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本当の友達の定義とは『ぼくの大切なともだち(2006)』

題名:ぼくの大切なともだち
製作:フランス/2006
監督:パトリス・ルコント
主演:ダニエル・オートゥイユ

ルコントの作品は『髪結いの亭主』や『仕立て屋の恋』など、一癖ある人々の恋愛映画のイメージが日本ではついているであろうが、本作はコメディである。年を食ったおじさんが”友達”を再定義する。


おじさんについて

モノにしか興味のない男。名前はフランソワ。歳は50ぐらい。
職業は美術商。仕事はやり手。
妻と娘がいる。
だが友だちがいない。
今、初めて気付いた。

端から見れば、身なりもよく社交性もあるように見える。
だが、初対面の人に声をかけて怒らせるほどであまりにも不器用。
実際に人との関わり方みてたら、プライド高いし、何でも金でつろうとするし、自覚がなくてどうしようもないおじさん。
ある日友達だと思っていた人たちからこう言われる。
「お前の葬式には誰も来ない。」
「誰もお前を友だちだなんて思ってない。」
‐‐‐絶望である。

友達の作り方を探せ!

色々とあり、”本当の”友達を仕事仲間に紹介することになったフランソワ。
たまたま出会った愛想の良いタクシー運転手から、友達作りの極意を教わる。
『感じよさ・笑顔・誠実さ』これが友だちを作る魔法の習慣だという。

一体友だちとはどう作っていたのだろう。
友だちが多いって人も少ないって人も、ちゃんと相手にとって大事な存在でいられているか。
友だちの多さは関係なく、いつも会ってる訳じゃなくても、会えば一緒に楽しめるような相手がいいよね。
「愛は金で買えるが、友情は金では買えない。」

多くの人とすれ違い、結局お互いを知らないまま死んでいくというのが人生の常。
知り合えない人間のほうが、知り合える人間よりも明らかに多いだろう。
理想的な友だちがいればそれは最高だが、理想的な友だちになれる人と出会っているのに見過ごしてはいないか?
身近な限られた人を大切にしているのか?
人という存在に対して、無関心になっていないだろうか。

友達の定義とは?

では本作で語られる友達の定義とはいったい何だろう?
「深夜でも相談の電話ができる相手」という語りもあるが、結局は人それぞれ価値観があるのだから違うにきまっている。
だからこそ自分の友達の定義をしっかりと作っておくことは大事であると強く思う。
僕は
「損得勘定なしで相手のことを考えられること。頻繁に連絡を取らなくても、必要な時につながれるしわかりあえること。軽口をたたきあえて、相手のことを互いに尊敬していること。」
それが友達の定義だと思っている。

SNS時代における友達の再定義

全体的に温かい世界観でありながら、友だちというものの存在について今一度見直したくなる。
特にSNS時代の浅く広い友達関係には、深く突き刺さる。

相手に利用されていることはないか?
自分が胸を張って友達だと言うことができるか?
どんな時でもすぐかけつけて助けてくれるか?
その言葉は君のことを見て、思いやっているのか?
何よりその友達と一緒に大笑いできるか?

もちろん自分のふるまいも見直そう。
相手に対して失礼なことはしていないか?
親しき中にも礼儀あり。相手を尊重しないことは喜ぶべき時間を失ってしまう。

あなたが変われば、きっと世界も変わる。
大切なともだちが一人でもいれば、世界はもっと豊かになるに違いない。

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