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「仕事とは愛だった」なんて思わせてくれちゃって

24才のある夜。その日も私は一番最後にオフィスを後にし、帰路についてもまだ仕事のことを悶々と考えていた。すると、急に堰を切ったように脳内から溢れ出してくる言葉があった。そのドーパミンに従うままにパソコンを開き、キーボードを乱暴に叩き、読み返しもせず朝日新聞の「声」に投稿したことがある。

それですっかり満足してさっさと寝たのだが、翌日携帯に着信があり、出ると朝日新聞の人だった。「掲載させていただきますね」。

自分の文章が初めて不特定多数の人の目に触れる場にさらされた。それは、働くことについてのエッセイだった。

内容はこんなものだった。

『22時、23時まで働いてると、すぐ周りに「それってブラックじゃない?」なんて言われるが、時間が何の指標になるのだろうか。私は自分の仕事が好きだ。好きなことにはいくらでも時間を注げると思っているからやっているのだ。逆にきっちり9時17時で終わったって鬱になってしまう人だっている。気持ちの問題と時間の問題は、まったく別の次元に存在している。』

まあ偉そうに書いたものだ。だが、これを投稿してから1年も経たずに私はその会社を辞めた。

好きなことを仕事にするのが良いと思っていた。好きなことを仕事にしたくて、その業界一本で絞って就職活動をした。望みどおりの就職をして、「やっぱりこの仕事が好きだ、この仕事にしてよかった」と思っていた。

でも続けらなかった。私の中でどんどんと、周りの上司や、クライアントに対して不信感を募らせてしまったからだった。

「人間関係のストレスなんて、仕事には付きものなのに。それを乗り越えるのが"この仕事が好き"って気持ちなんじゃないのか。」私はしばらくの間自分を問い詰めていた。

でもあれから数年経って、答え合わせができた。

私は、「この人のために働きたい」と思える人がいるから、働く人間だったのだ。

前職ではただ、そう思えるための働きかけがお互いに足りなかったから、続かなかったのだ。

そう思わせてくれる人に出会えたことを、ここに書き残したい。



新卒で入った会社を辞め、転職を決めたその会社は、正直あまり視野には入れていない業界だった。

もちろん興味はあるけれど、BtoBでイメージは沸きにくいし、大丈夫かなという不安もあった。けれど仕事の内容としては魅力的だったのでそこに入ることを決めた。

私が「一生付いていきたい」と思ったその人は、その会社の社長だった。

親会社がそこそこ大きな母体ではあるものの、その会社自体は十数人しかいない小さな組織だ。だから「社長」との距離が驚くほど近かった。皆その人のことをハラダクミコ、略して「ハラクミさん」と呼んでいたのだが、カルチャーショックにもほどがありそう呼べるようになるまでには少し長い時間を要した。

ハラクミさんはメンバーのことを愛していた。メンバーが髪を切ったらすぐに気付くし、恋人が出来たら気付くし、体調が悪いこともすぐに見抜いた。誰にでも気さくに雑談を振り、メンバーの趣味や最近の出来事に深く興味を示した。そのおかげで私も数カ月たてばすっかりフラットに会話ができるようになり、話しかけるにも「ちょっと宜しいでしょうか」なんて枕詞も入れずにずけずけと相談や困りごとを持ちかけた。

「miyoちゃんと一緒に仕事をするのは本当に楽しいよ。」

初めてそう言ってもらった時、心の中が今まで職場では味わったことのない感情でじんわり温まるのを感じた。「私も楽しいです」とオウム返しのような返事できっと伝わっていなかっただろう。私もハラクミさんと仕事をするのが一番楽しいのだということが。

ハラクミさんはどこまでも私の「上司」の概念を超えてくる人だった。転職してから半年が経ち、初めての評価を終えたとき、彼女は「半年乗り切ったね!おめでとう!」と言って、私にA4の紙を一枚差し出した。それは手紙だった。10.5ptのフォントサイズでA4一枚、結構な文量だ。入社したときの最初の印象と、今の印象。期待を超える働きをしてくれて本当に助かっている、ありがとうということ。そして「miyoちゃんと一緒に仕事をするのが本当に楽しいよ。」そんな手紙を十数名いるメンバー全員分書いてくれたのだ。

メンバーのためにとことん無理をする人だった。「無理を楽しむ人」と言った方が合っているかもしれない。ハラクミさんのデスクには常にバファリンとイブとロキソンの瓶が並んでいた。「バファリンが効かなくなったらイブ、イブがダメになったらロキソニン、このサイクルを回すのが大事なんだよね」とかやばいことをさらりと言う。それでもメンバーの前で体調悪そうにしたり、顔をしかめるようなことは殆どなかった。

もちろん、新しい会社での仕事も楽しいことばかりではなかった。自分の仕事を上手くコントロールできなくてやることが溢れてしまったり、体験したことのない役目にプレッシャーを感じたりして、深いストレスを抱えた日々もあった。でもそんな時に思うのはいつも同じことだった。「ハラクミさんに喜んでもらうためにあとちょっと、頑張ろう」。誰かのためにという気持ちが、こんなにパワーになるのかとこの時知ったのだ。

あっという間に時は流れ、転職して1年半が過ぎようとしていた。「miyoちゃん、ランチ行こう~。」「行きましょ~う。」平常運転の午後1時。

「miyoちゃん、私、3か月後にここを辞めるよ」

「えっ。



そうなんですか。

え~~~~~・・・・・・・

そうですか・・・・・・」


何も気の利いたことが言えなかった。「悲しいです」とも「寂しいです」とも「嫌です」とも。ハラクミさんはどんな言葉を求めているだろうかと考えたら、考えすぎて、何も言えなかった。

「ごめんね。今は業績もあやしくて、このタイミングで抜けるのは本当に名残惜しいんだけどさ。一緒に達成しようっていってた目標、見守れなくてごめんね。」

企業の社長というのは、いつかは交替するものだ。ハラクミさんは「社長交代」の適齢期をもう過ぎていた。来るべき時が来た、それだけのことだった。けれど社長を退くだけでなく、サッパリと会社も辞め、新天地へゆく。ハラクミさんらしい決断だった。

その日は家に帰って、真っ先に夫に伝えた。「ハラクミさん、辞めちゃうんだってさ。」

「辞めちゃうんだって。」2回言ったらようやく実感がわいて、ひとしきり泣いた。

学校も、サークルも、職場も、家族じゃない限りずっと一緒にいることなんてあり得ない。いつかはお別れはくる。そんな小学生の時から知っていた現実を、20代にもなって受け入れられずに泣く日がくるなんて思っていなかった。


送別会では、皆がハラクミさんの隣を陣取ることに必死だったが、私も負けじと横に割り込んだ。だが、いざ「最後だ」と思うと、なかなか言葉が出てこない。それで、「ハラクミさんがこの職場で一番つらかった時って、どんな時ですか?」なんて、よく分からないことを聞いてしまった。社長という立場はそもそも孤独なものだし、私たちの前でいつでも明るかったハラクミさんの弱いところを、最後くらい見てみたいと思ったのだろうか。

答えはこうだった。

「メンバーがつらそうにしてた時だね。メンバーが大変そうで、しんどそうな時は、私もつらかった。それくらいかな。後は無いかな。」


ハラクミさん。

あなたが居なくなったらどうしようかなって、だって私はあなたのために働きたいと思っていたから、私も辞めようかなって思いましたよ。

でも、あなたは最後の最後までそうやってメンバーのことしか考えていなくて。私は一体何なんだって、恥ずかしくなりましたよ。

あなたが集めた大好きなメンバーと、あなたが築き上げた素晴らしい職場文化を、皆で守って成長させたい。あなたが安心してこの職場を出て行けるように。「あなたのために働く」って、そういうことですよね。


*****

いまの私は、「好きを仕事にするべき」とも「しないべき」とも思わないし、仕事を人生の中心に据えるべきとも、仕事は生活の手段と割り切るべきとも思わない。仕事はいつも「自分にとっての仕事」でしかなく、他人とそこに共通の答えを求めようと思わない。

ただ、「この人のために働きたい」という感情を私に与えてくれたハラクミさんという人物がいた。この恩を、本人にいつまでたっても返せる気がしないけれど、せめてこれから出会う他の誰かに、お裾分けできたら良いなという気持ちをいつもどこかで持っている。

「誰かのために」という気持ちは愛で、恥を忍ばず言えば結局仕事も愛だったってことになる。親が子を愛するように、友が友を愛するように、上司が部下を愛す。部下が上司を愛す。同僚が同僚を愛す。以前の自分なら「そんなウェットな職場」と思ってしまっていたかもしれないが、「仕事だから」「仕事なのに」と、仕事とそれ以外がまるで高い壁で隔てられているかのように考える方が、不自然なことだったのかもしれない。ハラクミさんは、仕事だからとか関係なく、私たちに愛をくれた人だった。

でもハラクミさん、「仕事とは愛だ」なんて大それたことを他人に悟らせたりしちゃって。ほんと、すごい人ですね。





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