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結婚1年目。 私は理想的で大好きな仕事もしながら、家庭でも楽しい生活を送っていた。 これで…
仕事以外のことも記しておく必要がある。 入退院を繰り返していた父は、元気になり退院してか…
ある程度お金の貯まった私は、父の入院をきっかけにお店を辞め、しばらくは父の看病に務めるこ…
音響会社の現場と披露宴演出の現場に行く傍ら、生活費を安定させる為、引き続き夜は北新地のラ…
先輩と作った会社も回らなくなっていき、そこを辞めた私は次はどこで音響の仕事を見つけようか…
ライブバーで働き出した私は、もう何も恐れることはなかった。 ライブのある週末のみからス…
仕事を辞めてからしばらく2ヶ月程経った。 すっかり体調も戻った私は、ある日友人と飲みに出かけてた。 私たちはまだ入ったことの無い楽しげなお店を見つけては覗いて、開拓していくのが好きだった。 そんな中、広めで懐かしい洋楽のご機嫌な音楽が流れているアメリカンBARを見つけたので、カウンターで飲んでいた。 その頃によく流行っていた落花生がアテで出てきて、剥いた殻を足元に落としていき、床は殻でザックザクに積もっているスタイルのお店だった。 何気なく友人とお話していたのだ
小学生の頃から夢を見ていた音響関係の就職活動を一旦諦め、とりあえず就職することにした私は…
音響を学びたく、私は大学に通うことになった。 その大学は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌とい…
通っていた高校では、専門学校希望者は就職クラスの方に入るらしく、そう思ってわざわざ3年生…
高校に上がる前に、少し進路を悩んだことがある。 ここで何も主張しなければ地元の普通科を受…
私には課題があった。 まず、中学に上がったら、いじめっ子ともクラスが変わるだろうから自…
引き続き、内気で大人しめの性格のまま学生生活を送っていく。 それでもそれなりには楽しん…
4歳、5歳と2年制の私立幼稚園に通っていた。 すでに、なんだかもう無邪気な子供ではなかったのを記憶している。 内気でおとなしい子だった。 自分の中で考える子であった。 同級生の友達は一人しか居なかった。 先生ともうまくお話できない子だった。 好き嫌いも多く、幼稚園の頃から給食が食べきれず、お昼休みが始まってもずっと1人残されて給食と睨めっこしていた。 先生が紙芝居するよーと皆んなに声をかけていた。でも、給食が残っているから見に行けないだろう…と、そのまま誰もいない教室で