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もう人生は交わらない。

歳の割に落ち着いているよね、とよく言われます。何事にも動じず、焦燥感や緊張感を覚える場面でも一人だけ涼しい顔をしていると。正直そんなわけないだろ、と思うのですがまあ分かる気もします。元々表情に乏しく、気持ちを口に出すのが苦手なので、何も感じていないように思えるのでしょう。

本当の私はかなり気にしいです。加えてかなり捻くれていて、そして些細なことで泣きます。特に人と人が互いを想い合う姿はいつ何時でも好きです。様々な記号や属性は有れど、それとは関係なく愛と云う名の下では皆とても魅力的な表情になります。今でこそ誰とも付き合わず一人をエンジョイしていますが、これまで様々な男性とお付き合いをしました。どれも短命に終わり連絡すら取っていない人のほうが過半数ですし、誰とも愛を築けませんでした。ですが付き合うことはなかったものの、私がこれまでの人生で強烈に愛した人が1人だけいます。

何事にも形容しがたい、強いて言えば未だに胸の奥を這いずり回る病原体のような存在です。

子供の頃実家で見た雪のように真っ白で純情無垢だった私も、いつしか世の中の醜さを知り自分の毒を見つめるような大人になりました。ですがその人に向ける感情だけは、私の中で唯一綺麗なままです。今回は成仏もかねてその人との話を書こうと思います。冬の湖面に潜む激情です。非常に長いですがお付き合いください。

Episode 1

大学1年生の春、それは出会いと別れの季節であり、生命の息吹が眩しい瞬間です。サークルの勧誘や授業、友だち、バイト。受験から解放され思う存分遊ぼうと浮足立つ周囲とは裏腹に、私の心は土砂降りでした。

私は昔から人と話すことが苦手で、どこへ行っても孤立するような典型的な "陰キャ" で "いじめられっ子" でした。2人組を作ると必ず最後まで残り、ぶつかるとあからさまな侮蔑の目を向けられる。さらに悲しいことに高校2年生まで虐待を受けていました。暴力はさほど無いものの着替えている最中にわざと洗面所に入られたり、ご飯を与えられなかったり、無理やり服を脱がせられるなど、性的にも精神的にも人権を奪われる、しかし証拠は残らないたちの悪いものでした。途中で親戚が助けに入り下宿をする形で距離を置けましたが、私の心は傷ついたままでしばらく笑うことができなくなりました。また親にばれるないようこっそりご飯を食べているうち、食がストレス解消の手段になりかなり太っていきました。そのせいで周囲からは女性として見られることはなく、あからさまな容姿差別や性欲のはけ口にされていました。

様々な辛さから、私は未来に希望を見出すことができませんでした。このままここで死ぬかもしれない。20歳になれずこの地で死ぬかもしれない。学校の最上階からどこまでも広がる雪景色を見下ろして、何度も飛び降りることを考えました。カッターで自分を傷つけました。このまま生を終わらせることができたら。何度も願いました。血みどろの腕を見て正気を取り戻したことも1度や2度ではありません。でも、死ねませんでした。死への恐怖と、僅かに残っていた生の執着が私を親戚の家に向かわせ、生の橋をギリギリ渡りきることができました。

そんなわけで、私はなんとなく大学生活を他人事のように感じていました。本当は死ぬかもしれなかったので今この空間が異世界のようです。目の前を生き抜くことに必死だった自分は急に訪れた平和に順応できず、また他人から危害を受け続けていたせいで人間関係の恐怖心が拭えませんでした。自信に満ち溢れ今時の服装に身を包んだ周囲と、時代遅れでどう足掻いてもみすぼらしい格好をしている自分の対比も、ますます自分を卑屈にさせました。

…ですが、このままでいいのでしょうか。折角辛い受験勉強を乗り越え、東北から上京したのです。今目の前に広がる光景はこれまでの私を知らない人で、あの憎い実家も何百キロと離れています。このままでも卒業はできますが、このまま、何も変わらないままでいいのでしょうか。人は怖いです、簡単に裏切ります。ですが、立ち止まっていても何も変わりません。どんな苦しみにも屈さず生き抜いてきたのに、過去に今を喰われるなんて馬鹿げています。過去は消えません。ですが物事の恐怖心、そして平和の有難さを誰よりも知っているからこそ、今を大切にできるはずです。同じ悲しみを人に与えず、これからを楽しんで生きていこうと決めました。


最初に、なにかサークルに入ろうと思いました。学費だけはかろうじて出してもらっているものの、生活費と家賃は奨学金とバイトで賄わなければなりません。そのため週1日でゆるーく続けられるものをさがしていると、ありました。今年新設されたオールラウンドサークルです。どうやら運良く明日新歓があるので、一人ですが行ってみることにしました。

時間になり場所に行くと、そこには明らかにチャラそうな先輩と思わしき人が3人、恐らく新入生であろう怯えた草食動物のような人が2人待っていました。勇気を出して声を掛けると、紙に必要事項を記入するように言われました。きっと先輩方はもっと可愛い、愛嬌のある女性を求めていたのだと思います。ですが来たのはブスではないものの垢抜けないデブ。背も167 cm あり髪も長い私が無表情でいると,多分怖かったと思います。相手はあからさまに戸惑ったような態度で、その顔は笑っているものの凍り付いていました。

来るところを間違ったかな、と思いましたが帰るとも言いだせません。他の新入生の隣で居心地の悪さを感じながら待っていると、茶髪で赤色のジャケットを着た人がこちらに向かってくる様子が見えました。

大きめのリュックを背負っていて、身長は恐らく160を少し越したくらい。パンツは紺でインナーも黒という少しアンバランスなものでしたが、不思議と「この人はいい人だ」と感じました。軽く先輩方に挨拶をし、私達新入生の前に立つといきなり「げんきぃ~~~?」と聞いてきます。少々面食らいましたがその気さくな様子に悪い気はせず、「元気です」と返しました。恐らく気を遣ってくれたのでしょう、簡単な自己紹介の後、履修のことや楽単の話など、本当に軽い話をその人から振ってくれました。この先輩をYさんとします。

後から聞いたことですが,Yさんは居心地の悪そうな私たちの様子を見かねてわざと最初から変な話しかけ方をしたそうです。先輩方の方から新入生の募集をかけたくせに、まだ大学に不慣れな人たちを放置しておくのはあり得ないと思ったと。Yさん自身気さくな方でしたが、やはり初対面は緊張するそうです。ですが自分の都合ではなく、私達の気持ちを推し量って行動をしてくれた。その事実が嬉しかったです。

その後近くのサイゼリアに移動し,約10人でご飯を食べました。実はこの時サイゼリアに行くのが人生初体験であり、先輩や同学年とも学校の後にご飯を食べた事のない私はかなりテンパっていました。その様子を見て周囲は「きっと育ちがいいのだな」といいように勘違いしてくれました。Yさんは話を聞くのも上手く、私のどんな話もゆっくり頷いて聞いてくれました。大学生特有のノリや言葉遣いが分からなかった私は同級生と話しても会話を止めてしまうことが多々あり、その度につまらなさそうな気の抜けたような相手の顔を見せられることが恐怖でした。少しずつ人と話す努力は続けていたものの、コミュニケーションを避けていた18年の時間は想像以上に長く,自分と他の人の間に見えない隔たりを感じることが何度もありました。同じ年齢、同じ学科、同じくらいの学力のはずなのに、根本的な何かが自分に欠けている寂しさに苦しんでいました。

ですがこの日、Yさんは他の人と変わらぬ態度で私に接してくれました。ノリがいい人、あまり騒がない人、性別、学年。色々な人がいるはずなのに、誰に対しても同じような温かさとユーモアを向けてくれました。これまでの経験から人に対する恐怖感は常に付きまとっていましたが、Yさんだけは最初から何か違うと感じていました。それは私という存在に向き合うという、当たり前のようで当たり前じゃない行為をYさんがしてくれたからです。このころはアパートに帰ると実家での暮らしを思い出して泣いてばかりでしたが、その日は久しぶりに何も考えず眠ることができました。これがYさんとの最初の記憶です。

暖かな人も存在すると知り、また少しだけ踏み出す勇気が湧いてきました。

次の日、私はデニム生地のワンピースを着ました。しまむらで買った安いものでしたが、パンツしか履けなかったこれまでからすると十分です。地元にいた時は足を出していると母親から「売女、物欲しそうにしていていやらしい」と言われていたので、怖くて履けなかったワンピースです。本当はとても恥ずかしくて怖かったのですが、解放された気分でした。

さらに次の日、隣の子に話しかけました。お昼で人が出払ってから同じようにぽつんと教室に取り残されていた子です。お昼を買い忘れたけれど一人で行くのが辛いというので、偶然買っていたパンを半分こしました。お腹は満たされなかったけれど、心はとても満たされました。

そうして私は毎日目標を決め、一つ一つクリアしていくことで古い価値観を塗りつぶし、成功体験を積み重ねることで自分に自信を付けていきました。そうこうしているうちにスカートを履くことに違和感が無くなり、まだ恐怖心はあるもののくだらない話なら出来るようになりました。思ったより他人は自分に危害を加えない。その安心感が少しずつ私の心を解きほぐしてくれました。

それから毎週木曜日、大学のコートを借りてサークルメンバーでバスケットをすることになりました。実は小学校の時にバスケ部に所属し,その後もスポーツを続けています。最初は全体的に私を配慮したプレーでしたが、私がかなり動ける人だと分かると皆男性と同じように私に向かってきてくれました。サークルが終わると、その日来たメンバーで夕飯を食べます。時々居酒屋にも連れて行ってもらい、端でウーロン茶を飲むこともありました。

他の大学生がするようなことも私は楽しめている。ありきたりな事ですが,幸せでした。

これまでどこへ行っても異質な扱いで、常にレッテルと邪魔者扱いが私をついて回っていました。ですが、ここにいる人は私をそのように特別扱いせず、周りと同じように扱ってくれる。くだらない事で笑い、一緒にバスケをし、シュートを決めたら喜んでくれる。”周囲と同じ”であることが本当に嬉しかったです。初めて居場所ができました。

さて、サークルや勉強、バイトに勤しむある日偶然Yさんと帰りが一緒になりました。まだ時間も早かったので、一緒に夕飯を食べようか。そんな話になりました。魅力的な話であると同時に、それなりに好ましく思っている相手から誘われるということで二つ返事でOKしました。これまで誘うばかりで誘われたことのない私は疑心暗鬼で、気を遣わせて無理に自分と一緒にいてくれるのではないか。そんなことを聞いてしまいました。ですがYさんは笑って「嫌なら誘ったりしない。だって美桜さんおもしろいし」と言ってくれました。Yさんの、きちんと思っていることを明確に言葉で表現してくれる性格はこの時の私を大いに救いました。自分という存在に向き合い、欠点ではなく美点を見て、言葉で褒めてくれる。傷だらけで苦しみの渦中にいた自分にとってYさんの優しさは温かく、Yさんが特別な存在になるのにそう時間はかかりませんでした。

それから何度かYさんを誘い、遊びにいったりご飯にいったりするようになりました。授業の課題が不安だというと、過去のレポートを見せてくれたり出題傾向を教えてくれました。幸いにも同じ学科であり、自然と距離は近くなりました。またひょんなことから家庭の話になりライトな過去話をすると、Yさんもあまり親とうまくいっていないことが判明し相談に乗ってもらうようになりました。誰にも出来ない話をYさんに吐き出し、時には意見を貰うことで私は過去を少しずつ整理することができるようになりました。

何度か、重い話をしていることを謝罪することもありました。ですがYさんはいつぞやと同じように笑い、「前に進もうとしているのが分かっているから気にするな」と私を励ましてくれました。信用している人に自分が頑張っていることを認められて、何度も泣きました。辛いことは沢山あったけれど、変わりたくて、何より好きな人の信頼に応えたくて毎日精一杯頑張りました。言葉で言われたことはなかったけれど、Yさんが私を尊重し、前に進もうとしていることを信用してくれることは何故か分かっていました。信頼や好きという気持ちは偉大です。Yさんの存在が支えになり、信頼に答えようと頑張っているうちに心は安定し、私はもう一度生きる気力を取り戻すことができました。

そんな毎日です。日に日にYさんに対する自分の思いが強くなっていることに気付きました。付き合いたい、Yさんの彼女になりたいと思うようになりました。…その一方で、思いを伝える気はありませんでした。何故なら自分の好きという気持ちで相手を傷つけたり怖がらせることがたまらなく怖かったからです。

高校2年生の時、私は好きな男の人がいました。学校のルール上交際はできず真面目な私は思いを伝えることはしませんでした。ですがその男の人は優しく、優しさに慣れていなかった私はその人に甘え、試すような行動を取りました。その結果相手を怒らせ、話すこともままならなくなりました。しかしその後も思いを伝えなければいいと態度で好意をほのめかし、最終的に「行動が狂気めいてる」と相手に不快感と恐怖を与えました。

今思えば最低な行いです。弁解のしようもなく私のやり方が悪かったです。異性との距離感も分からない私はまた同じように思いを告げて相手を苦しませることがたまらなく怖く、ある一定の距離以上Yさんに近づくことができませんでした。

私が気持ちの大きさを自覚したくらいに、Yさんは忙しくなりサークルに来なくなりました。元々人間関係に恐怖心を持っていたのもあって、Yさんに連絡を取ることができなくなりました。感情が強くなればなるほど、言葉や態度、LINEにそれが現れてしまう。それでいままでの関係が崩れてしまったらどうしようか。

虐待されていた時に身に着いていた人間観察力と無駄に鋭い勘から、なんとなくYさんは後輩以上の感情を私に持っていないだろう。それが分かっていました。その状態の告白は相手にエゴを押し付けるという認識でしかなかった私は、Yさんを怖がらせるということや狂気めいた自分を見たくないために自分の行動を制限しました。本当は会いたくてたまらなかったけれど、意気地なしの私は逃げました。


それから3か月くらい距離があき、ある日39度台の熱を出しました。熱は嫌いです。過去を思い出すから。普段やっている家事が何倍も辛くなるし、看病との名目で母親が身体に触れたがるから。…それなりに実家でのことが落ち着いたように思えましたが、心細いのもあって誰かの声が聴きたくなりました。やはり真っ先に浮かんだのはYさんです。電話をしてもよいかLINEをし、久しぶりに話をしました。

Yさんは課題の最中ということでしたが、私の気持ちが楽になる様なことを沢山言ってくれました。その優しさや温かさに触れているうち、忘れていたはずの恋愛感情が再び心に浮き上がっていることを自覚しました。

前、一度だけ恋愛の話をしました。その時のYさんは「結局自分次第だから、なにもかも」「殻を破りたいなら行動しないと」ということを繰り返し話していました。恋愛に限らず何でも自分次第で変えられる。その理論は正しいと思いますが、私にとっては綺麗事でした。自分次第でどうにかなるなら、私は過去好きな人を傷つけなかったはずです。私の行動は人を傷付ける。そのイメージが常に付きまとって臆病になりました。また殻を破るために相手へ思いを告げるというリスキーな事をするのがどうにも納得できませんでした。Yさんとの関係だってそうです。明らかに脈がないと分かっている相手に思いを告げても振られるだけで、何の意味もない。何かを変えたくて、殻を破りたくてした行動が実らないなら、迷惑なだけで何の意味もない。

そんなことを考えていたら、気付いたら泣いていました。Yさんは驚いて、ゆっくりでいいから話してごらん、と穏やかな声でいいました。私は熱のせいもあり、もうどうにでもなれという気持ちで先程のことを話し始めました。

「Yさん、私Yさんのこと、ずっといいなって思ってました。でも、Yさんが私のことをただの後輩としてしか見ていないことを知っていました。だから思いを告げるつもりはありません。…Yさんは前、殻を破りたければ行動しろと言っていましたね。でも、結局成就しないなら意味ないんじゃないですか。ただ思いを告げて、振られて、自己満足のエゴで、それに何の意味もないのに行動しろってどうしろっていうんですか」

「俺はそれでいいと思っている」

Yさんの答えは想定外のものでした。そして続けてこう言いました。

「俺も高校の最後で好きな人に振られるって分かってて言い逃げした。めちゃくちゃ振られたけれどすげーすっきりした。やっぱ思ってることは言わないとだめでしょ。振られてもよっしゃ次いこうってなるし。それに、告白されて迷惑だと思うことはないよ。めっちゃ嬉しい」

恐らくYさんは、結果が重要なのではなくて自分の思っていることをきちんと言葉にすることが大切なのだと言いたかったのでしょう。結果は他人が持っているものだから自分には変えられないけれど、自分が相手にどのような行動をするかは自分で決められると。私は覚悟を決めました。

「分かりました。Yさん、ずっと好きでした。多分初めて会った時からだと思います。本当に本当に大好きでした。貴方のおかげでまた生きようと思えました。ありがとうございます」

言えただけで心が軽くなりました。溢れた涙が横に流れ、枕に吸い込まれました。自分から告白するなんて何年ぶりでしょうか。そもそも自分の気持ちを素直に言えたことなんてなかったのかもしれません。現実は熱に侵され、甘くもなく涙でしょっぱいものでしたが、口に出して伝えた瞬間涙が止まりませんでした。電話をしながら泣く人間でありたくなかったのに、大好きな人を困らせたくはなかったのに、久しぶりに私は人がいるところで泣きました。

「うん、こちらこそありがとう。自分の思ってること、ちゃんと言えるようになったじゃん」

Yさんはそれしかいいませんでした。でも、もうそれだけで十分でした。子供のようなわがままを言い捻くれた言葉で感情をぶつけたのに、Yさんはいつもと同じ温度で私に向き合ってくれました。実ることはなかったけれど、同じ温度で自分の思いを口にし、受け入れてくれることは嬉しいことなんだと知りました。こんな時でも、私が努力して出来るようになったことを褒めてくれる。自分の言葉が好きな相手を喜ばせた、その事実を知れただけでもう十分でした。満足と同時に悲しみが襲ってきて、とてつもなく話しているのが苦しくなりました。でも最後にどうしても言いたいことがありました。

「Yさん、ごめんなさい。しばらく会いたくない、かもしれません」

「それでもいいよ。好きにしな」

「私はこれからも努力して、めっちゃ綺麗になって、貴方よりも身長が高くてカッコいい彼氏を捕まえます。これから先、貴方がくれた以上の幸せを自分の手で掴みます」

強がりでした。でも、紛れもなく本心でした。Yさんを好きになってとても幸せでした。今後、振られたことが辛くてきっとYさんとはしばらく会うことができないでしょう。けれど幸せな時間があったからこそ、また歩いていける自信が私にはありました。

「おっ、そういう強気なの嫌いじゃないよ」

電話口の向こうでYさんは笑いました。今まで何度も聞いた、大好きな笑い声でした。なんて優しい人なのだろう、なんて強い人なんだろう。どこ迄も私を尊重する声。そういうところがとても好きでした。

電話を切り、大泣きしました。熱は出ていたけれどそれ以上に心の痛みが激しく、明け方までとまることがありませんでした。そんなわけで熱は長引き、3日間魘され続けたという馬鹿なエピソードがありますが、その後はまた日常に戻ることができました。

Episode 2

Yさんに振られてから、連絡を取りたくなることが何度もありました。でもそのたびに押しとどめました。きっと優しいからYさんは対応してくれるけれど、泣いて困らせるだけなのが目に見えていました。自分が落ち着いていないのに泣きつくようなみっともない人間にはなりたくありません。僅かなプライドがこの時期の自分を支えていました。

そうこうしているうちに大学2年生になりました。6月。私はダイエットに成功し人生最大のモテキがやってきました。これまで私に見向きもしなかった人が自分に声を掛けてくるようになりましたが、煮え切らない思いを抱えていました。いくらなんでも掌返しが過ぎるし、私の中身は変わらないからです。これまで差別を受ける側だったのに急に優遇されるようになり、私は人を信用できなくなりました。

11月、サークルの飲み会に久しぶりに参加しました。学業が忙しいのもあってしばらく遠慮していましたが、よい息抜きになるはずだと参加を決めました。

久しぶりに会うメンバーと近況報告を交わしていると、途中で人が増えました。Yさんです。あの電話以来一度もあっていなかったので、実に一年ぶりでした。流石にあの時のような気持ちはなかったので、何の気なしに話しかけることができました。Yさんは少し間が開いた後、前と同じようにユーモアを効かせた言葉で返してくれました。恋愛感情がない分、前よりも話しやすいです。

「やーでもさ、安心したよ」

ほどほどにお酒が回ってきた頃、唐突にYさんは言いました。

「最初会った時はどうなるかと思ってたけど、なんか変わったね。よく笑うようになった」

やはり10 kg も痩せたのか見た目の変化には気づいていました。それ以上に、内面の変化を気付いてくれました。私ですら気付いていないのに、です。この時期男の人を信用してはいませんでしたが、Yさんだけは信用することができました。痩せた前後で変わらない態度を貫き、相変わらずきちんと目を見て話してくれるからです。その一貫性だけで信頼に値します。

これがきっかけで再びYさんとの交流が始まりました。頻度は半年に一度くらいでありましたが、その後Yさんは私の人生の節目で必ず支えになってくれました。離そうと思えば離れられる距離だけれど、穏やかにつながっているという事実は非常に心強いものです。彼氏ではないけれど、自分を大切に思ってくれている人の存在はとても貴重でした。近付きたい気持ちよりも、繋がっていたい気持ちの方が強かったです。


Episode 3

私がもうすぐ4年生になるという時、Yさんが福岡へ就職で行くことになりました。これまでとは異なり、簡単にはあえない距離です。

見送りには行けないので、手紙を書きました。書きながらYさんとの日々を思い出すと、涙が溢れてきました。優しい声。笑ったときに少しだけ細くなる瞳。頭にのせられた優しい手。毎日一緒に居たわけでもなければ、頻繁にLINEをするような相手ではなかったけれど、いつも温かく見守ってくれました。勉強のことを気にかけ、友人のことで悩んでくれる。産まれてはじめて大切にされる感覚を教えてもらえました。牢獄に囚われていた心はいつの間にかYさんが壊してくれました。…本当は行かないでほしい。寂しい。そう言いたくてたまりません。応援したいのに、本当は嬉しい事なのに、寂しくてたまりませんでした。

手紙を書く手が止まり、うずくまって思い切り泣きました。一緒に過ごした3年は私にとってかけがえのないものであり、常に心の支えでした。困ったとき助けてくれて、一緒に居ると楽しくて、このままずっと一緒にいれたらいいのにといつも思っていました。引き留めたくて、帰りたくなくて、悲しい気持ちを抑えて笑っていました。苦しくて苦しくて息もできませんでした。こうしている間にも別れの時間は近づいてきます。どうしようもないことですが、痛みだけが私の全てです。

結局長い手紙は書けず、「触れるのを避けていましたが、一年生の時ずっと好きでした。一年くらい避けていてごめんなさい。また会いましょう、幸せでした。」と書いて写真に撮り、LINEで送りました。涙で汚れた部分を破ったので不格好な形でしたがうまく撮影出来ました。

手紙はわざと過去形で書きました。そうしないと、色々なものが零れ落ちそうな気がしたからです。それが何かは追い掛けるのをやめました。


Episode 4

慌ただしい日々が流れていく中、Yさんが九州に旅立ってから一年が経ちました。私は院生になり、それでも時々Yさんとは連絡を取り合っていました。

Yさんが半年前の夏に帰省した時にはドライブに連れて行って貰いました。別れる直前一瞬だけ抱き締められました。エールのつもりだと思いますが、心が揺れました。

離れても連絡の頻度は変わらず、相変わらずゆるい距離感で過ごしていました。時々彼氏の相談をしたり、Yさんと彼女ののろけを聞かされたりして、昔告白した事実がまるでなかったことのようにお互い振る舞い続けていました。…これまでもそうでしたが、Yさんのことを付き合ってきた彼氏に言うことができませんでした。後ろめたいことがあるのではなく、どういう温度で話していいか分からなかったからです。少し彼女の話を聞くのは嫌だったので、まだ少し執着があるからかな。そんな風に思っていました。

理系の院生は忙しいです。朝早くから夜遅くまで実験をし、休日は平日に出来なかった論文を読んだり、次の発表の準備をしたり。毎日が慌ただしく過ぎていくので、ちくちくする気持ちをあっという間に忘れていきました。

その日も同じように夜遅くまで学会の資料を作っていました。学会が同じ時期に3つも密集しており、これまで以上にハードなスケジュールでタスクをこなしていました。この時付き合っていた彼氏と距離を置いており、別れるかを悩んでいました。すべてがギリギリで頭が痛く、目も疲れていましたが明日は先生に資料チェックをお願いしています。ここで休むわけにはいきませんでした。

次の研究室内での発表も迫っていているので、他にも何人か残っていました。自分のことに集中していた、その時です。

「よっ」

ふと左側を見ると、ここにいないはずのYさんがいました。かなり驚き素っ頓狂な声を出してしましましたが、いつもと同じようにくだらない会話を楽しむことができました。私が忙しいのを察してか、すぐに会話を切り上げ他の人がいるスペースへ移動していきました。私も話に参加したかったけれど、目の前の資料が終わっていないので漏れてくる声を聞くだけにしました。会話は聞いているだけで楽しく、羨ましいとさえ思いました。そんな時です。

「実はさ、今回挨拶するために帰ってきた。俺、結婚するんだ」

そんなYさんの声が聞こえてきました。ざわめく空気とは裏腹、私は冷水をぶっかけられたかのように固まりました。結婚?Yさんが?…信じたく、ありませんでした。けれど向こう側から聞こえてくる会話は、幸せそのものでした。なんでもないようなふりをしてディスプレイに向き合っていたけれど、心臓だけが別の生き物のように動き、軽く震えているのが分かりました。

嘘だと言って。

服の上から胸の辺りをぎゅっと握りました。息が乱れて泣きそうになったので深呼吸をします。Yさんがいるところで泣くのだけは嫌でした。唇を噛み締めて真っ直ぐ居直り、5分くらい作業をしてから立ち上がって顔に笑みを張り付けてYさんのいる方へ行きました。

「Yさん、結婚おめでとうございます。てか言ってくださいよ、驚いたじゃないですか」

これまでのように、軽口を叩きます。Yさんもそれに応えます。4年間。4年もの時間が積み上げた関係です。やはり楽しいです。ですが虚しいです。嫌だ結婚しないでと言いたくて堪りませんでしたが、ただただ祝福の言葉を口にしました。演じなければ。騙さなければ。目の前のこの人を悲しませないために。笑え、笑え。いつも通りでいろ!…暗示の通り、うまくいきました。

やがて時間になり、Yさんは帰る時間になりました。

「じゃあ頑張ってくださいね。どうか、お幸せに」

背中に向かって言うと、Yさんは振り返り笑って御礼を言いました。私たちを取り巻く環境は大きく変わり、外見も中身もきっと変わってしまったことでしょう。ですがYさんの笑った顔だけはいつも変わりませんでした。私の世界は薄汚れた廃墟のように荒れ果ててしまいましたが、Yさんだけは常に輝いていました。あの時と違うのはその笑顔に含まれた感情です。大人っぽくなり自信と幸せに満ちたその表情は、愛されている人がする尊いものでした。

私は最後までYさんを騙しきることに成功しました。

学部生が帰って私と友人の二人きりになりました。隣の席が空いたので、友人はスープ春雨を持ってきて静かに食べだしました。にぎやかだったのが急に静かになり、苦しさがまた込み上げます。手を動かしながら、ゆっくり友人に話し始めました。考えるより先に、口が動いていました。

「あのさ、さっきの人いたじゃん。あの人のこと、私一年生の時ずっと好きで、振られて、それから一年くらいずっと苦しくて会えなかったんだ。で、また再会して変わらない優しさを向けてくれて、ああこの人だけは信用できるなって思った。」

「うん」

「卒業してからもずっと自分のこと大切に思っててくれてさ、心配してLINEくれて、本当にいい人なんだ。大切に思ってる。相談乗ってくれたり、色々なこと話したり…でも……今も…ずっと、好き、なことは言えなかった。それだけはどうしても言えなかった。なのに結婚しちゃうんだって」


もう、限界でした。言葉にした途端涙が止まらなくなり、キーボードを叩く指に雫が落ちました。

何故かずっと思っていました。最後にYさんと結婚するのは自分だと。根拠もないのにどこかでずっと信じていました。好きで好きで堪らないと人は幻覚をみるのでしょうか。見ないようにしていたけれど、振られてからもずっとYさんのことが好きなままだということを本当は気付いていました。4年という月日が経っても、色褪せることなくずっと自分の中に恋心が燃え盛っていました。好きで好きで堪らなくて、忘れられなくて、どうしようもなく愛していました。きっと彼氏がいた時もYさんのことを心に住まわせていました。私は最低です。

Yさんと再会して以来、沢山の事を話しました。情けないことも、格好が悪いことも、夢の話も、院生活のことも、何でも話せました。ひねくれている自分でも、Yさんの前だけではいつも素直に気持ちを口に出すことができました。ですが本当に言いたかったことは大学1年生の、ただの1度しか言えませんでした。それからは常に蓋をして、自分にも他人にも手の届かない心の奥底でずっと隠していました。

その感情は自分の中では当たり前で、でも大きくて、大事すぎて誰にも触れられたくなかった。絶対に手に入らないと分かっていても捨て去ることができなくて、触れることすら痛くて堪らないから向き合うことすら出来ない。捻くれてしまった自分の中に唯一残ったまっすぐで綺麗な感情が何よりも大切で、誰にも汚されたくなかった。

叶いもしない恋をいつまでも引きずり、自分の中で大切に育てた感情を向けるべき相手は誰なのか分かっています。ですがそれはできません。いくら告白が嬉しいとはいえ、これから別の人と幸せを掴もうとする人に思いを伝えるような真似はできません。私はあの日Yさんに教えられたことに対し、とっくに背く覚悟を決めていました。それがあのもやもやや、ちくちくする感情の正体でした。

相手がいても奪い取れば良かったのでしょうか。どこまでも欲に忠実に、狡くあれば可能性はあったのでしょうか。いえ、きっとないでしょう。そもそも私は現実よりも欲を優先する人間ではないからです。

その証拠に苦しくて苦しくて涙が止まらない一方で、資料を作る手を止めることはしませんでした。広げた先輩の修論に涙が落ちても、友だちがこちらを見つめているのが分かっていても、まっすぐ前を見て手を動かし続けました。昔の私でしたら作業を止めて泣いていたと思います。でも今の私は何があっても止める気はありませんでした。それはYさんを好きでありながら、私の第一優先はもうYさんではなくなっていたからです。

私にとっての現実は山積みの資料と彼氏との頭打ちな関係。Yさんに望んでいるものは来るはずのない未来。どちらを優先すべきかは歴然であり、Yさんを追い掛けてももうどうしようもできません。そして私も追い掛けることを望んでいません。私が本当に望んでいることはYさんではなく、現実を少しでも前に進めることです。

なのでYさんと結婚すると思っていましたが、同時に一緒になることはできないと分かっていました。私の望む人生とあの人の望む人生は違う。先輩後輩なら合わせられても、この先ずっととなるとどこかですれ違ってしまう。そしてもう既にすれ違い始めていることをこの出来事ではっきり自覚しました。

結局は自分次第。相手は変えられないので、自分の行動は自分で決められる。皮肉なことに自らの選択がYさんとの距離を開かせていたのだと思います。良くない方向に内面が変わっただけかと思っていましたが、違いました。私はいつの間にかYさんに頼らずとも自分を支えていけるようになっていました。

きっと変わってしまったのはYさんではなく私の方です。あの頃よりも大人になったのは自分の方で、道が離れたのも私が自分で決めて進めるようになったからです。

なんて可愛げがない。でも、そんな可愛げがない自分をYさんは応援してくれていた。4年分の想いがぐちゃぐちゃになって、悲しさと共に全て流れていくようでした。


次の日完成させた資料を教授に見せました。ぼろぼろの精神状態で作り上げた資料の出来映えは非常に良く、厳しい教授にも褒められました。その日は皮肉にも4年前Yさんに振られた日でした。

Episode 5

それからほどなくしてYさんは入籍し、お嫁さんと一緒に暮らしました。暮らす前に一度だけ2人で会いました。変わらず笑顔でしたが、なんとなくもう会えないことがわかりました。最後まで沢山のアドバイスをしてくれ、最寄り駅から自宅までのタクシー代まで出してくれました。「幸せになってね」と言われ、帰ってから何度目かわからない涙を流しました。電車を降りる直前、振り向かなかったのはせめてもの意地です。

そういえばYさんは常に私を女の子扱いしてくれました。初めてスカートを履いた時、初めて化粧をした時、帰りが遅くなった時。私の変化を褒め、様々な場所で心配してくれました。好きな人に欲の対象としてではなく、1人の人間として、女性として大切にされていました。そのことに再度気付き、幸せな気持ちになってまた切なくなりました。それでもダメなときはダメです。

私の大学生活は半分くらいYさんによって占められています。学部の思い出を語る時、必ずYさんの影が重なって思い出されます。一緒にいた時間は短いのに、私の節目となる時に必ずYさんの存在がありました。感情を失い、人を信じられなくなった時もYさんが変わらずにいてくれたから人に絶望せずに済みました。一番虐待の後遺症が酷かった時期にYさんが支えてくれたおかげで、また生きようと思えました。好きだという気持ちが私を再生させてくれました。本当に、感謝しかないです。

一方で、この感情をどうすればいいのかYさんは教えてはくれませんでした。どうしたら消えるのか、どう取り扱えばいいのか、感情を教えるだけ教えて去っていきました。Yさんに聞いたところで、あの日のように「好きにしたらいいよ。」と笑うことは分かっています。きっとその答えは私が出すべきなのも分かっています。

出来るなら、一生一緒にいたかった。幸せになるのは他人ではなく、私の手で幸せにさせてあげたかった。あの人の手を取り、支えるのは私でありたかった。あの優しい笑顔と、暖かな瞳を独り占めしたかった。未だにそう思います。

ですがYさんが求めているのは私ではなく今のお嫁さんです。悲しいですがそれが現実です。そして私もYさんがいなければなにも出来ない過去の自分ではないのです。私が私で有る限りYさんとの未来はやってこないでしょう。私も恋愛をしました。Yさんより背の高いイケメンの彼氏も捕まえ、痩せて綺麗になり、4年前とは比べ物にならない幸せを宣言通り掴みました。ですが結局Yさんがくれた幸せは格別でした。結局誰かより愛せる相手を探している時点で私はYさんから抜け出せていません。無意識的に比べるなんて失礼です。己の未熟さを恥じると共に風化しない気持ちに呆れすらしました。

もし明日地球が終わる前に10人好きな人に合わせてあげると言われたら間違いなくYさんを真っ先に入れます。自分の人生に影響を与えた人を挙げろと言われたら最上位に来ると思います。しかしYさんは違います。死ぬ直前に私のことを思い出しすらしないでしょう。この温度差がどうしようもないことも分かってはいますし、選ばれなかった理由にもなるでしょう。

Episode 0

あれから半年以上過ぎました。でも、ふとした時にああ好きだな、となります。ずっと心の中に寄生して忌々しいです。一番に優先できないくせにずっと好きなんて図々しいですね。でも、それを含めてどうしようもなく好きです。いつか消えるのでしょうか。うーん、消えないかもしれません。分かりません。でもそれでもいいです。

もしかしたらYさんは私の気持ちに気付いてるかもしれません。なんとなくですが。でも触れないでいて欲しいです。なによりも大切な気持ちなので、捨てられるものでもないので、好きなだけ持っていようと思います。

あの日のように、結果がどうであれ伝えることが大事なのかもしれません。ですがそれだけはしないつもりです。伝えるだけが全てではありません。愛しているから、大切だからなにもしないというのも、また1つの愛の形だと思っています。

これがこれまでの人生で一番愛した人とのお話です。そうは言っても未だにどのようなポジションに置いてもしっくり来ないくらい特別な人だと思います。Yさんに向けるはずだった感情をすべて文に込めました。こうやって書くとものすごく好きなんですね。また自覚します。悲しくなります。Yさんとの4年は紛れもなく幸せでした。そしてこれからもLINEだけになるとは思いますが、ずっと幸せでしょう。昔と比べYさんとの関わりは笑顔より涙の比率が大きくなりました。この先笑顔が涙に負け、0になった時ようやく楽になれるのでしょうか。いやその痛みごと愛するでしょう。

Yさんには沢山のものを貰いましたし、きっと私も魅力的な笑顔を浮かべられたと思います。何枚かYさんが撮ってくれた私の写真はどれも綺麗に笑っていました。あの顔が好きな人の思い出す私なら幸せです。Yさんは私といて幸せだったのかな。もう今さら聞けるタイミングはありません。好きな人の人生に少しでも引っ掛かってくれたら、なんて思います。ひねくれた私の美点を見いだし、いつまでも支えてくれた人に差し出せるものがあるならなんでも差し出すよ。


さて最後に、Yさんに伝えたいことをこの場でお借りして。

今後就職活動頑張って、修論書き上げて、自分が望む人生に向かって努力します。次に付き合う人は背の高い人ではないかもしれませんし、貴方よりイケメンではないかもしれません。ですが、どうしようもなく好きだという人の心を捕まえてみせます。貴方とは関係のない場所で幸せを掴みます。貴方以上に好きになれるではないかもしれないけれど、必ず大切にします。必ず報告するので、それまでどうか、私の一番好きな人でいてください。お願いします。

皆様も長々とありがとうございました。そして想いよ。成仏しておくれ。


時々私を思い出して。

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