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【小説】夜明けの新宿とお姫様

有名になるって、どんな気分ですか?

鳥になったような気分だよ。御伽噺に出てくるような青い鳥に。

自由を手にれたのですね

と思うだろ?けど違うんだ。名誉と引き換えに自由を奪われた。かつて青い鳥が入っていた鳥籠に逆に閉じ込められ、自由を手に入れた青い鳥はあちこちに飛んで私の名を吹聴する。
私の名と作品を知った人間が籠の前に並び挨拶もままならず「他の作品を見せろ。ないなら作れ。その間の世話は私が見る」と命令する。私はそれに従う。相手の納得のいく作品を作り終えてもまた別の人間が現れて同じ文句を繰り返す。私は身体に鞭打って寿命を担保に創り続ける。時折籠の隙間から空を縦横無尽に飛び回る鳥を睨んではため息をつく……。それでも君は私と同じ道を選ぶのか?

はい。こんな場所にいたら窮屈なだけです。世界を知らないまま死んでしまうくらいなら、全てを捨て貴方の築いた地獄を堪能したい。

……アッハッハッ!!最高だ。純粋無垢な少年の貴い人生を狂わせるほどの作品を私は生み出していたのか。狭苦しい鳥籠の中からでもむじなに声は届くのか!!

ええ、極上の狂気を添えて。

気に入った。そこまでの覚悟があるなら、私は君を拒む。そして君はもう1度ここに来るんだ。もし自力でたどり着くことが出来たならーー私の地獄を見せてやる。


「違うんだよな……」
フォルダをスクロールする作業を始めて何時間経っただろう。西日が僕のうなじを照らし始める。19歳。恋人なし。自称カメラマンのフリーター……胸を張って言えるプロフィールがない。
8畳1間のワンルーム、2階角部屋で、唯一の資産であるAsahi PENTAX K2を一瞥する。こいつを使い始めてからもう8年経つが、正直なところ僕はカメラに興味があるわけではない。
僕が私淑する人物に少しでも近づくためにカメラが必要だったにすぎないのだ。

僕がまだ小学生だった頃、母に付いていったショッピングモールのイベントホールでその人の作品と出会った。
それは市内の写真コンクールの作品展だった。その人の作品は優秀賞でも最優秀賞でもない、その他の投稿者の中にひっそりと並んでいた。
何気なく見る分には『綺麗な写真』の1つだが、立ち止まり写真とじっくり向き合い続けると、まだ目覚めていない欲を刺激されるような、そんな感覚に囚われた。

コンクールのテーマは『生活』で、他の作品は急須、庭、歩道橋、花畑に公園、文字通り生活の一部を自己流に切り取っていた。
しかし、その写真が切り取っていたのは山積みの煉瓦だった。詳しく説明すると、斎場の焼却炉を隠すように建てられた囲いだ。
囲い全体を映しているが、ピントは囲いでも煙突でもなく、右端の草地で欠伸をする野良猫に当てられていた。猫の毛は灰色で、瞳はブルー。この猫の瞳には見えているのだろうか、数日前までこの世に存在していた魂の正体が。
ここに展示されている写真全てに一言評価コメントが添えられているのに、この写真だけコメントがなかった。
写真を見つめてから母が来るまでの間の記憶は何一つ残っておらず、気がついたら僕は車の後部座席で深い眠りについていた。

そして現在、昼間はコンビニ、夜はスキマ時間でシフトに入れるアルバイトアプリを駆使して居酒屋の単発バイトを転々とし、休みの日や夜中に東京近辺へ赴き無心に写真を撮るという生活をしている。
被写体は主に街の一部で街灯だったり個性的な構造の建築物、タイムスリップしたような気分になる古き良き個人店だ。
ここ数年で撮りためたものを厳選して小冊子にして同人販売会に出品するようになった。回数を重ねるごとに写真仲間ができ、昨年からテーマを設けて撮影をするスタイルに変わっていった。

今回のテーマは“新宿が眠る時“
冊子の中身は閉店後の店や看板のネオンが切れかかる瞬間など眠らない街が目を瞑る瞬間の写真を撮り溜めたが、肝心の表紙の写真が撮れていない状況だ。
印刷所への納品の最終締め切りが2週間切っているのに表紙データがないとは致命的である。
さて、どうしたものかと唸っていると、着信音と共にタブレットの画面に薄紫色の鳥居のアイコンが表示された。写真仲間のDからだった。
「どうよ進捗」
通話が始まると挨拶も無しに経過確認をされた。彼も納期間近だから焦っているのだろう
「表紙になる写真が撮れない」
「今回のテーマは?」
「新宿が眠る時」
「革命でも起きない限り無理な話だ」
「そっちは?」
「絶対リョウイキ」
「当て字は?」
「涼しい閾値いきち
「……けっ」
「バカにしたろ。まあいいさ、東京を官能的に映すことができるのはこの俺しかいないんだから。俺の手腕で観るものを翻弄してやるのさ」
「いや、しゃっくりが出ただけだ。とりあえず公然わいせつ罪に引っ掛からないよう祈っといてやるよ」
「そりゃどうも……満足のいく写真がないのなら、新宿の姫でも撮ったらどうだ?」
新宿の姫?初めて耳にする単語にどう反応すればいいのか迷ったが、素直に疑問をぶつけた。
「地雷や量産系の亜種か?それともナンバーワンキャバ嬢?」
「いや、その名の通り姫だ」
「は?」
「いいからこれ見ろ。俺は撮影してくるから、じゃあな」
Dはそれだけ言うと一方的に通話を終了した。送られてきたURLを開くと、掲示板サイトのスレッドが表示された。


【新宿の姫に会ったことある奴おる?】

1:ゴールデン街のとあるバーで聞いた話なんやが新宿に会えば何でも願いが叶えてくれる姫がいるらしい。半信半疑やから情報あったらクレメンス

2:ワイも聞いたことある。あれ都市伝説じゃないのか

3:俺の先輩が姫に逢ったことある。ちなその先輩の夢は『世界一周したい』で現在る○ぶの海外担当になって先月からヨーロッパ行ってる

4:>3 これ本当だったらすげぇ

5:>4 本当やぞ。高校から知ってる人で英語力は抜群だった。でも家の事情で留学に力入れてる大学行けなくて落ち込んでたけど、なんだかんだで卒業→語学力でIT系に就職→仕事に馴染めなくて休職→ヤケで新宿歩いてたら姫に会って背中押されて辞職&転職活動で成功。俺も姫に会いたい

6: はえ〜ワイも会いたい…夢ないからどうやって生きたらいいか教えてほしいンゴ

7:> 6 それな。仕事行って帰ってアニメ見るくらいしかやることねぇ

8:お前らとりあえず新宿来いよ

9:行きたいけど歌舞伎町怖い

10:>9 ステップ1からつまづいてて草


今見ているのは数あるスレッドの1つであり、これ以外にも他の掲示板サービスや、質問サイト、個人ブログなどインターネットを媒介に姫について語り継がれているらしい。
中には冷やかしの記事やコメントもあったが、共通して語られている事もある。僕個人での判断は困難だと悟った。
情報を募る価値だけでもあるかもしれない。僕はSNSに以下の投稿をしてから眠りについた。

[@HimatsubusHi_55]
とある事情で「新宿の姫」に会わなければならない状態になりました。姫について知っている方がいましたらリプかDMにて情報提供をお願いします。
25**/16/32 23:67
リプライ 引用ツイート リツイート いいね!

翌朝、アラームを止めようとスマホの画面を見たらSNSの通知で埋め尽くされていた。
何が起こっているんだと、SNSのページへ飛ぶとそこに昨夜の問いかけの応えが映し出されていた。

[@HimatsubusHi_55]
とある事情で「新宿の姫」に会わなければならない状態になりました。姫について知っている方がいましたらリプかDMにて情報提供をお願いします。
25**/16/32 23:67
リプライ 32 引用ツイート40 リツイート100 いいね!461

新規ダイレクトメールも10通以上届いていた。この反応が新宿の姫の存在を決定づける事となった。
届いたダイレクトメールは一通り目を通し、冷やかしを除く数名とやり取りをし、きちんと応対をしてくれて、かつ直接会って話を聞いても良いという4人から話を聞くことになった。
以下、僕が実際に取材した人達のやり取りをまとめたものである。


[1人目]
最初に話を聞いたのは新宿を中心に活動をしている劇団「ポンペイ」の団長マイルドペッパーさんだ。彼は最初にメッセージをくれた人物で丁寧にメールアドレスも添えてくれた。
マイルドペッパーさんは鮮やかな緑のツナギに黒のハット、厚底ブーツという独特な服装をしており、どう見ても58歳には見えなかった。

ー新宿の姫ね。懐かしいなあ。彼女は夜にしか現れないんだ。

夜だけ?お姫様が出歩くには物騒じゃないですか?

ーそりゃあ、姫はお城から抜け出すからだよ。普通のヒトの活動時間が昼間で夜は休む時間だ。彼女の国では夜に出歩く人間は門番や執事、メイドしかいない。だから昼間も夜も独立世界がある新宿ここが選ばれたってわけ

あなたは姫に会ったんですよね?

ー会ったよ。マックでコーヒーを買ってビルの隙間で換気扇を机に劇の台本を書いてる時、彼女が現れた。「何を書いてるの?」って。それでね、教えたんだ。当時書いてた話を

それはいつ?姫ってどんな感じなんですか?

ー俺が劇団やりたいって思った頃…30なってたかなぁ。彼女は、21か2…そこら辺だったよ。
第一印象は旅人みたいだった。孤高の旅人よりは誰かと一緒に旅をしているタイプのね。茶色い髪を後で一つに結んで、その日の夜空を映し取ったような藍色のワンピースを着て、ローファーみたいな靴を履いてた。

日常に溶け込んだんですね。姫から台本の感想は貰えましたか?

ーああ、忘れもしない。「これを書き上げたら何も変えないで、そのまま上演して!」ってね。一言一句ハッキリと言ったんだ。
そこまで大声じゃないのに、彼女の目を見たら本物だって確信した。俺は彼女の言うとおり話の内容は変えずそのまま完成させて劇団サークルに入ってる1人に見せた。そしたら「次の公演はこれでやりたい」って二つ返事で決まった。

正直俺は何が起こったか全く理解できていなかった。でも鈍ってた歯車がまた動き出したんだと思ったね。
四季は見えないけど、こうして居場所を作って狭い中でも俺の作品が好きだって人ができただけでも嬉しいもんだ。姫に感謝しなきゃ。

[2人目]
2人目は初台から徒歩10分の場所にあるアパレルショップ『なごみ』の地下にあるサロン『Concordia(ラテン語で調和を意味する) 』のネイル担当、サキさんという女性だった。
サキさんは28歳で、7つ上の旦那さんとタトゥーとネイルという特殊なサロンを経営してる。旦那さんが彫師でサキさんがネイリストだ。
余談だが、地上にある『なごみ』は呉服屋で、商品単価はもちろん客層も桁違いの店だった。銀座や丸の内で行われる“ちょっとした食事会”のために着る着物を誂える店と同じ建物に肌と爪に藝を施すサロンが共存しているというアンビバレントな空間に慣れそうに無かった。

サキさんは目元が濃いメイクに金髪をポニーテールにしている。服は黒いワンピースでスカートの一部がシマウマ柄(ゼブラ柄だし!と笑われた)だった。姫に会ったのはサキさんが17歳の頃で。ギャル全盛期だったらしい(今もギャルっぽい)

ーあん時アタシは絶賛反抗期で、親も学校も信じてなかった。誰かに指定さされた世界よりも自分で世界を見つけたくて必死だったんだ。そこである日さ、勢いで東京へ家出してみたの。とりあえず東京に行けば何か見つかるって思って。憧れの渋谷に行って、109入ってみたり本物のギャルを見たり、そして夜は新宿へ行ったの。
一通り歩き回って、歓楽街の近くのコンビニで純粋に笑う10歳位の少女と会ったの。黒髪ボブで前髪ぱっつんの可愛い子でね、薄紫のニットに黒いスカート、ショートブーツを履いてた。アタシが被ってたボアの帽子に興味津々でさ、貸してあげたんだぁ。え、ボアの帽子が分からない?青山テルマって知らない?あの人が被ってるようなふわふわした帽子。
そんなこんなで仲良くなってコンビニでお菓子やジュースを買い込んで、公園のコンクリートの山をした遊具のトンネルの中で夜が明けるまで話した。

どんな事を話したんですか?

ーアタシが一方的に色んな愚痴言っただけよ。ギャル好きだけどセンスあるわけでもない。でも自分の好きを発散できる何かになりたいって。支離滅裂な事も言った。
その子は、うんうんってずっと聞いてくれて、私が話し終えると「サキちゃんがセンスを作れば?」って言ったの。
その言葉がドンピシャに刺さって、鷹みたいに鋭い勘を持ってて凄いって思ったし怖かった。

でも、アタシをずーーーっと苦しめてたものが消えたんだよね。かさぶたがなくなったときみたいにスッと。あれって1回存在を認めるとちょっと掻いて剥がれて滲んでまた新しいカサブタができて……って繰り返されるけど、いつからか気にしてることも忘れて、あれっ治ってる?ってなるじゃない。あんな感じでアタシの心のカサブタが消えたの。
それからアタシは高校を卒業して美容の専門学校に通った。そして渋谷のサロンで働くようになって、相席の居酒屋で旦那と会って、今ここにいる。

ーここで普通を求めてはいけない。普通から逃れた人たちが集う街だからね

隣で話を聞いていた旦那さんが呟いた。彫師といえばゴリゴリなマッチョの人を想像していたが細身で色白かったのが印象的だ。
外国人のような白さに漆黒の入墨が鮮やかに映えて眩しかった。耳は数えるのが疲れるくらいのピアスが空いていた。

ー特にアタシらの住む地区は、個性の異種格闘技場みたいなものだしね。勝ちも負けもないけど己を守るためには何だってするっていう野心が強い人ばかりだよ。だからこそ救われる誰かがいる。例えば君とか

と、サキさんは夢を散りばめた指先で僕を捉えた。

僕ですか?

うん。だって、来たときと今で表情が違うもん。

どんな風に?

秘密基地を作ってる子ども。

[3人目]

3人目の花守さんは新大久保の飲み屋街から徒歩10分ほどにある古ビルで「クランベリヰ」という本屋を経営していた。チェーン店でも個人店でもなく、ありとあらゆる“マニアの人”が個人的に作成した冊子の委託販売を専門としている。
ビルは築54年で3階建。一階が店舗で2階と3階が自宅になっている。2階は客間も兼ねていて、友人や常連が時々集まって夜が明けるまで好きなことについて語るそうだ。
花守さん本人も癖のある話し方をしていた。地元は特に強い方言はないと言うが、語尾が下がる。一人称も「某」それがしで不思議な人物だ。人間界よりファンタジーの世界の方が向いてると思う。

ーお姫様でしょう。あれは10年‥‥いや、もう少し前かな?それがしが働く理由が分からなくなったから勢いで会社辞めた時だ。

勢いで辞めるってすごいですね。

ーだって東京だもん。いくらでも変わりはいる。赤羽の飲み屋行って、社会復帰したいっていうおじさん何人かをスカウトして、会社に連れてって「はいそれがしの代わりね。よろしく」ってやったんだ……そうそう姫様のことね。
辞めた直後は昼間の新宿を練り歩いて飲んで適当に寝て…って適当に過ごしてた。

そんなある日、ヴィレッジヴァンガードで黒魔術の本を立ち読みしてたら姫様が隣にいた。大学生だったのかな?長い黒髪を高い位置で二つ結びにして赤いリボンで結んでた。そしてアディダスかなんかのメンズ用パーカーをダボって着て、いかにもサブカルの姫だった。
姫はそれがしに言った。

「あなた魔法使いなの?」
「これからなるところかなぁ。君可愛いから悪い魔女に気をつけて」
「うん。わかった…」

姫はイマイチ腑に落ちないって表情を浮かべた。たこ焼き食べたのにタコ入ってない気がするって時みたいな…わからない?まあいいや。そこで某は「どうした?」って聞いてみた。
「魔法使いよりは、魔法使いのためのお店が向いてると思うな」
「魔法使いのための?」
「うん。この店を少しスッキリさせた感じ」
それがしは店内を見渡した。確かにいろんなものがゴチャゴチャ連なってるのがヴィレッジヴァンガードだ。これを少しスッキリさせるって何だ?
「スッキリさせるって何を?売るもの?」
「そう、売ってないけど売りたい人のを置けばいい」
「委託販売ってやつか」
「イタクハンバイ?美味しいの?」
「うまくいけばな」

こうして、それがしは開業して間もない個人出版社の社長と繋がって業務契約をして、出版願望のある奴らを掲示板で募ったんだ。そして今に至る。

掲示板って?

ーmixiとニコニコ動画のブログで募集した。そこら編の連中は何かしら作って発信したいけど界隈だけで十分ってやつが多いからな。
…そうだ、結末を教えなきゃな。姫の伝説は「願いを叶えてくれる」ってやつだろ?その答えはイエスでありノォだ。

どういうことですか?

それがしはこの店に居ることが日常になってから「これが夢だった」って気づいたクチなのさ。なんだかんだで五十路になってた。
……そうだ、君の写真集もよかったらここで売ってみれば?

[4人目 ]
次に会ったのは中野にあるジャズバー“Cave Kitchen”の店主、嶋田さんだ。彼が今回話を聞く最後の人で、最年長の70歳だった。最初は喫茶店だったらしいが、段々とバーに変わったらしい。
共同経営している3つ上のお兄さんは5年前に他界し、それ以来は基本一人で切り盛りし、時々常連が交代で店舗に立ってくれるそうだ。
このバーは路上ミュージシャンの溜まり場でもある。皆マスターが好きだからここでは店とマスターに忠誠を誓う。不思議な空気がこの店に漂っていた。

ー先に会ったのは兄です。兄が姫に会うまでは互いに深く関心を持ったことなんて一度もなかった。
所属する部活を認知してたくらいでしょう。私が野球で兄がバレー。それ以外の事情ー敬愛する哲学者から女性関係に至るまで何1つ知りませんでした。

昔は仲良くなかったのですか?

ーいや、悪かったのではなく、単純に聞かなかっただけです。お互い趣味に貪欲で、趣味に夢中な時はそれ以外のことはすっぽりと頭から抜け落ちてしまうのです。だから日常会話も最低限ですし喧嘩も全くありませんでした。
しかし兄弟間に限らず、同期や上司など外の世界の人にも同じ温度で接していたので友人らしい友人はほとんどいません。兄弟揃ってね。

兄弟ってやっぱりどこかの点で共通するものがあるのですね

ー確かにそうですね。当時は我々はそんなこと全く考えた事もなかったです。
なので二人で共同で喫茶店を開く事も誰も想像しませんでした。私達自身が特にそうでした。
あぁ、姫の話でしたね。実際に出会ったのは兄でしたが、出会うまでの過程が少し長くなります。それでもよろしいですか?

かまいません。何時間でも。

ーありがとうございます。それでは眠気覚ましに濃いコーヒーを淹れましょう。

嶋田さんはそう言ってキッチンに移動して用意を始めた。慣れた手つきでコーヒーを淹れる姿は優雅で見とれてしまった。
カウンターに2人分のコーヒーが置かれると嶋田さんは僕の隣に座った。

ーさて、始めましょう。姫に出会う数年前兄は当時大学生でした。早稲田大学の文学科で英文学を学び、翻訳のアルバイトをしていました。
兄はジャズが好きで通っていたジャズ喫茶である女性と出会い、瞬く間に交際に至ります。
彼女は、東京藝大のジャズ専攻でサックスを吹いていました。
彼女の見た目は普通の大学生で、群れることを苦手としマイペースに過ごす方を好む方でした。しかし、兄は彼女を『普段はおっとりしてコアラのようだが、楽器を片手にすると荒野を疾走する獅子のようだ』と言いました。
話半分で聞いてた私は、恋人ができた嬉しさから色眼鏡でそう見えるだけだと受け流しました。
その年の秋、二人が出会った例の喫茶店が閉店することになりました。その閉店コンサートで彼女がサックスを演奏するというので、私はどんなものかと好奇心でコンサートに行くことにしました。
彼女にも本番前に対面しましたが、確かに品のあるお嬢さんという印象を持ちました。
その日の彼女はシックなブラウンのワンピースを着ていました。スカートと袖の端に白いラインが走っており、胸元にゴールドの花のペンダント、ブラウンのパンプスを履いていてどこからどう見ても親に十分に愛された娘でした。サックスよりもバイオリンを嗜んでいそうな雰囲気です。
しかしその印象は数分後裏切られました。コンサートは進み、彼女の名前が呼ばれステージに上がりました。サックスを手にステージの中央に佇む彼女の姿は上品なお嬢さんではなく、獰猛な獣です。三日月のような弧を描いてた目は爛々とし、獲物を捉える獣そのものです。豹変より本性が現れたと言ったほうが的確だと思いました。
私だけでなくその場にいた人間全員が彼女の鋭い視線と風格に圧倒され一瞬で静寂が広がりました。
彼女がその日演奏したのは『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』『バルバドス』『オータム・リーブス』の3曲でした。
静謐の中に潜む官能を引き出し、あるべき姿に整えこの場に開放させてしまうような、演奏です。

その時の映像や録音は残っていますか?

ー残念ながら音や映像の記録はしていません。あの喫茶店のゲスト達は良い演奏を自身の耳を通じて聴いて感じることを美学としていました。録音目的以外の演奏以外は一切記録をしていません。
その日をきっかけに、彼女の才能は海外に知れ渡り、ドイツのジャズ楽団からスカウトを受け日本を去りました。

お兄さんはどうされたのですか?

ー兄はついて行きませんでした。代わりに、彼らは形見分けをしてそれぞれの人生を歩むことにしたのです。兄は翻訳のアルバイトで、使っていた辞書と万年筆を贈り、彼女からは学生時代に愛用していたサックスとあの日演奏した3曲の楽譜が贈られました。
彼女がドイツへ行ってしまってからの兄は放心状態でした。朝5時に起き23時には寝るという規則正しかった生活は逆転し、明け方に眠り、深夜に目覚めるようになりました。
親や知人も兄の変わり様を心配していましたが、彼の職業は翻訳家でしたので期限さえ守れば何時に作業を行っても良いのです。兄は何があっても与えられた仕事をこなしたので、次第に皆もその生活スタイルに慣れました。
そんなある晩、兄は姫と│邂逅《かいこう》したのです。
兄は例の喫茶店で知り合った常連の1人からおすすめされた新宿のバーに行きました。ゴールデン街と新宿の中心の間にある店で、ゲイのカップルが経営していました。店内は個性的で、壁紙、床、カーテン、カウンターは黒く、椅子にカップ、クッションといった小物は真っ白で統一されており、本棚は詩集しか置いていなかったそうです。世界中津々浦々の詩人の詩によって店が守られていました。
ジャックローズを片手に室生犀星の詩へ浸っていた時に彼女は…姫が現れました。
彼女は兄の隣の席に座り、ギムレットを注文しました。そして兄と目が合うとニッコリと笑い「音楽は好き?」と質問しました。
彼女の姿を目にした瞬間、兄は謎の緊張と懐かしさが混ざった感覚に陥ったそうです。
具体的にどういったやり取りをしたかは忘れてしまいましたが、簡潔に説明すると、ドイツに渡った彼女を想う男に姫は「音楽で繋がってるならその音楽を守る場所を作ればいいじゃない」と言ったそうです。
そして兄は当時大学に入学したばかりの私を巻き込み、喫茶店を中野で開きました。彼女との美しい記憶をほだすために。
それから40年以上、この場所でひっそりと店を続けてきました。兄が亡くなった時は悲しみよりも労いの感情が出てきました。葬儀は家族と常連数名で執り行い、彼女の形見であるサックスのリードと楽譜を棺桶に入れました。
これで兄も彼女も思い残すことはないでしょう。


十分すぎる証言が揃った。ここで不思議なのが姫の性格や言動は大体合致しているのに、容姿に関しては全く統一されていないのだ。
第一に彼らが出会った年や彼らの年齢層もバラバラだ。姫は10代〜20代前半の容姿をしている。嶋田さん(兄)はカクテルを共に飲み、サキさんはコンビニでジュースを買って公園で語ったと言っていた。
どれが本物の姫だ?でも姫以外の共通点はみんな迷っていた。そこへ彼女が現れて在るべき場所へと導いてくれた。
それじゃあ姫ではなく魔法使いじゃないか。少女という借り物を着込んだ……借り物?
もし姫が彼らの願望のイデアだとしたら?魂だけが継続していたとしたら辻褄が合う。仮にそうだとして、今彼女はどこにいる?
僕は夜中の新宿へ飛び出した。どこにいるかわからない。目的地なんてない。だって姫は気まぐれでワガママですぐ考えを変えてしまう。しかし夜の新宿にいるってことだけは頑なに変えない。徘徊すれば僕もいつか逢えるはずだ。
駅、バスタ、世界堂、代々木公園、歓楽街……思いつくままの新宿を駆け抜けるしかない。区画が定められていてもこの街の風俗と歴史は奥深くまで続いている。
僕は路地裏に迷い込んでいた。どうやってここにたどり着いたかも覚えていない。何よりここは新宿なのだろうか?音という音が消失している。光は見えるのに、歓楽街から離れていても何かしらの音ー室外機の駆動音や投げ捨てられた空き缶が転がる音は聞こえるはずだ。
背後から物音が聞こえた。人の気配もする。音のする方を見渡すと、建物の隙間に少女がいた。見た目は大人っぽいが、こちらを見る目はとろんと垂れており幼さが残っている。中学生くらいだろうか。
「あ、みつかっちゃった」
裾に花の刺繍がされた白いチュニックに、デニム、黒のスニーカーというラフな格好をしている。栗色の髪は癖毛らしくふわふわしていて、ポニーテールにしていた。
「……姫?」
ネオンに反射して彼女は発光しているように見える。実際に光っていたのかもしれない。それよりなんで僕は彼女を姫と認識したのだ?
「追いかけっこ!」
少女はそう言うと闇に吸い込まれた。僕は慌てて後を追いかけた。
ビルの隘路をくぐり抜け、入り組んだ住宅街を迷路の如く通ったと思うと、駐輪場にリンクする。ひさしの上に降り立った時は流石に恐怖心が勝ったが、地面を見ないようにして追いかけた。
僕達は腐った商店街にいた。かつて栄えていたのだろうが、今は生気すら感じない。商店街の看板は文字がほとんど消え「ウ」と「キ」の2文字がかろうじて残っている状態だった。元の名前を考える気は起きないので「ウキ商店街」と呼ぶことにした。自販機が倒れて、シャッターには誰かが描いた下衆なグラフィティが踊っていた。仄暗い世界に浮かび上がる紫の“GENIUS“と“KARMA“が唯一の生き物だ。
姫はそんなものには目もくれず、商店街の中で1番古参であろう平家の建物の前で立ち止まった。体感で20分ほど追いかけっこをしていたはずなのに、彼女の息は切れていない。
「まだいる?」
振り返り僕が頷くのを確認すると、微笑んだ。そして身体をしなやかにひるがえし、右足を軸に回転させて錆びた扉を蹴り飛ばした。
扉は鈍い音をたて内側に倒れ、鉄と金属が擦れ合う嫌な音が響いた。
姫は満足そうに頷き空洞を指差すと中へ入った。
姫の定義を疑いたくなった。

中に入るとまず螺旋階段が目に入った。階段は下に通じており、それ以外何も見当たらないので降りた。
一段下がるごとに、体が軽くなっていくのを感じた。自分を頑なに縛っていたモノが玉ねぎの皮のように1つずつ外れて本来の自分に戻るような感覚だ。
降りきった先はウキ商店街に負けないくらいの虚無が広がっていた。体育館倉庫を一回り大きくしたくらいの広さで、コンクリート打ちっぱなしの壁、割れた灰皿、針の消えた時計、木製の梯子、役割を放棄した裸電球、苔に束縛される植木鉢、アダムとイヴに見捨てられた林檎が散らばっており、その中心に無垢な少女が立っていた。
僕は彼女と対面する。
「ようこそ我が城へ」
「ご招待いただき光栄です。姫」
「それにしても、よくここまで来れたね?自力で私の姿を見つけた人なんてあなたが初めてよ」
「というと?」
「私は無意識に呼び出されるの。意識的に会いたいと思われても、その人の前に現れることは不可能」
「では僕が今あなたを見ることができるのは、意識と無意識が同時に発生したということでしょうか」
「そう考えた方が的確ね。あなたの知りたいのはそれだけじゃないでしょう?」
「はい。教えてほしいんです。新宿の姫伝説を」
彼女はキョトンとした顔をした。もしかしてこの子は新宿の姫の噂を聞いたただけの少女だったのか?
不安になる僕を見て、彼女はニヤリと笑うと「幸運な貴様に教えてあげましょう」と言った。

「その人の心の奥底にある本来なるべき姿…劇を作るとか、不思議な店を開くとか、人を綺麗にして幸せにしたいとか、上から抑えつけられたものを跳ね返して出てこようってなる瞬間に私は現れて、その子を外に出す手伝いをするだけ。だから9割はその人自身の力なの」
「少女の姿で現れるのは?」
「その方が警戒心も緩むでしょう?憑依するのは動物だったら何でもいいんだけどね…ネズミでもカラスでも、サソリでも。だけど、それだと意思疎通の手段が限られるし、相手にすらされない。だから間を取って無垢な少女の身体を借りてるの」
「借りてる間の女の子はどうなるんですか?真夜中に家にいないなんてリスキーすぎる。特に未成年の子は」
「その子が寝てる時間帯に借りてるから問題ない。それに借りたお礼にその子は何が起きても絶対幸せになる約束がされるからね」
階段から陽の光が差し込み、死んでいるはずの虚無が輝き始め、辺りは光の絨毯になる。夜明けだ。
「もう時間だね。楽しい時間はすぐ過ぎちゃう……」
姫は光を見つめながらか細い声で呟いた。借りた少女ではなく姫自身から放たれた声だった。
「そうだ、あなたの夢聞いてなかった。夢はなぁに?」
「僕の夢?貴方の写真を撮ることです」
僕は首から下げたカメラを掲げ、ファインダー越しに姫と見つめ合った。
彼女は姫らしい凛とした表情を浮かべると、スニーカーを脱ぎ裸足になった。そして音を立てず光りの中へ姿を消した。その瞬間シャッターを押した。


数年後。

下北沢のとあるギャラリーで合同展覧会が開かれていた。展示物は絵画、写真、陶芸など創作物なら何でも可。応募者もプロ・アマ問わず幅広い人の作品が展示されている、大規模なイベントだ。

灰色の造花と色鮮やかな動物のオブジェでデコレーションされた入り口に、セーラー服の少女がいた。ポニーテールにした栗色の癖毛と、垂れ目が彼女の特徴だった。
50ページもある厚いリーフレットを片手に案内板に沿って少女は展示物を鑑賞した。
絵画ブースを見終わり、写真ブースへと移動した。最初は風景の写真がずらりと飾られている。貝殻、石、一枚板、段ボール箱……多様な素材と切り取られた風景が混じり合い、小さな宇宙が広がっている。
写真単体で見るとどこにでもある光景だが、組み合わせる素材によって受ける印象が異なることに興趣をそそられた。
(久しぶり)
少女の耳に声が届いた。
「……え?」
意識を写真から現実に戻し、立ち止まる。誰かに呼ばれた気がして辺りを見渡すも、彼女に向かって話しかけようとする人はいなかった。
思い違いだ、と少女は受け流し再び歩き始めた。次のテーマは建物らしく、レトロな外観のビルや平屋、倉庫など様々な建物の写真が展示されていた。
日本にもこんな建物が存在するのか。と素人感想を浮かべながら歩いていた矢先、少女の足は動きを止めた。厳密に言えば、ある写真を視界に入れた途端、体が動かなくなってしまった。
直感で目を逸らしてはいけないと悟った。
その写真は展示されているどの作品よりも威厳と風格が抜きんでていた。
廃墟の中央に螺旋階段、地上から陽の光が差し込み、少女の後ろ姿が写っていた。しかし陽の光の方が強く、少女の姿は光に奪われ輪郭が残る程度だった。裸足が唯一彼女の存在を決定づける。
「ここ……知ってる」
少女は目前に立ちはだかる藝術にデジャヴを感じていた。初めて見た写真なのに…何で?
目を瞑ると切り取られた場所の風景、匂い、触感がすぐ思い出せる自信があった。
「……この写真素敵よね?」
振り返るとベリーショートの女がいた。彼女は煉瓦色をした半袖のサマーニット、黒いスキニージーンズ、にショートブーツを履いていた。中性的なビジュアルで、声を聞かなければ即座に性別を判断することは不可能だろう。左手首と唇のピアスが照明を反射している。

「はい。どんな人が撮ったんだろう。撮った人はこのモデルがどう見えてたのだろうって考えてしまいます。この人がフィルター越しにこの場面を見たように、私も何かを通してこの人が見える日常を……見たい……です」
少女は語るうちに自分の言う言葉に恥じ、語尾が小さくなった。私は初対面の人になんてことを語っているのだろう。
「嬉しいなぁ。照れちゃう」女はそう言って頭をかいた。
「……まさか」
少女は手元にあるリーフレットを開き撮影者のプロフィールのページを開いた。数多い参加者の中で1番の面積を占めていたのですぐに発見した。彼女がたった今称賛したのは「陰陽の奇術師」として全世界で話題になったカメラマンだ。
20歳で人生で初めて応募した海外の写真コンクールで最優秀賞を受賞。瞬く間に世界中で話題になったが、性別も国籍も経歴も全てが非公開で、メディアどころか展覧会にも顔を出さないとして有名だった。
名が売れても、全世界のありとあらゆる展示会や写真コンクールに応募するため風来坊とも呼ばれている。
宣材写真は横顔のシルエットで舌先がちろりと出されているだけで性別、出身、経歴、全てが謎に包まれた存在。最近は生ける伝説との共同写真集の撮影のために世界を飛び回っていると噂されていた。
少女は初めて感じる昂りを抑えながらリーフレットから顔を上げ、再び女性と向き合った。
彼女は宣材写真と同じく横を向き舌を出していた。

ー幸運な乙女に教えてあげる。自由を手懐けたお姫様の話


素晴らしき原作

【詩】夜明けの新宿とお姫様/笠原メイ

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