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男の一人旅 ハノイ編(番外編)

ホテルで考えたこと

最終日は前述の通り高熱が出てしまい、喉もナイフで切られたような鋭い痛みに変わり、完全に身動きが取れなくなった。

幸いにも、解熱薬は持ってきていたので、これを服用することで何とか少し動ける程度だった。

最終日も現地ツアーを入れていたので、深夜のうちにキャンセル。そして、現地ツアーに行った後、そのまま深夜便の飛行機で帰国予定だったので、ホテルも出払うつもりだった。

だが、この状態のまま深夜まで街を彷徨くなど死を意味するので、ホテルの宿泊延長をさらに行った。

ホテルの受付は、前述の強面のおっちゃんだった。
ポケトーク伝いに熱があって、もう一日部屋を貸して欲しい旨を伝えると、事情を察してくれた様子で、別の部屋を用意してくれた。

この時、午前8時半くらいだったので、おそらく掃除もまだ行われていない時間だったに違いない。おっちゃんとおばちゃんが「ちょっと待ってて」と急いで何かをしに消えた後、ホテルの鍵を渡してくれた。

おっちゃんもおばちゃんも本当に良い人だった。

僕は、外国人と話す保険のために英語を勉強しようとしていたのかもしれない。そうではなく、言語が通じなくても、何とかしようとする姿勢や気持ちがあれば、それはもうすでに心が通じ合っているのかもしれないなと感じた。

タレントの出川哲朗さんが海外で話せない英語を使いながら、何かを探すという番組があるが、まさにあんな感じで良いのかもしれない。そんなことを考えた。

サークル K で考えたこと

食欲も全くないので、コンビニでビタミン飲料とサンドイッチを購入した。この時、僕は日本のありとあらゆるものが恵まれていることを実感する。

サンドイッチを食べると、やはり日本の味に比べて美味しくない。C1000に関してもメーカーが同じにも関わらず、味が何か変わっている。

「美味しい」という感覚は相対ではなく絶対だと思うのだが、この時、相対的に比較して、日本の食べ物は本当に美味しいんだなと心の底から思った。

普段、日本で何気なくサンドイッチを購入して、「美味しい!」と口に出す機会ってほとんど失われていたと思う。それがいつの間にか当たり前になっていて、こんなにも恵まれたものを食べていたのかと思ってしまったのである。我々はもっと感謝しなければならない。

併せて、買い物カゴがやけに重い。それは、日本のカゴのように穴の数が多くないので、プラスチック部分の量が多くなっていることに起因する。

この時、ベトナムではこれが正解だと思っているから、新しいカゴを開発しようとも思わないのではないかと思った。日本に住んでいる僕からすれば、もっと軽くて使いやすい形を知っているからこそ、他の形も提案できそうだが、既存の価値観が正しいと思い込んでいると、発展はないのだなと気づいた。

ラーメン屋にて

朝昼とろくなものを食べていなかったので、夕食は日本の食べ物を食べてみたいなと思った。僕は良さそうなラーメン屋に入った。

僕は味噌ラーメンを注文した。この味噌ラーメン、スープが何か物足りない。そして、ベトナム特有の臭さがスープに出てしまっている。麺も縮れておらず、スープに絡まない。僕は「これじゃない」と強く思ってしまった。

改めて、日本のラーメンのレベルの高さに気づいてしまった。普段、食べ慣れている味と開きがあったときに「これじゃない」と思ってしまう感覚。僕の舌と脳がその興奮をしっかり覚えているということなのだろう。

日本には「美味い」がありすぎるのかもしれない。でも、日本に住んでいると、「何か物足りなかった」とか「ここがこうなれば」みたいな微妙な差の要求を求めてしまう傾向がある。

そうではなく、もうすでに我々は「美味しい」の閾値は超えてしまっているのである。そう実感したベトナムの旅だった。

備忘録的にメモ程度に付け加えると、日本に到着してから思ったことは、日本は空気が綺麗で、ゴミもほとんどないと実感した。そして、交通機関が充実していること...

Fin.

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