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箱PA 時代

ライブバーで働き出した私は、もう何も恐れることはなかった。

ライブのある週末のみからスタートさせたが、徐々に平日にも入るようになり、レギュラーメンバーになっていった。

早く仕事にも慣れたくて、毎回早めに職場に来ていたのだが、早過ぎと注意され、タイムカードを定時まで押さずに早めに来て仕事をするようにした。
ここで、こんなに機材を触れるようになるとは思わなかった。
慣れてからは1人でその日のライブのセッティングをし、バンドさんと打ち合わせをし、セットリストをもらって、リハをして、本番1曲目に殆どの音を作ってしまい、2曲目からは照明効果の操作に入る。

もちろんその間も音を聞きながら、マズいところがあれば修正したり、効果的なエフェクトはフットスイッチを使い、ここぞのところで使ったりしながら、それはもう楽しくて仕方なかった。
お客さんが楽しく盛り上がれる効果や仕掛けをどんどん作っていった。

ステージは各バンドのオリジナルの日もあったが、殆どがコピーバンド、洋楽オンリーだ。
古めのハード・ロックが多かった。

レッド・ツェッペリン、クイーン、ディープ・パープル、オジーオズボーン、メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズ、クリーム、レッチリなどなど。
全部、カタカナで書くとよく分かんないね。

ライブ中はPAを務め、ライブ以外の日には飲んでいるお客さんからリクエストを貰い、DJとして次々音楽を流していったりした。
他のスタッフはマイクで次曲を紹介したり、煽りながら流すのだが、私は人前で話すのは無理なので、黙々と途切れささないように繋ぎを考えて流したり、音量レベルで煽ったりしながらやる。

無理なことはしない。

その他の日もBARに入り、ビールやカクテルを出したり、裏に入りお店のチラシや看板を描いたり、どんどん仕事内容を増やしていった。

そして、企画も任されるようになった。
先輩と月1交代で何か企画をしようということになり、予算組みから準備まで毎月考えていった。
地下のライブハウスに本気のの金魚すくいやゲーム機を持ち込んだりと先輩も夏祭りやゲームセンターとか半端ない企画を立てている。
私も色々やった。
ハロウィンパーティーは定番。
冬には雪山を想定して、店いっぱいに雪にみたせた発砲スチロールを敷きつめたり。
Bar関係で企画したフェスに参加したり。


やりたい放題の3年間だった。


その間、始発まで近場のBARで飲みながら待っていたのだが、その間に彼が出来て彼の家から出勤するようになったり、その彼が借金を飛ばして家財道具全てを差し押さえになったり、極貧になり何も食べれなくなったり、男女4人で同居する事になったり色々あったが、毎日、長い夜と音楽とお酒で苦もなく過ぎていった。

そして、そんな楽しくてやりがいのあるお店も幕を閉める時が来てしまった。
オーナーの判断だ。
別のお店に買収されてしまったのだ。

その頃、付き合っていた人とも別れていて、また無職になり、私には何も無くなってしまった。
時間が出来た私は自分を見つめ返すべく、海外に旅に出た。

つづく。

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