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苦中の楽は芸術にあり① 永武さん

家に絵を飾ろうと決意した。お金はまだない。
福岡にある「みぞえ画廊」さんにもう4年近くひやかしに伺っているのだが、かなり久しぶりに足を運ぶことができた。
今日は永武(Wei Takeshi)さんの「胸さわぎ」という個展の最終日であった。戦後を思わせる荒地の中にシャボン玉を飛ばす少女がこちらを見つめる「風の〜」(さっき見たばかりなのにもう思い出せない)がいきなり彼の世界観に引き摺り込んできて、虚心坦懐に絵と向き合う覚悟をした。
描かれている人物は皆可愛らしいが、どことなく陰鬱とした背景を感じさせるものが多かった。人生というものがなるようにならない様を描いているのだろうか。
その日の午前、私は森の中を散策していた。大阪にいる恋人の浮気が不安になり、落ち着かない気持ちを慰めに行ったのだ。
夏が終わっていく中、蟻たちがせっせと行列を作って歩いていた。その姿を見て、大自然の一部として調和しながら生きることと、生物の一個体として争いながら生きることの両方が私たちには必要なのではないか、と感じた。
そのような体験の後だったからこそ、永武さんの絵からは生と死への悟性、そしてどこか死への愛着のようなものを感じた。大分県にある西叡山高山寺の天井画を手掛けられたというのも納得がいく。
その後オブジェ作品を眺めていると、白髪でマフラーをされた紳士から「ご覧になられていかがでしたか?」と話しかけられたので、画廊のオーナーかと思い上記のような感想をたどたどしく申し上げた。
すると、「いやいや、最近そういったこと(生と死)を考えるようになったばかりで…」と仰るので、慌ててしまった。なんとその方は永武さんご本人であった。
永さんはその後版画の技法を応用した作品へのこだわりや、描きたいという気持ちがあれば作品は作り続けることができ、何かしら良い事があるということを話してくださった。オブジェ群はそうした気持ちを胸にお金が無いながらも糸島の海で拾い集めた素材を創意工夫して作ったものだそうだ。素材と出会ったときは嬉しい反面、「私をどう活かすつもり?」と試されているような気持ちになるとのことだ。
私も小さい頃絵を描くのが好きだった。だが大学に入って以降はからきし書いていない。永さんは描きなさいと言ってくれた。永さん自身、33歳でデザイン系の会社から芸術家へと飛び移っていたのだった。描きたい気持ちを絶やさず、すぐ手に入るものででも良いから形にしていけば、必ず良い事がある。また自分の中の思いを絵にすることにした。
次にお会いできるのがとても楽しみだ。

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