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お揃いでいる必要はない

8月に入った。

まだまだ夏の暑さも始まったばかり。夏バテっぽいやつ。あれって急になるからやっぱり怖い。けれどこんな気温じゃもう防ぎようもない……。

ようやく大学のレポート課題と長いテスト期間から抜け出し無事に前期を終えた。よっしゃ夏休みだー。

ドラマ「最高の教師」が面白い。

学園ドラマっていうと個人的には「3年A組」、「学校のカイダン」、「僕たちがやりました」、「仰げば尊し」、「表参道高校合唱部」が印象に残っている作品だなと思う。

他にも、リアルタイムでは視聴していなかった作品だと「GTO」はTVerで視聴したことがある。

教師VS生徒という構図が好きなのかもしれない。

主演が教師なのか、生徒なのかでも変わってくるけれど、教師が主演の作品だと、どのような方法で生徒に寄り添って、巻き込んで、こちら側(=味方的ポジション)に持ってこさせるかという……感じ。学校が少しずつ改革されていく過程を見るのが面白い。

昨日放送された4話で下記のような台詞が登場した。

なんでそんなお揃いでいることばっか求めんの?
誰かと同じであることを必要以上に求めなくたっていいんだよ
じゃないと
あの人が頼んだものと同じもの頼まなきゃとか
あの人が好きって言ってた曲聴かなきゃとか
余計なことばっか気にして
自分が何好きなのかも分かんなくなる
たまにはさ
同じものを頼んで喜ぶんじゃなくて
違うものを頼んで文句言われない環境を喜べるようになれよ

栖原竜太郎役/窪塚愛流さんの台詞

僕は昔から「変わってる人」呼ばわりされることが多かった。

普段からみんなと同じは嫌だなとか、自分の人生だから自分の好きな方を選びたい!みたく考えているタイプなので多分、それが周りに伝わってたんじゃないかな……。いや絶対そう(笑)。

だからこそこの台詞がかなり腑に落ちるというか、まさにこういう意識を持つべきだなと感じる。

ただ学校という空間は「枠組み」があってそこから逸脱してしまうと後ろ指を指される可能性は高まってしまう。

カースト、いじめの問題がその例。

「居場所」って何だろう。それって本当に必要なのか。

って思うけれどわからない訳ではない。

そこに居続けないと自分が保てなくなるから。

学校の場合、自分と「違う」ということを認め合える関係の友達が居れば一番良いのだろう。それはたとえ1人でもいいから。

ちょうど1年前くらいに「13歳の僕と19歳の僕」というタイトルの記事を書いたことがあった。内容は似たようなものだったと思う。夏はこういう事考えちゃう季節なのかな……。

さて、今年も待望の夏休みが始まったということで映画「キングダム3」を観に行きたいと思っている。楽しみだ。

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