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邪馬台国の四国説・阿波説を徹底解説!個人的にこの説が1番正しいと思う根拠とその理由

邪馬台国四国説を私は個人的に1番正しい古代日本の過去の姿ではないかと思っており、まず四国説・・・それも邪馬台国は阿波にあったことはおそらく間違いないと思っています。九州説や近畿説があるのは十分承知していますが、それをあえてさしおいてまで四国説を1番支持するのはなぜなのか?

そこには、数々の驚くべき理由が存在しているからです。その根拠について、私がこれまで辿ってきた四国説習得の歴史を、順番通りに皆様と一緒にシェアしたいと思っています。

まずは、私が20年以上前に、とある本と出合うことで四国説に強く惹かれ、近頃は邪馬台国四国説系のYoutube動画が多く出てきて、それを見てさらに多くの情報を仕入れることができて、そのお陰でほぼ100%近く、邪馬台国は四国にあったことで間違いないと確信しています。

それでは、私が邪馬台国四国説が正しいと思う根拠を、私が知識を得てきた順番を辿って解説致します。

少し長い記事ですが、邪馬台国の場所を知りたい方にとって、読む価値はめちゃくちゃあります!!

⛺『古代ユダヤと日本建国の秘密(大杉博著)』~ 邪馬台国四国説の根拠その①

この本と初めて出会った時期は相当昔の話で、はっきりと覚えてないのですが、おそらく20年以上前の話だったと思います。この本には阿波から日本が始まった根拠が非常に詳しく書かれています。

古代ユダヤと日本建国の秘密 ~ 大杉博著

初めて大杉氏のこの本を読んだときは、あまりに世間の邪馬台国の定説としては知られていない情報が多く、それに衝撃を受けました。そして、一気にこの本に引きこまれました。

それでは、この本の重要なポイントをいくつかピックアップしてみます。

🔵 古墳のルーツが阿波で発見される

2000年4/21の毎日新聞で「近畿の古墳ルーツは阿波?」と書いた記事が書かれ、「西山谷2号墳」発掘のニュースが報道されたようです。その記事では、徳島文理大学の石野教授が「阿波の墓の建造法が、大和政権の王墓のルーツである可能性が高い」と示したといいます。

また、この書籍には書かれていませんが、阿波では「萩原1号墓」「萩原2号墓」が発見されており、これは奈良の最古級の古墳「ホケノ山古墳」のルーツ」・・・すなわち奈良の古墳より古いことまで判明しています。

なお、「西山谷2号墳」「萩原1号墓」「萩原2号墓」は『邪馬台国近畿説で有名な奈良の箸墓古墳より古い』ことが判明しており、なんと箸墓古墳のルーツと分析されているのです!

つまり、王墓として古墳の前段階の墓・・・古墳に似ているがそれより古い王墓が、既に2000年ごろに阿波で発見されているというのです。そのため、「箸墓古墳があったから近畿説で決定」とする説には個人的には納得できないところがあります。

しかし、TVや大手新聞では「邪馬台国といえば箸墓古墳」ばかり報道しており、意図的なのかはわかりませんが、これらの3つの墓については、大々的には取り上げて報道していないようです。

🔵 徳島で発見された木簡は国内で一番古いとされる

徳島の国府町では、木簡がたくさん出土されいます。木簡とは、木でできたお札に黒い色で文字が書かれたものです。実は、この徳島の木簡は日本全国にある木簡で最古であるようです。

また、万葉がなを使った和歌としても一番古いものが発見されており、日本の歴史のルーツがここから始まっていることを伺うことができます。

🔵 邪馬台国の痕跡が四国から消された理由は時の為政者による「大秘密政策」にあった【極めて重要ポイント】

■ 四国には日本全国にある地名や神社が数多く存在している!!
まず、この本を読んで一番驚いたことは、四国には日本全国の地名と全く同じ地名や神社がたくさん存在しているということです。そして、それはなぜかというと、日本全国に四国の地名や神社をそっくりコピーして、時の政府が過去を封印してしまったことに起因しているようです。

たとえば、次のような地名や神社が四国には存在しており、それは元々四国にあった地名や神社なのです。

※本に書かれている内容に私が情報を加えて書いています。


🔵 日本全国に存在する地名とそっくりな地名・神社
・出雲

阿波の海岸沿いを出雲地方といい、今でも阿波の地元の人から出雲という言葉は使われています。また、島根県の出雲地方は大昔から出雲地方と呼ばれていたわけではなさそうです。また、出雲神話に出てくる話が出雲の国風土記に無かったりするケースがあるようです。

・諏訪

徳島県名西郡石井町浦庄に「諏訪」があります。また、徳島県徳島市応神町東貞方に「諏訪ノ市」があります。まさに阿波の地です。

・諏訪大社
長野県の諏訪大社は、宝亀十年(西暦779年)に阿波國の諏訪神社から移遷されたとの記録があります。そのため、長野県の諏訪大社はなんと、阿波の諏訪神社から勧請された神社であるようです。
諏訪神社は現在、多祁御奈刀弥神社(元諏訪)として知られています。また、徳島県に諏訪神社があるのもそこに意味がありそうです。

富士山
阿波には「阿波富士」と呼ばれる高越山があり、大昔はこちらのほうが本家の富士山だった可能性があります。富士山そっくりの形をしています。なお、現在の富士山は大昔は「浅間山」と呼ばれていたらしく、その名残で富士山には「富士神社」ではなく「浅間神社」が多いことがわかります。これで、富士山付近に富士神社と呼ばれる神社がほとんど存在しない理由がわかります。
また、讃岐には讃岐7富士と呼ばれる富士山が7つも存在します。

美濃
記紀が編纂された当時、阿波には三野郷(みのさと)がありました。また、阿波には美濃田という地名まであります。


このように、当時の大和朝廷は、邪馬台国が四国にあったことを隠蔽するために「大秘密政策」として、阿波にあった地名や神社、古い伝承などを元に、阿波の出来事をまるで全国で起きたかのように、話を作り変えたということです。

その理由として著者の大杉氏によれば、四国山上の高天原にユダヤ人のアークが隠されていたこと、そしてそれを中国が情報を知ったようで、奪いに来るのではないか?という疑念を朝廷が抱いたことによるようです。国を挙げて隠ぺいする必要があったために、四国のありとあらゆる話が全国展開されたということです。

また、当時の日本は中国の皇帝と周辺国への覇権を競っていたようで、日本の歴史が1ローカル地方の話であれば、中国の皇帝の歴史と比較してきわめて弱小国に映ってしまい、軍事面で示しがつかなかった面もありそうです。

私は大杉氏の「大秘密政策説」は十分ありうると思っています。

というのも、ここに書いてないだけで、四国の地名や神社の名前があまりに古事記にゆかりがあること、そして、地名が全国展開されていることが挙げられます。

ここで紹介した内容は、書籍のごく一部に過ぎません。邪馬台国が四国に存在した数多くの証拠が書かれていますので、四国説が好きな方は、ぜひ一度この本をご覧いただくことをお勧めします。

🔵 この本には書かれてないが注目すべき地名・神社

・天照大神が生誕された「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」

🔵 小戸の阿波岐原の重要性

九州の高千穂に「天孫降臨の地」があるとされています。しかし、四国説を知ってしまうと実は天孫降臨の地は九州ではなく四国であるのでは?と思えてくることがたくさんあります。そのひとつに「筑紫の日向」です。

古事記によれば、この地はイザナギが禊をしたときに天照大神、月読大神、スサノオ神が御生誕されたとされる大変重要な地でもあります。

また、神道の祝詞に「天津祝詞」がありますが、そこでは「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊祓いたもう時にあらませる・・・」と唱えられます。

古事記にせよ、神道の祝詞にせよ、小戸の阿波岐原は大変重要な場所なのです。

実は、この筑紫の日向の橘が実は、阿波にも存在するのです!!

🔵 阿波岐原という地名

まず阿波岐原という名前からして阿波を示しており、イザナギが存在した場所そのものと合致しています。また、徳島の地元では徳島県阿南市の一体を「阿波岐原」という言葉を使っています。

ちなみに、徳島県阿南市にある賀志波比寶神社(かしわひめじんじゃ)の境内の案内板には、「この地が阿波岐原であること」について書かれおり、この辺がイザナギの禊祓いの場所であったことまで解説されています。

この賀志波比寶神社(かしわひめじんじゃ)はなんと延喜式神社なので、古代から由緒ある神社で、延喜式神社の案内板に書かれていることには大きな意義があります。

なお、神社の入り口には天照大御神ご生誕地という看板があり、この神社の由緒書きには「天照大御神の幼名は賀志波比売大神であったと考えられます」と書かれており、賀志波比寶大神は、天照大神と同一人物であると解説しています。

🔵 小門神社とみそぎ岩

そして、その阿南市には小門神社(をどじんじゃ)まであり、そこには「みそぎ岩」という古くから大切に崇められてきた岩があります。このみそぎ岩は大きく、威厳があり、まさに禊に相応しい地といえる風格があります。

このように、小門神社の「おど」という名前までしっかりありますね。

🔵 竺紫の日向の橘

また、古事記には「竺紫の日向の橘」と書かれており、「筑紫の日向」とは一切書かれていません。九州の筑紫を表すときは「筑紫」と表現し、禊祓いの場所はあえて「竺紫」という表現で書かれています。このように、筑紫と竺紫はしっかりと区別されているのです。

なので天孫降臨の場所は「九州の筑紫」とは違う可能性があるようです。また、竺紫の日向とは本来の意味は東に向かって尽きる場所という意味です。

四国の山頂である高天原から東に向かって陸が尽きるまで進むと、徳島県阿南市の「阿波岐原」を通過し、やがて橘町に到着します。そこには橘湾があり、近くには小門(おど)神社のみそぎ岩まであります。阿波をずっと東に進んで海に出ると、そこに橘町や小門神社があるというのは凄い話ですね。

■ 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原は徳島にあった 参考リンク
https://ameblo.jp/noginohi107/entry-12802094019.html
https://www.higashishikoku-subaru.co.jp/archives/blog05/66015

では九州にある古代の痕跡は何かというと、大秘密政策によって、一気に創建された神社や地名によるもの、と大杉氏は説いています。

🔵 定説では恐ろしく遠い移動距離

世の中で一般的に知られる定説では、イザナギが黄泉比良坂があるとされる島根県の東出雲町から逃げてきて、宮崎県の筑紫の阿波岐原町で禊祓いをされたことになっています。

しかし、約600Kmもの長距離を移動して逃げる必要があるのでしょうか?
当時としては、相当時間がかかる距離ですし、電車・バスを使わないで移動するとなると逃走目的としては現実的ではないような距離です。

こちらも、すべて阿波で起きたとなれば、極めて自然に説明がつくのです。

ちなみに、イザナギの痕跡がある神社やイザナギが投げつけた桃にまつわる神社が、阿波の山間部には、非常に多いのです。

■ 参考リンク
https://ameblo.jp/noginohi107/entry-12801706230.html
https://ameblo.jp/noginohi107/entry-12801940248.html

⛺『2020.1.20-本当の邪馬台国 総集編34分 邪馬台国四国山上説解説』~ 邪馬台国四国説の根拠その②

邪馬台国四国説の根拠その2としてお伝えしたいのが、魏志倭人伝に伝わるその行程です。記録に残る地名と四国に残る地名とに多くの類似点があるのです。他の九州説や近畿説では果たしてこここまで酷似しているのでしょうか?

まずは次の動画をご覧ください。

※7:30~開始しています。

私はこの動画を見て、魏志倭人伝の地名とあまりに酷似していることに驚いて、上記のその①の書籍とともに、四国説の信憑性が高まったように思います。

まさに、四国を一周して魏志倭人伝に出てくる地名とそっくりですね。

そして、さらに驚いたのが、この動画で解説されている研究家の方は、なんと上記の①の書籍の著者の方である「大杉博氏」だったのです!!

この記事を書くついさっきまでずっと長いこと、この2人の研究家の方は別々の方と思っていました。

ということは、私がたまたま購入できた書籍「古代ユダヤと日本建国の秘密(大杉博著)」は、まさに良本だったといえそうです。

⛺『Youtubeチャンネル:ANYAチャンネル』~ 邪馬台国四国説の根拠その③

それまでおそらく邪馬台国四国説で正しいだろうが、わずかながら疑いの部分もあった私が、ここにきて、ほぼ四国で100%間違いないと私個人が思った理由は、このANYAチャンネルのYoutube動画を見てからでした。

ANYAチャンネルは、2024年現在、Youtubeの邪馬台国四国説の動画のなかで、おそらく1番幅広く詳しく解説しているチャンネルと思われます。

まずは、ANYAチャンネルの『総集編』と呼べる1本の動画がありますので、こちらをご覧ください。この動画は約40分ですが全て見る価値があります!! 絶対観たほうがいいです。

🔵 邪馬台国四国説・阿波説の重要ポイント(この動画のポイント)

・延喜式神社(古来の由緒ある神社)で古事記の神様の名前が圧倒的に多いのは阿波の神社
・全国の神社の元宮が阿波には多数存在(諏訪大社・出雲大社・住吉大社など)
・魏志倭人伝に書かれている「邪馬台国には丹が取れる山がある」は水銀朱のことだが、この時代で水銀朱が大量に採掘できたのは、全国で阿波の若杉山に限られている【※重要】
日本最大級の集落遺跡が実は阿波に存在していた証拠がある【※重要】
・邪馬台国までの道のりに、なんと誤字が存在していた証拠が他の文書(古代中国の太平御覧)にあった!【※重要】(25:00~)

とくに、邪馬台国までの道のりで、そのまま解釈すれば、沖縄やグアムに届いてしまうのですが、魏志倭人伝は原本は残っておらず、それより200年古い古代中国の太平御覧には、邪馬台国への同じ工程が書かれており、それが魏志倭人伝と1文字だけ違っていて、魏志倭人伝に1文字の脱字が存在していたこと、そしてその誤解が、すべての問題の原因だったことが、この動画の25:00~によって氷解します!!

この誤字によって、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国までの道乗りの話は一直線ではなく、2俣に分れた道のりの一か所が邪馬台国で、もう一か所は別方面という意味であることがわかります。

この誤字の話は邪馬台国論争で非常に重要なはずなのですが、まったくNHKなどのTVで取り上げられてないのは不思議な話ですね。

とにかく、この上記の動画はすべてご覧いただく価値はあると思いますし、私はこの動画を見ることでANYAチャンネルをよく見るようになりました。

また、ANYAチャンネルでは数多くの動画を出されていますので、チャンネル登録をおすすめします。

⛺『Youtubeチャンネル:進撃の歴史旅』~ 邪馬台国四国説の根拠その④

進撃の歴史旅というチャンネルも、邪馬台国四国説・阿波説として有名です。こちらの動画もおすすめです。

■【麁服はただの麻の織物ではない!!】大嘗祭や三木家に隠された阿波の重要性、そして阿波説の中にも色んな説があります!(チャンネル名:進撃の歴史旅)

阿波忌部氏・三木家が貢ぐ麁服(あらたえ)は、天皇陛下即位式の大嘗祭にとって必要不可欠のようです。

また、麁服(あらたえ)は阿波産でないといけないと決められているようです。

7:00~阿波から島根に出雲の神社がうつされた、その痕跡が残っていることを解説しています。

⛺ その他人気Youtubeチャンネル~ 邪馬台国四国説の根拠その⑤

他にも、人気Youtubeチャンネルで邪馬台国四国説・阿波説を取り上げています。また、Youtubeを中心に、四国説を有力とする人が増えている印象です。

🔵 Toland Vlog × コヤッキースタジオ

⛺ その他の情報 邪馬台国四国説の根拠その⑥

🔵 四国山上にかつて存在した大規模な集落の痕跡

以前、Youtubeで過去のTV番組を見たのですが、四国山上の地下を掘ると広範囲にわたって、次々と土器が出土してきた様子を映していました。そして、その範囲があまりに大規模で、四国の山上では、古代日本で多くの人が定住していたのでは?というTV番組で特集を組んでいたのを観ました。

また、四国の山は昔から山焼きをする習慣があり、山地で生活できるような環境を整える風習が昔からあったようです。このようなことからも、四国の山の上は、邪馬台国があったとするのには理にかなっています。

🔵 ユダヤから多大な影響を受けている四国と天皇のルーツ

これは、ユダヤと日本の関係を示す多くのサイトで言われていることですが、四国は古代日本でユダヤから影響を受けている痕跡がたくさんあります。それは、四国の劔山本宮劔神社は7/17に神輿渡御(現在は霊峰剣山山頂大祭)が実施されており、祇園祭や御柱祭もなぜかこの7/17に実施されています。

7/17はノアが救われた日でユダヤ教の重要なお祭りの日です。

また、天皇家と古代ユダヤのルーツには様々な痕跡があることが言われています。

■ 磐境神明神社

また、徳島県にある磐境神明神社の敷地内では、日本の神社としては極めて珍しい古代ユダヤの礼拝所が発見されています。これは、四国と古代ユダヤのつながりを表す大きな証拠といえるでしょう。

Youtubeで有名な歴史家の茂木誠先生が現地から解説しています。

■ 剣山アーク伝説

また、非常に有名なので知っている人も多いとは思いますが、剣山にはユダヤ教のアークが隠されていると言われています。これも、四国とユダヤにつながりがあることがわかります。

■ 個人的な説

私は個人的に四国山上に邪馬台国=ヤマトがあったことの由来は「山都」から来ているのではないか?と思っています。

山の上の都市=山都=大和です。

邪馬台はヤマトと読むと解説する方もいらっしゃいます。

ホツマツタエの不自然ともいえる短期的な長距離移動は、邪馬台国四国・阿波説で解決する

ホツマツタエをご存じの方は、おそらくいときょう先生の動画をご覧になられていると思います。

いときょう先生の話によれば、古代の神々・・・たとえばイザナギやアマテラス様などの神様が、短期間で全国を移動していることがたくさん書かれているようです。

諏訪、富士山、出雲・・・このような長距離を当時、短時間で移動できたでしょうか?

なかには1日で長距離を移動していたような表現をされていることさえあり、いときょう先生によれば、馬が発達していたから可能だといいます。

しかし、現代の新幹線や電車でさえ遠いのに、当時の馬でこんなに早く移動できるのは不自然極まりないといえます。

しかも、大事なことは、当時は日本全国が統一されておらず100の大国に分れていたのであって、そこをスムーズに通過できてしまうというのも、どこか不自然さがつきまといます。

しかし、ホツマツタエのすべての舞台が、阿波内部で起きていた話であれば、すべて話は解決します。

諏訪、出雲、富士山と、1日で移動することが十分可能です。

そのため、私はYoutubeのいときょう先生のホツマツタエの話は、全てとまではいいませんが、その多くは阿波内部の出来事として理解しています。

なぜ、四国説は世の中に知られていないのか?

まず、四国説が世の中に知られていない理由から探ってみましょう。四国説が世の中に知られていない理由は、邪馬台国が四国にあったとするその根拠が実際にたくさん出てきており、地元の四国の大学教授など、数々の専門家の先生が発表しているのに、全国規模のTVなどの大手メディアがそれをほとんど取り上げることがないからです。

とくにNHKなどでは、東大や京大をはじめとする、大学教授の意見に大きく影響されており、東大や京大をはじめとする多くの大学では『近畿説や九州説などありき。それ以外は無視』というスタンスを貫いているところがあり、そこから外れる説は、大きな発見であっても無視を貫く姿勢を貫いているような状況です。

これは、予測ですがNHKは東大や京大が無視する程度だから、四国説は取り上げるまでもないという姿勢なのかもしれません。

そういうアカデミズムの世界の力学によって、「四国説の数々の根拠」が多くの人まで知らされていないことに原因があると思っています。

仮に四国説が正しかったからといって、九州の高千穂神社が無意味ということはない

九州には槵觸神社や天岩戸神社など、天孫降臨や天の岩戸開き神社と関係が深い神社が存在します。また、近畿にも天孫降臨ゆかりの神社がありますが、それらが無意味ということは全くありません。

長い歴史をかけて、神職の方が神様にご降臨されるよう祝詞を唱えられ、参拝者の方が祈られてきた場所には、ご神霊様と霊的なつながりが出来上がっています。そのため、九州の神社でも天孫降臨の地としてのパワーはあると思って間違いないと思われます。四国と霊的につながっている可能性さえあります。

また、実際の天孫降臨地であるか否かというより、神々様との霊的なつながりがあることのほうが重要と個人的に理解しています。仮に四国説が正しかったとしても、九州の天孫降臨の地で、神様と人との霊的なつながりがあることは間違いないと思われます。

邪馬台国論争には、すべての説にプラス・マイナスの点がある

邪馬台国論争には、四国説、近畿説、九州説、すべての説において、プラスポイント・マイナスポイントの面があります。

そのなかで、プラスポイントの種類が多いほど、説として真実に近づくのではないかと私個人は思っています。四国説はそれが多いのです。

しかし、邪馬台国論争ではお互いが他説マイナスポイントを1つ2つ突いて、それをもってして「ほら〇〇説は全てウソだ」といえる姿勢がよく見受けられ、そのような理由で全否定する姿勢は、あまり望ましくないと思っています。

たとえば、スピリチュアルの世界で「ニセ霊能者」の実例を2~3個挙げることで、「ほら、世の中の霊能者は全て嘘だった」と結論づける姿勢と似ています。嘘の実例をひとつふたつ挙げる程度で、他がすべて否定されるとはいえませんよね。

それより、本物の霊能者の実例が多いほど霊能者全体の存在の信憑性が上がるというものです。

そのため、矛盾点(マイナスポイント)を見るのではなく、いかに多くの点で符号するか(プラスポイント)で、その説の正しさに近づくのではないか、と私個人は思っています。

この記事へのご意見・コメント投稿について

この記事へのご意見・コメント投稿のルールについて書かせていただきます。

私は邪馬台国四国説の研究家でもありませんし、邪馬台国の学術的な知識があるわけでもありません。ただ、今まで得られた知識を「このような説がある」と皆さまに共有しているに過ぎません。

巷のネット上では、邪馬台国について多くの論争が繰り広げられています。そこで、「何が本当なのか?」というお互いに建設的な議論から結論を導き出せるのなら良いのですが、まず多説を理解する気などさらさらなく、論破して相手にダメージを与えること前提で論争するケースを、一部見受けられます。

こうなれば、議論として建設的ではなく不毛な争いに過ぎません。

また、そのような状況をSNSのコメントなどで何度も見てきています。

そのため、邪馬台国研究者ではない私に論争を挑むコメントはお控えください。万が一論争を挑む内容やマイナスのコメントを書く内容を投稿されたら一切返事せずに、見つけ次第削除させていただきます。


予めご了承いただけますと幸いです。
なお、ポジティブな感想やご意見でしたら歓迎致します。

また、スキは大歓迎します。

それでは、宜しくお願い致します。

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