フォローしませんか?
シェア
結婚1年目。 私は理想的で大好きな仕事もしながら、家庭でも楽しい生活を送っていた。 これで…
仕事以外のことも記しておく必要がある。 入退院を繰り返していた父は、元気になり退院してか…
ある程度お金の貯まった私は、父の入院をきっかけにお店を辞め、しばらくは父の看病に務めるこ…
音響会社の現場と披露宴演出の現場に行く傍ら、生活費を安定させる為、引き続き夜は北新地のラ…
先輩と作った会社も回らなくなっていき、そこを辞めた私は次はどこで音響の仕事を見つけようか…
旅から帰ってきた私は、とりあえず働く気が満々だった。 前店で一緒だった先輩ともう1人と3…
ライブバーで働き出した私は、もう何も恐れることはなかった。 ライブのある週末のみからスタートさせたが、徐々に平日にも入るようになり、レギュラーメンバーになっていった。 早く仕事にも慣れたくて、毎回早めに職場に来ていたのだが、早過ぎと注意され、タイムカードを定時まで押さずに早めに来て仕事をするようにした。 ここで、こんなに機材を触れるようになるとは思わなかった。 慣れてからは1人でその日のライブのセッティングをし、バンドさんと打ち合わせをし、セットリストをもらって、
仕事を辞めてからしばらく2ヶ月程経った。 すっかり体調も戻った私は、ある日友人と飲みに出か…
小学生の頃から夢を見ていた音響関係の就職活動を一旦諦め、とりあえず就職することにした私は…
音響を学びたく、私は大学に通うことになった。 その大学は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌とい…
通っていた高校では、専門学校希望者は就職クラスの方に入るらしく、そう思ってわざわざ3年生…
高校に上がる前に、少し進路を悩んだことがある。 ここで何も主張しなければ地元の普通科を受…
私には課題があった。 まず、中学に上がったら、いじめっ子ともクラスが変わるだろうから自…
引き続き、内気で大人しめの性格のまま学生生活を送っていく。 それでもそれなりには楽しんでいた気がする。悪い思い出は忘れてしまっているのかもしれない。 小3の時を覚えている。 道徳っぽい授業の時に自分が手を挙げているシーンと終わりの会的な時に自分の意見を発表しているシーンだ。 どうやら、この挙手すること自体が私には珍しいことであったようだ。 内気だった少女が、少しずつ自分の意見を言えるようになって来た兆しが見えている。 とは言え、それでもまだまだ弱かった