月刊_見聞録のコピーのコピー

小学生の頃を忘れてしまった大人たちへ -小説・『ミカ!』を読んで -

小学生だったあの頃

 伊藤たかみはすごい。どうして小学生の頃のことを、こんなに鮮明に覚えているのだろう。友達との交渉ごとには星型エンピツが必要なことや、通信ケーブルを使ってゲームボーイで対戦すること、笑ってはいけないところで笑わせ合うことや、好きな人を教えてもらうには、まず自分から打ち明けないといけないことなど--。私はもうすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。この小説をはじめて読んだ小学生の頃には、多くの共感をもって読んでいたはずだったのに。15年近くも前の自分のことを思い出すと、胸の奥がきゅうんとするような、照れくさいような、なんだか不思議な気持ちがした。

 作中での「笑ってはいけないところで笑わせ合う」というのは、放送委員の主人公・ユウスケがアナウンスをしている最中に、友達のコウジが変な絵を見せるという風に描かれる。私の体験で実際にあったのは、給食中に牛乳を飲んでいる時だ。これ、めちゃくちゃあるあるだったと思うのだけれど、牛乳を噴かせようと競い合うかのようにみんなで変顔をしだすんですよね。小学校って給食の時に6人ひと組くらいの班になって、机を向かい合わせにして食べるから、自分の目の前に座っている人がそれをすると、視界に入れないことがむずかしい。それで本当に笑ってしまって、牛乳を噴いた男子がいた。笑わせた男の子は斜め向かいにいたから被害はなかったのだけど、噴いた男子の前にいた女の子には漫画のようにきれいにかかってしまって(頭から胸のあたりまで)、それを見ていた私は、「わぁ、ほんまにやってもうたやん」と笑いそうになったのを必死にこらえたっけ。ほんまにあほやなぁ。


ミカとオトトイ

 という思い出話は横に置いておくとして、この小説の語り手のユウスケは大阪在住の小学6年生の男子で、双子である。片割れは妹のミカ。ミカは活発で男勝り。空手を習っており、足も速く運動神経は抜群、ケンカをするときは相手がたとえ男子だろうが食ってかかる。その上、「あー! アタシ、なんで女に生まれてきたんやろ! なんでや!」、「おっぱいが大きならんような手術したい」などと言ってのける。そんな風だから、周囲からは「オトコオンナ(男みたいな女)」と呼ばれている。読書やゲームが好きなインドア派で、どことなく子ども離れした、醒めた物見のユウスケとは正反対の性格だ。

 そんな双子のもとに、不思議な動物が現れる。近所の団地に、そいつはいた。毛だらけのサツマイモみたいな、モグラみたいな見た目をしている。おととい見つけたからという理由で、ミカから「オトトイ」と名づけられた。このオトトイ、すっぱいキウイを好んで食べるのだが、実はかなしみの涙を吸って大きくなる。父と母の別居や、高校生の姉・アユミちゃんの家出といった家庭のごたごた、思春期にさしかかり身体が変化していくことで、周りから女扱いされることへのいらだち。それらを抱えきれなくなった時、ミカはオトトイのもとでこっそりと泣く。ミカの涙が身体に落ちた時、オトトイはその涙で大きくなる。そのことを発見したユウスケは、ミカが人知れず泣きにきていることを悟る。

 「ユウスケはやっぱり男やから、あんまり泣かへんねんな。アタシはオトコオンナやから、ときどき泣いてまう」
「泣くのがまんするのって、どないやってやるん? 男はどうやってがまんするん?」

(p127)

 普段は無敵にさえ見えるミカが、時にこうやって弱気になることも、ユウスケだけは知っている。こういう時ユウスケは、兄らしく「気にせんとき」などと声をかけ、そばで見守る。ミカを見つめるユウスケの視線はあたたかさに満ちていて、なんだかとってもかわいい。


かつてオトコオンナだった私

 思春期は本当に複雑だ。自分の身体と心がちぐはぐになる。ミカも例外ではない。

 ミカはオトコオンナだ。でもやっぱり、女の子みたいな匂いがする。ぼくと同じシャンプーを使って、ぼくと同じ洗剤で洗った服を着ているのに、匂いはぼくとちがっている。オトコオンナだけど、女の子の匂いがしていた。いつのまにそうなったんだろう? 思い出せなかった。知らないうちに、そうなったんだな
(p135)

 ユウスケはミカのことをこう語る。変化をいやがる気持ちとは裏腹に、ミカの身体や環境はどんどん変わっていく。そのことに対する戸惑いや煩わしさは、私も痛いほどよくわかる。なぜなら私自身も、ミカと同い年くらいの頃はオトコオンナだったからだ。自分の身体が女へ変化していくこと、それによって男とは「ちがう」とされてしまうこと、自分が急に弱い存在になってしまったかのように感じること。ミカと同じように、すべてがいやだった。ついに初潮がきてしまった時など、後戻りできない絶望感で母の前で泣きわめいたくらいだ。小学校のことはあまり思い出せないのに、その頃の切実な気持ちだけは、脳みその裏にこびりついて離れていない。あぁ、なんだかこの痛み、すごくなつかしい。あの頃はあの頃で、必死に悩み、葛藤していたのだなぁ。

ミカのその後

 オトコオンナのミカは、ある嵐の大事件を境にちょっとだけ自分を受け入れられるようになる。のちにユウスケから語られるところによると、「よく未来の話をするようになった」らしい。「涙で大きくなったオトトイがミカの一部になってしまって、そのせいで新しいミカが--オトトイじゃなくてあさってのミカが--生まれたみたいだった」とのことだ。結局最後まで、オトトイはなんの動物かはわからない。でも、この変ないきものが、双子にしあわせを運んできてくれたことは間違いない。小説の最後で判明するのだが、中学2年生になったミカには、なんと彼氏ができているのだから!(※その後のミカの詳細は、『ミカ×ミカ!』という続編の小説にて明らかになる)

 このキュートでほっこりとした読後感は、他ではなかなか味わうことができない。多忙な社会人生活につかれてひと息つきたい時にはぴったりの作品だ。区分としては児童文学だけれど、大人が読んでもすごくおもしろい。だって私たちは、かつて子どもだったから。心の奥の方にしまいこんでしまった子ども時代の自分を、もう一度取り出して眺めてみてもいいかもしれない。いまとは違う自分の姿に、つかの間だけれど現実を忘れることができるから。


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