしぎな感覚は味わえないのだけれども、二十一世紀的なテクノロジーによる鉱山の歴史を楽しめる。

今回は列車には乗らなかったけれども、時間が許せば、また今度、一時間のレトロ電車の旅を楽しむのもいいことだろう。

山歩きしてピクニックして、思いも変えずに忘れられた時間の土地を旅することができたのは幸いだった。

遠い過去の時間に思いを馳せてみる。

タイムトリップしたような感覚を味わえることが廃墟巡りの醍醐味。

日本からの一般的な観光ルートからは外れた土地なので、わたしのような地元の人に連れて行ってもらうか、英語に不便さえしていなければ、レンタカーを借りて訪れて、日本の明治時代に当たる時代の炭鉱跡地への時間旅行を堪能することができる。

ワイキノホテルという、この村唯一の観光客が宿泊できる施設もある。

ホテルは橋の向こう側に建っている

野ざらしの朽ち果てた鉄くずの山と石造りの工場跡を眺めていると、時が止まっている世界を旅しているよう。

こんな風に時の深さを全身で味わせてくれる土地が好き。

ヴォーン=ウィリアムズとかウォルトンとかエルガーとか、英国人作曲家はノスタルジックな調べばかりを書くのだけれども、きっとこんな風景の世界に住んでいて、こんな情景からインスパイアされているからなのだと思う。

英国系移民が植民したニュージーランドの土地はみんな小英国なのだから。

ここには原住民マオリの痕跡すら見当たらない。誰も住んでいなかった僻地なのだから。

黄金のために開拓されて、黄金が取れなくなると、また忘れ去られてしまった土地。

地元の子供たちが制作したワイキノの全盛期の姿を写したパネル
力作アートワーク

田園と廃墟と止まってしまった時間。

あなたもまた、こんな時間、お好きでしょうか。

たまの日曜日、廃墟や廃鉱巡りでもいかがでしょうか。

とても素晴らしい美しい日曜日でした。

ぜひ、あなたも機会があれば、一度かの地を訪れてみてください。

  • Karangahake Gorge(カランガハケ峡谷)

  • Victoria Battery Tramway & Museum(ヴィクトリア・バッテリー列車と博物館)

  • Waihi-Waikino Gold Tramway(ワイヒ=ワイキノ金山列車)

などで検索すれば見つかります。

カフェに掲げられていた言葉:
「自分が生きる人生を愛していれば
愛に満ちた人生をあなたは生きる」

まずは自分の人生を好きになりましょう、そうすれば人生は大好きなものでいっぱいの人生になりますよって意味。

「赤毛のアン」にでも出てきそうなセリフですね(笑)

<5840字>

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。