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♤8 自己犠牲


あんまりだれかを崇拝すると、本物の自由はえられないんだぜ。
ムーミン谷の仲間たち
気が向けば、帰るさ。もしかしたら帰らないで、別なとこへ行くかもしれない。
ムーミン谷の仲間たち

私が人生の目標としているスナフキンの好きな言葉である。
スナフキンは、フィンランドの作家トーベヤンソンによって生み出された「ムーミン」シリーズに登場するキャラクターの1人。
深い緑の帽子とパイプとリュックサックがトレードマークで毒舌家。あちこち旅をして身軽に生きている。暖かい季節にはムーミン谷にやってきて、ムーミンたちが冬眠するころにはひっそりと姿を消して旅を始める孤高な旅人だ。
ムーミンは児童向け作品のため、ムーミンやスノークのおじょうさん等は「わからないけど、楽しい!」と言ったかわいい言葉で喜怒哀楽を表現する。しかしこのスナフキンは違う。児童文学の世界に居ても自分の信念を貫いている。「崇拝」という単語も児童文学の中では異質でしかない。

崇拝というと上に立つ者、尊敬する人物、近しい人だと推しも当てはまる。(界隈問わず)
しかし、潜在的な崇拝という存在を認知している人はどのくらいいるのだろう。
今日はその潜在的崇拝者について書く。

結論から言うと、私が言う潜在的崇拝者は学生時代の同級生を指す。
今月で大学を卒業して丁度1年経ったのでゼミを始め大学関係のグループと連絡先、学校からもらったメールアカウントを削除した。そして帰省するたび細々と進めていた学生時代の断捨離は連休で終わりを迎えた。
この作業は中学の卒業アルバムを解体した日を境に、学生生活の区切りとして行うようになった。
卒業して終わりでなはく後始末をすべて終えて本当に学生生活が終わるのだ。現在私の世界にある学生の記録は高校と大学の卒業証書と成績証明書のみ。

私は“学校コミュニティ”に頑なに馴染まない人間だった。小さい頃ずっと入院してて、病室の友達の入れ替わりが激しかったから『人間関係はころころ変わるもの』って考えが自然と身についたのが一番だろう。
それに加え個人主義な性格の家族.親戚の元で育ち、兄弟姉妹が存在しないが為に人間関係のキャパシティが狭く、人にのめり込まないという特性に磨きがかかった結果である。

なので「商材を売られそうになった」だの「結婚のご祝儀が」だの「お金貸してと言われ5万貸してしまった」といったトラブルを一切通らず今まで過ごしてきた。トラブルどころか普段の連絡もないのでスマホのバッテリーはくたばることもなく現役。

青春時代の残像をかき集めて、かろうじて繋がってる関係を何十年も継続すると「私たちの仲でしょ」と呪いがかかり、かつて煌めいていた友情は呪いに姿を変わる。
気がつく頃には臍を噛む事しか出来ないくらいだったら人間関係なんてドライでいい。ムーミンとスナフキンの関係みたいに。

四六時中一緒じゃなくて、1年のある期間だけ一緒にいて、それ以外は各々自由に過ごす(ムーミンは冬眠だが)、互いのタイミングがかちりと合った瞬間に会って過ごして互いに満足したらまたねと別れる。
それくらいで丁度いい。

私は今している『文章を書く』為の環境と自由を入れる為の空間を得るために学生時代とそれに付随する人間関係を手放した。
だから私は書き続ける。誰に認められたい、見返したいなんかじゃなく、こうして文を書く行為を習慣にして自分の中に溶け込ませたいから。

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