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旧暦と二十四節気


<旧暦と二十四節気 ヒトは出来事の中で生きていく>

現代のグレゴリオ暦のカレンダーの日付にとくに意味はない。小学生くらいなら誰でも来年のカレンダーを作って、利用することができる。しかし、旧暦と呼ばれるカレンダーは素人で作成するのは難しい。

現在、旧暦と呼ばれる暦(日本だけがそう呼ぶ)は正式には太陰太陽暦と呼ばれ、月の満ち欠けが軸となって、太陽との関係性のなか日付が決まっていく。月の一年354日と太陽の一年365日の差、11日をうまく工夫して月と太陽の運行どちらも取り入れた暦だ。明治五年1872年まで日本の国暦だった。その暦は東アジアの自然と調和した暮らしをする人にとっては道しるべだった。代わってグレゴリオ歴は太陽暦、つまり太陽の動きだけが軸となる。

今現在でも旧暦を元に季節行事を行う地域や神社は多い。たとえば沖縄で開催されているお祭りの多くは旧暦に基づいていることが多く、沖縄で売られているカレンダーや手帳には旧暦が記されているものが多い。本州でも私が住んでいる島根県を代表する出雲大社の神在祭は旧暦の神在月(10月)に合わせて執り行われている。

世界的にもこの太陰太陽暦を使用している国や地域はある。また太陰暦のみを使用している国も。イスラエルを中心としたユダヤ教では太陰太陽暦を用いているが、新暦9月もしは10月スタートになっている。これはおそらく小麦の栽培がその季節から始まるからだろう。変わって東アジアの暖かい地域(中国東南部から台湾、沖縄にかけて)では新暦2月ごろからコメ栽培がはじまるためだろう。

実は自然農や自然栽培を行う人の中で、この旧暦を意識して野良仕事に励む人は意外なことに多い。わざわざ、旧暦カレンダーを注文して、新暦のカレンダーの隣に飾って農スケジュールを組む。

旧暦では毎月1日は新月であり、14日は満月となる。朔日(一日)は必ず太陽と月と地球が一直線になる(新月)。そして28日でひと月が終わり、次の月へと代わっていく。そのため旧暦では日付がわかれば月齢がわかるようになっている。月の満ち欠けに合わせるように潮の干満、土中水分の上下動、女性の生理周期、昆虫などの動きが変わることは今ではよく知られている。それに応じて狩猟採集や野良仕事、そして生活をしていたからこそ、月齢が分かるカレンダーが必要だったのだろう。

春は1月から3月、夏は4月から6月、秋は7月から9月、冬は10月から12月となる。

新暦との大きな違いは閏月があるということだ。新暦には4年に一度のペースで閏日2月29日があるが、旧暦では19年に7度の閏月がある。この閏月はどこに入るかの決め方は非常にややこしく、これを理解するため中国の古代思想を学ばなくてはならない。

とりあえず言えることは、閏月が入ってくるとどこかの季節は3ヶ月ではなく4ヶ月となるということだ。つまり、春が長い年、夏が長い年、秋が長い年、冬が長い年など。旧暦の面白いところはここにある。たとえば新暦で季節を捉えていると残暑が厳しいと思っていても旧暦では夏が4ヶ月もある年であったり、暖冬な年だと思っていたら秋(もしくは春)が4ヶ月ある年だったりと、旧暦で季節を捉えていればいたって通常の年だと分かるのだ。

その年の季節の特徴が分かるため、中国黄河流域では昔から太陰太陽暦は農暦と呼ばれ、これを元に農作業を決めることが当たり前だった。この暦が4千年前からあるということはその頃には季節のパターンに合わせた農作業が決まってきていたのだろう。

この暦が日本にも6世紀後半に渡ってきた。この暦を導入したことで飛躍的に生産性が向上し、生活の質も向上し、天平文化が花開いたという。ただ中国と日本では気候に些細な違い(北京と京都の時差1時間分)があったため1685年に京都を軸に改暦された。それを貞享暦という。

さらに1842年に改暦された天保暦がいわゆる旧暦と呼ばれるもので、この旧暦を使っていたのは日本のみだ。こういう暦を地域暦と言う。

この改暦の度に二十四節気七十二候も少しずつ言い回しが日本独特のものに変わっていった。二十四節気七十二候もまた移りゆく季節を知り、繋がるきっかけで、人々は季節行事をもって、季節を喜び楽しんだ。これらは太陽の動きだけで決まるが、そこにどんな喜びを見出すかはその民族性による。

二十四節気は太陰太陽暦を作るときに太陽と月の運行のズレを閏月で補正していく上で、太陽暦で決まる二十四節気がなくてはならない存在。たとえば、冬至は必ず旧暦11月、春分は旧暦2月、夏至は旧暦5月、秋分は旧暦8月に入ると決まっている。こうしてできたズレを調整するために閏月が導入されるのだ。

日本の季節行事には月が主役になることも多い。また和歌に代表されるように月を主題とした文芸作品も多い。月の満ち欠けは季節の流れを知る上でも重要であり、満ちては欠け、欠けては満ちる自然界のリズムを感じるものだった。

植物を始め虫や鳥たちも月の満ち欠けに応じて、生殖活動や日々の暮らしを変えていくように、人々もまた月のリズムに合わせて暮らしていたのだ。だからこそ旧暦には単なるカレンダー以上の意味合いがあった。

二十四節気はただ一年を分節して、どう捉えていたかいう話ではない。各々の節気が持つエネルギーを季節の食材から頂くための印だった。地球の生き物として季節の太陽と月を感じ、風を見、水を巡らせる。同じ民族の一員としてでカミを感じ、魂をゆずぶり、心を踊らせた。

自然と調和した民族は太陽の動きと月の満ち欠けを追いかけて、次の季節行事のために、今できることを楽しんだ。十分に励んだ。そして、やってきた節気を盛大に祝ったのだ。

ヒトという生き物は地球の循環の流れから見れば、ただの単なる有機体であり、死んでは生まれ、生まれては死ぬ存在。終わりもなければ始まりもないただただ物質が巡っていく中での、ひとつの姿形に過ぎない。

太陽の動きと月の満ち欠けは私たちヒトの都合や思いとは関係なくずっと昔から、ずっと未来まで続いていく。それは単なる物理法則のもと、宇宙の絶対的なルールのもとたゆまなく続いていくだろう。

しかし、そんなヒトはその現象のなかに出来事を生み、その出来事の中で生かされ、出来事を生きていく。それが物語となり、神話となり、文明となっていく。こうして単なる現象は出来事となる。単なる現象との間に意味や県警が生まれるからこそ、出来事となる。それが季節行事のはじまりだ。

現象はただの車窓からの景色のように過ぎ去っていく。
しかし、出来事は私の心身に衝撃を与える。私たちは出来事に出逢う。心が踊るとき、魂が揺さぶられるとき、現象は出来事になる。

アニミズムはパーソナルなカミを大切にする信仰だが、それを他者との中でも共有することができる。同じカミを信仰するからこそ、同じ民族となりうる。個人が個人でありながら、それを超えていく自由がそこにはある。そのはじまりが神話であり、のちに宗教となり、物語となって現代にも生き続ける。

旧暦には自然と調和した暮らしのなかで育まれていった物語が刻まれている。その一つ一つを感じることができれば私たちもまたもう一度自然と調和した暮らしを楽しめることだろう。そして彼らと同じようにこの地球を、いや宇宙を眺めることができるに違いない。旧暦にはそんな魅力がある。

~今後のスケジュール~
<自然農とパーマカルチャーデザイン 連続講座>
・沖縄県本部町 2月11日~12月1日
・沖縄県豊見城市 2月10日~11月30日

・京都府南丹市 3月16日~11月16日
・京都会場 無料説明会 2月17日

<自然農とパーマカルチャー1日講座>
・岐阜県岐阜市 4月21日 ※非公開

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