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幼少期の頃の私

4歳、5歳と2年制の私立幼稚園に通っていた。
すでに、なんだかもう無邪気な子供ではなかったのを記憶している。
内気でおとなしい子だった。
自分の中で考える子であった。
同級生の友達は一人しか居なかった。
先生ともうまくお話できない子だった。

好き嫌いも多く、幼稚園の頃から給食が食べきれず、お昼休みが始まってもずっと1人残されて給食と睨めっこしていた。
先生が紙芝居するよーと皆んなに声をかけていた。でも、給食が残っているから見に行けないだろう…と、そのまま誰もいない教室で待ち続けた。

その時間が終わり皆んなが戻ってきた時に、1人で居たことがバレるのが恥ずかしくあたかも見に行ってたかのようにみんなと紛れて座り直したりもした。

合奏練習の時、自分のグループが園のどの場所で練習をしているのか分からず、
1人彷徨い練習が終わるまで合流出来ないことがあった。
各楽器の練習が終わり、クラスの子が教室近くまで戻ってきて…その時は声をかけられた。

『どこに居たの?』

不意に優しい声をかけられて、我慢していた感情が溢れ、涙が出そうになった。
その涙を見られることが恥ずかしく、思わず目の前にあった水道で顔を洗った。

卒園が近付いて来て、気付いたことがある。
園の中のトイレの場所を覚えていない。
そういえば、園でトイレに行った記憶もない。
毎日、通園バスから降りてから急いで自宅に帰ってトイレに行ってた感じだった。

園では、ずっと1人で居た気がするし、誰からも気にされてなかった気もする。
常に孤独でそれが普通だった。
唯一の友人とは園が終わってから、たまに一緒に遊んでいた。

その友人の家で遊んでいた時のことである。
友人が電気を付ける。といって、
当時、紐を引っ張って付けるタイプのものだったので、紐まで手を届かすために電気の下に椅子を運んできた。

その椅子に登り、紐を掴み、引っ張ると思っていたら、友人は紐を掴んだまま椅子から飛び降りた。

ブチっと紐が切れてしまった。
友人はママからすごく怒られていた。
その一部始終を見ていた私は、そらそうなるだろう。と呆れていた。

が、その電気の紐を切る。という行為だけが妙に私の脳裏に残っていた。

それから、だいぶん経ったある日、自宅で姉と遊んでいた時に喧嘩になってしまったことがあった。
怒りが最高潮に達した時、蘇って来た。

そうだ。今だ!今しかない!

私はその部屋の電気の紐を握りしめ、その怒りの感情を全てその手に思いっきり込めて、引っ張り体重をかけた。

椅子に登ったりしたわけではないので、多少力と時間がかかったが、見事にその電気の紐は根元からブチっと切れた。

姉はすぐ様、親に報告。
親に叱られる私。

が、そんな事は分かっているしどうでもいい。
私はやってみたかった事が出来た達成感で満たされていた。
第二のプロジェクトが成功した。

そんな、幼少期であった。

つづく。

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