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教科書文学のすすめ4「咳をしても一人(尾崎放哉)」コロナ禍で感じる孤独に寄り添う

せきをしてもひとり

青空文庫より

これが俳句なの?と思ったあの頃。自由律というものを知った時の衝撃。

自由律俳句とは「5・7・5のリズムにとらわれず自由に表現しようとする俳句」のことです。

自由律俳句、といえば種田山頭火か尾崎放哉を思い出すのは私だけでしょうか。

この句は尾崎放哉がどうしようもない人で、お酒に溺れて、一人ぼっちで寂しくなった時のものだと、学校で教わった記憶があります。

尾崎放哉は晩年を小豆島の西光寺の奥の院、南郷庵で過ごされました。
(現在は小豆島尾崎放哉記念館になっているようです。)

瀬戸内海の静かな凪を見ながら、咳を一つ。

誰もいない部屋に響き、誰もいないことに気づかされる咳。


新型コロナウイルス陽性になって考えた、家族という存在

田舎に住む私にとって、新型コロナウイルスというのは、どこかで他人事のような感覚があり、テレビの中、東京だけの出来事だと思っていました。

そんな私が陽性。私、夫、娘の全員が陽性。しかし幸い全員軽症。

自宅療養中は、久しぶりに家族で過ごしました。備蓄してあったおやつを食べながら映画を観たり、じっくり座って娘と遊んだり。

勤め先等には大変ご迷惑をおかけしましたが、ゆったりとすごさせてもらいました。

そんなとき、尾崎放哉を思い出しました。

あの人は、とても寂しかったでしょう。

「せきをしてもひとり」5・7・5の17字に対して9字で終わる俳句。

足りない8字が、尾崎放哉の寂しさをあらわしているような気がします。

そして、現在自宅療養などで寂しい思いをされている方々も、このような思いでいるかもしれません。

その気持ちに少しでも寄り添って、陽性者に石を投げるような、コロナ差別がなくなればいいな、と思います。

I hope you feel better soon.

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