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「単なるファンタジーでは終わらない~『ゲド戦記シリーズ』~」【YA59】

今更ですが、ご存じの通りジブリでアニメ化されて一気に有名になったファンタジー小説です。
この本を読むまでにも、私はいろいろな他のファンタジーものの書物を読んでいましたが、なぜかこの本を手に取ることはありませんでした。
タイトルに“戦記”とあるので、戦いモノ(思い込み)にあまり触手が伸びなかったのと、地味な表紙に食わず嫌いが発動。
当分の間もったいないことをしていました。
しかし、インターネットを始めた当初加入していた別ブログサイトの読書サークルでとても人気があったのと、当時の職場の同僚が読んでとても感動したとものすごくお勧めしてくれたのを機についに読んでみたのでした。
 
するととんでもない食わず嫌いだったのだなと思い知らされたのです。
読まないとその面白さはわからない。
アニメはエンタメですから、カットシーンや編集などは仕方のない事ではありますが、そもそもの設定を変えてしまったことで、原作者の怒りを買ったとか…。
 
本当の“ゲド”を知りたかったら、やはり原作を読むことを“私も”お勧めいたします。(戦記というほどの争いの表現はなかったのでした)
私は映画化される直前に読みました。(やはり“原作が先”派なので…)
 
ここでは本編の全5巻を簡単にご紹介しようと思います。(他に別巻もありますが、ここでは取り上げません)


 

『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』

アーシュラ・ル=グウィン 作 清水 真砂子 訳 (岩波書店)
                          2006.1.11読了
 
架空の世界アースシーの中の多くの島々からなるアーキペラゴ。
その中の一つの島で生まれ、いずれは大賢人と呼ばれるほどの偉大なる魔法使いになるであろう、一人の男の冒険とたたかいの物語となっています。
 
この1巻目は、まだ自分が魔法使いの素質を持っているとは知らない貧しく幼い少年ダニーの、少しずつその片鱗を見せ始め、他の村からやってきた恩師オジオンと出会い、本当(真)の名前・ゲドを与えられ、やがて魔法学院へ入学し様々な試練や訓練でいよいよ一人前の魔法使いとして成長していくところまでを描いています。
 
まだ自分で魔法をうまく扱えないとき、思わず死霊を呼び出す呪文を、ただただ本に書いてあるとおりに読んでしまいました。
そのせいでこれから先、彼の運命の戦いの相手である、闇の存在”影”をこの世界に呼び出してしまうきっかけになってしまったのです。
 
そして長いあいだ影から逃げていた彼ですが、魔法使いとして成長していく中で敢然と相手と向き合うことを誓うゲド。
そしていよいよ”影”との戦いのときが訪れます。
果たして彼はどうなってしまうのか?どう戦うのでしょうか?
”影”とはいったい何者なのでしょうか?
一人の魔法使いを通して、人間としての真の生き方や考え方が見えてきそうです。
 
 

『ゲド戦記Ⅱ こわれた腕環』


                           2006.2.9読了
 
影との戦いがすんであれから何年かたち、カルガド帝国の中に古くからある闇の名なき者たちを祀るアチュアンの墓所にゲドはいました。
彼はアースシーの世界の国々を統一し平和をもたらすという「エレス・アクベの腕環」の割れた半分を探しに、このアチュアンの墓所の地下にある迷宮に入り込んでいたのです。
暗闇の世界では名なき者たちの力が強すぎて、あらゆる試練を乗り越えてきたゲドといえども、そこでは瞬く間に魔法の力がなくなっていくばかりです。
なかなか腕環を探し当てることができず、また複雑な迷宮は彼をとじこめてしまっていました。
 
腕環の割れた残りの半分は、ゲドが影との戦いの途中、大海原で影に一時やりこめられた際に、流れ着いた小さい島で出会った二人の老人からもらったものでした。
このアチュアンの墓所で、大巫女として一人地下の迷宮に出入りできるというアルハはすでに彼の存在を知っていました。
6歳のとき親から引き離され大巫女としての人生をさだめられてしまった彼女は、唯一の権限で何度もこの迷宮を行き来し、暗闇の中でも頭の中にしっかりと刻まれた道順のおかげですべて知り尽くしていました。
 
しかしこの中にどんな宝が隠されているかは知らなかったのです。
そしてまた彼女は、アチュアンの墓所やそのまわりの小さな世界や神をも畏れぬ大王が治める国以外に、どんな大きな世界が広がっているのか、信仰を持たぬ人間やおそろしい魔法使いの存在など知らないものばかりでした。
いえ、知ろうとも思わなかったのです。
 
しかしそんな中に見つけた地下の一人の泥棒、見知らぬ奇妙な男の存在はなぜか彼女に、これまで芽生えなかった何かをもたらしたのでした…。
 
ゲド戦記の第2巻です。初めはこのアルハという大巫女のことに話を費やしています。
が、これがまたなかなか興味深い展開で話は進んでいきます。
第1巻の話から何年経っているのかは明らかではありませんが、ゲドはもう物事をかなり分別ある考え方で判断でき、他人をも導くことができる魔法使いになっています。
とてもおもしろい魅力ある巻になっています
 
 

『ゲド戦記Ⅲ さいはての島へ』


                          2006.2.19読了
 
ゲドがエレス・アクベの腕環をハブナーの王の塔に取り戻してから数十年の時がすでに流れていました。
ゲドはいまや大賢人となって、魔法学院の中で長としておちついた生活をしていましたが、そこにエンラッドの王子が不穏な知らせと相談をもってやってきました。
 
アースシーの各地で魔法が弱くなり、人々はなにがどう変化しているのかもはっきりとみてとる者がおらず、原因も何もわからないというのです。
学院の長の中でも、忍び寄る危機を突き止めた方がいいと言う者、いや学院のあるロークではそのような力が弱まるということは今でも起きていないし、島全体が守られているから大丈夫だという者と意見は分かれていました。
しかし、ゲドにはすでにこの“不吉なもの”とそれを突き止めなければならないこと、そしてこの知らせをもたらした王子・アレンこそ、後にアースシーにとってなくてはならない存在になるということを見抜いていました。
 
そうしてゲドとアレンは、どこへ行くとも知れない、また何を探さなければならないかもよくわからない、なんとも不安な旅に出たのでした。
 
憧れの偉大なる大賢人について来るよう依頼されたアレンは誇らしくともに旅に出たのですが、突き止める相手がいったい何でどこに行けばいいのか、まるで空気をつかむような話でだんだん不安に襲われるようになります。
 
行く手行く手で、その不安を増大させるものに出くわし、果たして自分はゲドについてきて正しかったのか?
いや、実はゲドとはただのまじない師で、何も力はないのではないか?
もしかしたらゲドの言うことは間違っているのではないか?と様々な猜疑心がよぎるようになってしまうのですが…。
 
いったい何がこの世を、人間を狂わせようとしているのか?
旅の中でゲドとアレンが目にする人間の愚かさや弱さという現実を、読む者にも必然的に差し向けられてきます。
 
あっさりとした中にも的確な表現力で、翻訳者のすばらしさと原作者の文章構成力に脱帽です。
この巻を果たしてジブリはどう料理してくれるのか、大いに期待したいと思います。
(映画の前でしたので、このような文章になりましたが、映画を観た結果ちょっと微妙な気持ちになりました)
 
 

『ゲド戦記 最後の書 帰還』


                          2006.2.21読了
 
あまりにおもしろく、どんどん次の巻が読みたくなり立て続けに読み漁っています。(当時)
この巻はきっとゴント(ゲドが自身の落ち着ける、帰ってくる場所)でのお話だろうなあって思ったら大当たりでした。(前巻からの展開から想像しました)
 
 
ひとりの女の子はテルーと言って7歳くらいですが、とある原因で頭と顔半分と手に大やけどを負っています。
社会に邪なるものがはびこり愚劣な人間が増え、テルーもまたそんな悪人どもの犠牲者だったのです。
 
重態のテルーを引き取り世話をしているのは、あのアチュアンの墓所からゲドと逃げ出してきたアルハその人で、今は真の名をテナーと名乗っています。
あれからオジオンのもとでいろいろ学んだ彼女でしたが、普通の女性の生きる道、自由を求めオジオンのところから出て百姓の妻となり、子どもをひとり立ちさせました。
しかし夫が早くに亡くなり、一人農園に住んでいたのです。
ある日オジオンが病に倒れたとの知らせを受けテルーとオジオンのいるル・アルビへと向かいます。
ほどなくオジオンが死の床につき、まぎわに「何もかも変わった」と言い残しこの世を去ってしまいます。
それはゲドがアレンと暗黒の世界の扉を閉じたのと同じときでした。
 
そうしてゲドはテナーのもとに帰ってきました。
しかし、闇の世界との対決でその力を使い果たしてしまったゲドはもう、魔法使いではなくなっていたのです…。
 
 
男は力そのもの。でもその力がなくなると何もない。実を取り出したくるみの殻同然なのです。
ではいったい女とは何なのでしょう?
この巻ではあの偉大な魔法使いだったゲドの、人を寄せ付けないような風格・大賢人とうたわれた威厳はすっかり消えてしまっていました。
 
そのかわり大活躍するのは、もう女ざかりをすぎた「ただのおばさん」テナーや傷ついた少女テルー、汚らしいまじない師のコケばあさん、テナーを陰で助けてくれる村の女ヒバリなど、力も何もない女たちです。
 
この巻でも、どんどん夢中にさせてくれる展開に作者のすばらしさを実感できました。
憔悴しきったゲドを大きくやさしく包み込むテナーの深い愛。
テルーのことで迷いながらも何かふしぎなものを感じていた彼女は、最後驚きの事実を知りますが、いや初めから感じていたのかもしれません。
 
そんな魅力ある内容に今回も大満足。
「最後の書」と副題がついていますが、解決していない問題があります。
確かに、この後も2巻出ています。もうさっそく次の『アースシーの風』を図書館から借りてきました。
読む前からワクワクしています。
ちなみに個人的にうれしかったのは、ネタバレになるけど、ゲドとテナーが数十年の時を経てようやく結ばれたこと!よかったあ…。
 
 

『ゲド戦記Ⅵ アースシーの風』


                          2006.2.27読了
 
壊れたものを直すのが仕事である、一介のまじない師・ハンノキには夜の来るのが怖くなるほどの悩みを抱えていました。
夢の中で死に別れた妻が闇の世界の境界、石垣のはざまで自分をしきりに呼ぶ、ということがずっと続いているのでした。
「自分を自由にしてほしい」と…
 
またハブナーの王・レバンネン(アレンの真の名)のところにもひとつの不安な情報がもたらされていました。西の果てにいるはずの竜たちが、近頃人間たちの領土で山や畑を燃やすというような悪さをしはじめていると言います。
それに今カルガド帝国の新しい大王と名乗るソルから、やっかいな交渉を強いられている最中のレバンネンに、カルガドからソルの姫君・セセラクを王妃にとおくられてきたのです。
 
レバンネンはゴントのテナーとテハヌー(テル―)をハブナーに呼びよせ、助言を請うことにしました。
 
竜たちの謎と闇の世界での死者たちの苦しみは、何か関係があるのでしょうか?
この時期にやってきたセセラクという王女は何かをもたらすのでしょうか?
そしてテハヌーがこの先行くべきところはいったい…?
魔法使いと竜と人間の共存は続けられるのでしょうか?
 
何が重要で、何が必要で、どう人間は選択をしたらよいのか。
この世の大地と空と人間にとってベストなことは何なのでしょうか?
壮大な結末、ほっと安らぐラストシーン。アースシーの物語の最終話です。


ここまでの物語を映画用に約2時間ほどにまとめるのはかなり無理がありますが、当初どうしてもこの物語を宮崎駿監督がアニメ化したいと直談判されたと聞きました。
しかし始めはすんなりOKが出なかったと言います。
それだけ作者にとっては思い入れのある作品です。
最後は根負けしたのか許可が出ましたが、どういったいきさつなのか駿監督ではなく吾郎監督が手掛けることになりました。
しかし、出来上がったものは駿監督が思い描いたものとは違ったのかもしれません。作者も納得いってはいなかったようです。

アニメ化の難しさを見た気がします。
 


魔法があって、竜がいて、ファンタジーそのものの世界に間違いないのですが、どこか現代の世界に当てはまる要素が多くある物語だと思います。
 
現在実際に戦争が起こっていますが、まだそこまではこじらせていなかった時代に、そもそも不安はこの世界にもすでにきっとあったのでしょう。
そのことを暗示させるような文章があったと思います。
作者はそういうことを含ませて、読者に考えてほしかったに違いありません。
 
私たちの世界で人間はどこか怠惰になり、物事を安易に考えるようになったり、自分で深く考えることを諦めたり止めてしまったりしているのではないでしょうか。
 
だから権力を持つ人間や為政者の言うがままになっている人々がいるのではないかと思います。
 
世界はどうすればよくなるのか、ひとりひとりがもう一度しっかり考える必要が今迫られています。

 
 


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