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いらっしゃいませは禁句「番台から I LOVE ゆ」

計算し尽くされた演出と挨拶の落差



先日、京都の八坂神社の真隣にある料理旅館に宿泊しました。

ミシュランガイドにも掲載されるお宿は、通りに面した見逃してしまいそうな格子戸を開けると、鬱蒼とした、山寺に続くような林の中に曲がりくねった石階段が広がり、その上に、入口が見える、まさに隠れ屋的な佇まいです。

格子戸の向こうの、大通りからは想像もつかない世界に、心躍ります。

石階段を登り、入り口の扉を引いて中に入ると、まるで田舎の古民家のように、おくどさんが並び、薄暗い土間のようなロビーが現れます。

good!、この旅館は正解だったなと、確信が頭をよぎった途端

”アルコール消毒と検温をお願いします!”と声をかけられました!

いいんですよ、このご時世です、気を緩めてはなりません。

しかし、高級料理旅館の出迎えの第一声が、いかにもマニュアル的なこの言葉はないのではないかと、せっかく上がっていたボルテージが下がってしまいました。

フレンドリーな挨拶はどうすれば良いか

接客業で、その施設の印象を決定づける要因として挨拶はとても重要です。

高級旅館ではなく、1日に何百人も来店がある温浴施設で、何人ものアルバイトスタッフが入れ替わる状況で、どうやって特徴を出そうか?マニュアルは大切ですが、フレンドリーな応対をするにはどうすれば良いのか、いろいろと悩みます。

ありきたりの言葉をマニュアル化してしまうと、愛想の良し悪しはどうしても属人化してしまい、むらのあるサービスになってしまいます。

そこで、以前運営を任されていた施設では、”いらっしやいませ”という挨拶を禁止にしました。

朝は”おはようございます!”

昼は”こんにちは!”

夜は”こんばんは!”

日常生活で、プライベートで使う言葉の方が、人柄が出やすいのではないかと考えたからです。

お客様の顔をみて、マニュアルではなく、自分の言葉で話す、定例の挨拶の後は、暑いですね、寒いですね、でも、桜が綺麗ですね、でも、今日は何か嬉しそうですね、でもなんでもいいので自分を出して欲しい。

挨拶は善意の表現であり、友好的な言葉であって欲しいいのです。

台詞を自分の言葉にする

冒頭の旅館ですが、全体の設は実に素晴らしく、計算されたものでした。

特にお料理は、旬の食材を活かし、細やかなこだわりが随所に散りばめられた見事なものでした。

この料理が運ばれてきた時に、その料理のこだわりや、食材の説明をしてくれます。

この説明が、より料理を楽しく、美味しくする重要なスパイスとなります。

この説明が棒読みか、自分の言葉かによってその質は変わります。

一生懸命覚えた台詞を吐き出すような説明だと、頑張れと応援する気持ちにはなりますが、心をうごかされることはありません。

名優と、大根役者では、物語の深みが全く違ったものになるのと同じです。

挨拶の言葉が、例えマニュアルであったとしても、その言葉を咀嚼して自分の言葉にする、ここが需要なポイントです。

おはようございます、こんにちは、こんばんは。

こんな簡単な言葉も、台詞でなく、自分の言葉であることを意識すること。

台詞のうちは、その言葉を吐くことで精一杯で、次の言葉も出てきません、台詞を自分のものにして初めて、アドリブも出てくるのです。

フロントに立つスタッフは、主役であるお客さまの日常に花を添える名脇役であって欲しい。

味のある名バイプレイヤーとして、粋な台詞を吐き続けたいものです。











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