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高校生時代

高校に上がる前に、少し進路を悩んだことがある。
ここで何も主張しなければ地元の普通科を受けることになる。

私の得意科目は理数系だ。
将来は何か音楽関係の職に就きたいと漠然と小学生の頃から考えていた。
工業系の高校に行くべきか?
当時、工業系への進学を希望する女子はほぼゼロだ。
これまた相談しても理解のある大人が周りに居なくて断念、普通科に進む。
普通科を経て専門学校へ行けばいいか。と考えていた。

高校生となってからも、引き続き私は硬式テニス部に入部、休日はバンド活動をした。
それに加え、イベントやお祭り好きなの
が高じて学校での文化祭や体育祭の実行委員なども精力的に参加した。

それに、ずっとやりたかったアルバイトも高校に入ってすぐ始めた。
何か欲しいものがあった際にいちいち親に相談しなくて済む。
ちなみに最初にした仕事は、地元のお好み焼き屋さんだった。
洗い場や運ぶことからスタートし、少しだけ器用な私はすぐにデザートの提供や焼き場も任されるようになっていった。

高校2年生になった。
実行委員をやっていた事がきっかけで生徒会役員を勧められる。
ここで引き受けることになるのだが、確かに生徒会立候補者として講堂で演説をした記憶もうっすらあるにはあるのだが、あの内気でいじめられっ子だった私が講堂で演説??
今思い返しても驚く行動だ。

こうして私の高校生活は、授業の放課後にはテニス部と生徒会活動をやり繰りし、その後夜遅くまでアルバイトとバンド活動をするという内容となった。

この頃からスケジュール帳が真っ黒だったが充実感に満ち溢れ、非常に楽しかった記憶がある。

細かく言うと卒業までに、バイト先をもうひとつ掛け持ちしたのと、クラブももうひとつコーラス部をかけ持ちすることになっていた。生徒会も書記から2年目は副会長となる。

生徒会活動の中でも、私はやはり体育祭と文化祭に力を注いだ。

何か行事をするにあたって、生徒が全員楽しく参加しているとは限らない。
参加することが面倒と冷めている生徒も多い。これは先生達も然りだ。

これまで通りの有り触れた競技だけでは生徒もつまんないだろう。もっと楽しい競技を増やそう。
特に先生にも協力してもらう競技がいいだろうと考えたのが、先生を仮装させるスピードを競う先生変身!という競技だ。

クラス対抗で、担任か副担任どちらかを生徒が着せ替えていき、そのスピードと出来栄えで点数化される。
何に変身させるか、そのアイテムをどう調達するか、作るか。
を事前にクラスで話し合って準備してもらう事で当日までを楽しんでもらうことに成功。

それと、どちらも行事前から盛り上げていくために、2ヶ月ほど前からほぼ毎日、文化祭だよりや体育祭だよりみたいな校内広報誌のようなプリントも作成した。

学校からの一方的な内容ではなく、各クラスの準備進捗や内容をネタバレしない程度に取材し、報告することで競争心を煽り、盛り上げようと心がけた。

そして、この頃1番生徒が多かったのか各学年とも10クラス以上いたのだが、先生は毎年この35~40クラスほどのクラスを6チーム程に振分ける作業に苦労していたらしい。
それもこの2年間は私が引き受けた。
確かにクラスごとに男女比も人数もバラバラなので、均等にチーム分けするのは面倒な作業ではあるが、パズルみたいで楽しさもあると思って引き受けた。

自分のクラスでは何をしたか。
文化祭では学年ごとに展示物、演劇、映画作成など発表したが、私の役割は常に音響。
演劇ではそれに加え、ストーリー原作とシナリオも一度させてもらい、映画作成では8ミリフィルムの編集も体験出来た。

テニス部では、試合結果としては特に何も残せなかったが、クラブを通じて十分仲間意識や精神力、そして明るい性格にもなれたと思う。

コーラス部では毎年年末に行われる一万人の第九コンサートに参加し、フルオーケストラで歌うことに楽しんでいた。

バンド活動も、高校生にもなると周りもバンド活動を始める人も多く、上手い人は本当に上手く、すぐにプロになるのは無理だと見極め趣味で続けよう。と思うのであった。

が、裏方の音響関係の仕事をしたいと考えているのは変わらなかった。

次回、進路編へと
つづく。

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