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晴れ時々曇り日記

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日々の自分、日々の気づき、不登校な娘の記録。 いいことわるいこと、晴れたり曇ったりの日々の暮らしを記録していきます。
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#不安

予想外の経験値を得た娘の校外学習

ぴぃは中学2年生の最初の行事「校外学習」へ行った。 電車で片道1時間半の観光地へ。 五月雨登校中のぴぃとはいえ、校外学習へは行くだろうと思っていた。 ぴぃが望むクラスメイトとの学校行事だし、しおりの表紙は自分が描いたイラストが採用されてるし、お土産屋さんが大好きなぴぃ。 行けるか行かないかで悩みもしないと思っていた。 校外学習の何日か前に、担任の先生より「学校側としては万全の対策を考えていますが、念の為お母さんも一緒に来てもらえませんか?」と言われた。 それを言わ

不安から始まった中学2年生。

ぴぃの中学2年生が始まった。 始業式の日、ワクワクとドキドキが入り混ざったような面持ちで登校するも、残り1時間を残して早退してきたぴぃ。 ぴぃ「気疲れしたから帰ってきた。」 そして、あの心強かった一年時担任のT先生は、別のクラスの担任になったとぴぃはサラッと言った。 思わず「えっ!?」と顔が引き攣ってしまった私。 その代わり、別室教室の管理者だったO先生が担任になったと言う。 なら大丈夫か・・・・いや、それ以上にショック・・・が本音。 異動する可能性があったT先

「不登校への理解」を深めたパパ。

不登校メカニズムにはざっくり言うと初期、中期、後期というような時期があって、その長さは人それぞれ。 ただ、その時期に合わせた言葉がけや対応が大切だということを、自分なりにいくつか学んできたことがあった。 ぴぃを信じられるように、なりたい母親になれるようにと、不登校カウンセラーさんのメルマガやSNSを見て、自分なりにこれならできるをたくさん参考にした。 そのために、自分の中にあった「普通」をたくさん捨てた。 自分の気持ちをたくさん押し殺して、言いたいことも言えず、我が子

やっぱり苦手な児童精神科の先生

成長も伴ってか、自分の気持ちを少しずつ言葉にできるようになったぴぃ。 親以外の第三者の大人に、自分の不安な気持ちを打ち明けられるようになってきた。 学校の先生を含め、支援してくれている大人たちはみんな味方。 ぴぃの不安を受け止めて、大丈夫と言ってくれる。 ぴぃは吐き出すことと、受け止めてもらうことで「安心」を手に入れる。 ・・・でも、 病院の先生だけは違った。 強迫性障害という診断を受けた時から通っている児童精神科の先生。 少しでも胸の内を言おうものなら、現実

一歩じゃなくていい。半歩の半歩でいい。

新年、一発目の記事。約2ヶ月ぶり。 久しぶりにぴぃとの記録を残しておこうと思う。 中学一年生を心新たに始めたぴぃは、夏休みを待たずにエネルギーチャージモードに突入した。 それでも謎に、勉強もしていないのに夏休み明けのテストを受けに行ったり、気まぐれで登校する時もあった。 だからといって、それを自分のペースだからと満足しているわけではなく、時々訪問してくれる担任の先生に、 「毎日毎日、学校に行けていない罪悪感に押しつぶされそうです。」 と伝えていた。 満足に学校へ

娘にとって親以外の第三者の存在の大切さ。

ぴぃは少し前に、理科の授業で久しぶりに強い強迫症状に襲われた。 生花の解剖中に触れたくない部分に触れ、菌まみれになったと手洗いが止まらなくなってしまった。 その時は理解ある先生の対応でなんとか落ち着きを取り戻した。 そしてその後、担任と生徒指導の先生との話し合いで、生花を取り扱う授業が続く間は、相談室という小部屋で1人で自習をすることになった。 ぴぃはその小部屋を「ぴぃだけの秘密基地」と言っていた。 時々自習、ほとんどの時間を絵を描いて過ごしていたらしい。 それが

久しぶりの授業参観前日に心乱れる娘。

今日はぴぃの授業参観があった。 参観できるのは保護者一名、さらに、4時間目までの授業を分散しての参観となった。 私が参観できるのは3時間目の国語の時間と割り振られていた。 国語の授業では、生徒一人ひとりが自作の詩を発表するということは、1週間前からぴぃに聞いていた。 私が国語の時間に参観することも伝えてあった。 ぴぃは当初、「詩を発表するの恥ずかしいな〜」と少し照れたように言う程度だった。 ところが、昨日の夜になって突然、「あの詩を発表したいくない!!ヤダヤダヤダ

スーパーマンみたいな先生に救われる親子。

ぴぃさん、中学校生活も3週目に入り、理解ある優しくて力強い先生を味方につけ、たくましく登校しています。 学校に行く、毎日通うということだけで、どれだけエネルギーを使っているかと思うと、もう帰ってきてからのことで、あーだこーだ言う気にならない。 「制服はシワになっちゃうから、脱いだらかけてよ。」 「提出物や持って行くものがあるなら先に言ってね。」 そう思ってはいるが、「全部は無理」と思って耐える。 放課後、部活に行ってから帰ってくるぴぃさん。 4時ごろ帰ってきて、i

春、入学式、中学生になった娘。

ぴぃにとって、ドキドキワクワクの入学式。 卒業式と違って、入学式は行くんだろうと思っていた。 ぴぃからずっと、「中学生からまた、始めるんだ」という意欲がこぼれ出ていたから。 だからといって、遅れた勉強を取り戻そうとか思っていない。 だからといって、ルーズになった生活を元に戻そうとかってわけじゃない。 だからといって、自分のことを自分でやるようになったわけでもない。 でも、 「中学校になるんだ。」 その気持ちは毎日伝わっていた。 「新しいお友達を作りたい。」「

「note」出会ってくれてありがとう。

noteを始めて1年が経った。 「毎日投稿」だけを目標にして、目的とか内容とかしっかり決めないままの、ただの見切り発車だった。 目標に対してだけいうと、一日だけ時間が経つのも忘れるほど楽しい時間を過ごし、日をまたいでしまったこともあったが、それはそれで良しとしている。 続けたことにし対しては、ただただ「やっててよかった」以上の感想がない。 ただ毎日を記録するだけのもの。 思ったこと、感じたこと、許せななかったこと、受け入れたこと、やっちゃったこと、認めたこと、どんな

学校に行きたいではなく、学校に行けるようになりたい。

ぴぃ、不安定な夜が増えてきた。 いろいろ考えちゃって、なかなか寝付けないらしい。 昨日は、体調が悪く、私もなかなか寝付けないでいた。 ぴぃは自分の部屋に入る前に「明日は学校に行きたいから、早めに起こしてね〜」と元気に言っていた。 間もなく隣からパパの寝息。 私はやっぱり寝付けないまま、目だけはつぶっていた。 1時間くらい経った頃、ぴぃの部屋からぴぃの声が聞こえたような気がした。 誰かとおしゃべりしているような声がする。 そーっと起きて、ぴぃの部屋のドアに耳をつ

1日1つです。焦らず、急がず生きましょう。

昨日、久しぶりに1人でぴぃの病院へ行った。 「中学校のことを意識して、焦りを感じてるようです。」 と伝えた。 病院の先生は、ずいぶん前から母子分離を促すようなことを言っていた。 お家以外の居場所、家族以外の第三者。 私もずっと、ぴぃには必要だと思っていたけど、ぴぃ自身がそれを望んでこなかった。 でも、お友達とおしゃべりしたくて学校に行くことや、私の付き添いなしで学校で過ごすこと、お友達とお出かけする経験を経て、私がいなくても大丈夫という状態はぴぃも感じてると思う。

お友達にとってのスーパーマンになりたい娘。

昨夜寝る前にぴぃは言った。 「お友達とコミュニケーションとらなすぎて、会話のしかたが分からなくなってきた。 思ったことをすぐに言ってしまう。 おしゃべり好きだからすぐおしゃべりしちゃうんだよ。 後になって、あんな言い方したら傷ついちゃうじゃんってことに気づく。 友達との会話って難しいってすごく思う。 ぴぃのことを嫌いな人に、ぴぃのどんなところが嫌いか聞いてみたい。 教えてくれてたら直すのに。 人間関係って難しいね。もしかしたら、ぴぃは人が苦手なのかもしれない。

学校へ行く行かない問題、焦る時期となりました。

昨日は日中に、明日は学校に行きたいと言っていたぴぃ。 寝る直前に何時に起こせばいいかと聞くと、 ぴぃ「不思議だよね、行こうと思った時は本気で思っているのに、時間が経つと色々心配しちゃう。」 私「心配しちゃうよね。起きれたらにしよう。」 ぴぃ「うん、たぶん行かないと思うけど。」 今朝、一応声をかけるも、首を振って起きないと示したぴぃ。 昼前に起きてきてしばらく経つと、iPadでゲームをしていたぴぃが突然大きなため息をつく。 ぴぃ「学校に行きたいの行けない。どうしよ