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本音の話

 仲間が欲しかった。

 僕が演劇を始めた理由はそれだけだったのかもしれない。

 今から10年程前。
 仕事で高校演劇に関わった。その際に観た大会の圧倒的な熱量にあてられ、僕は演劇がやりたくなった。

 少し前まで自分も学生だったというのに、彼らのように有り余るパワーで仲間達と一つの何かを表現することなどあっただろうか。いや間違いなく無かった。

 何故なら自分はぼっちだったからだ。
 いや、ぼっちというのは正確ではないかもしれない。

 中学、高校とその都度一緒にいる友達はいた。 
 しかしどの関係も長続きせず、中学なら中学。高校なら高校の時間で関係が終わってしまう。なので同じ方向を観て切磋琢磨することなど殆どなかった。

 少し話は逸れるが、いつもお手伝いしている平均年齢60代後半のバンドがある。彼らは高校からの友人だ。
 10代〜60代まで友人で、今でも一緒にバンドをやっている。そしてこれからも続く。
 それが単純に羨ましい。

 自分もそんな世界に入りたくて憧れた。
 スポーツ漫画を読んでやりたくなるのと同じ気持ちだろう。
 しかしその実、本当にやりたいのはそのスポーツではなく、登場人物たちとチームメイトになりたいのではないだろうか。少なくても自分はそうだった。

 それから舞台の脚本を書き始めた。
 ネットに投稿を始めると、学校や劇団が年に何回も僕の脚本を使い公演してくれた。

 だが、それでは舞台をやりたいという欲はおさまらなかった。

 なので毎年一度、人を集めて公演をした。
 芝居をやっている人達に出てもらい6年も幕を上げることができた。
 しかしそれも段々と人が集まらなくなり、ついにはコロナ禍もあって幕を下ろした。
 ちなみに、集まらないというのはお客様ではなくキャストの方だ。

 つまり僕には大勢を集めて舞台を作るなど向いていなかったのかもしれない。

 だったら人数が少なければいいと考え、ずっと大好きだったコントの脚本を本格的に書き始めた。
 以前までも少し書いてはいたが、そこにより力を入れた。

 しかしそれも結局は上手くいかなかった。

 小説を書くことも脚本を書くことも一人でできる。だが舞台の幕は一人では上げられない。

 自分に圧倒的に足りていないのは、仲間であり相方なのだ。

 ずっとそう思っていた。
 だが、最近あることに気がついた。

 それは上手くいかないことへの言い訳だったのではないか、ということだ。

 仲間が欲しいだけなら方法はあったはずだ。
 だがそれをしなかった。

 それは何故だろう。

 答えは簡単だった。

 僕は売れたいのだ。

 他の何かではなく。
 自分の作った作品で売れたい。

 好きな人だけ観てくれたらいい。そんなことを以前誰かに言った。でもそれは嘘っぱちだ。

 大勢に観てもらいたい。
 たくさんの人に楽しんでもらいたい。

 それこそが変わらずずっと持ち続けた本心であり欲望だ。

 こんなことを包み隠さず書き連ねるのは恥ずかしいが、何か書こうとしたらどうしてか手が動いていた。最近観ていたドラマにあてられたのかもしれない。

 仲間も相方もたりない、影響されやすい人間の独り言でした。

 もしこんな奴がどんな話を書くのか気になった方は、はりこのトラの穴「つむぎ日向」で検索お願いします。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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