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大学生時代

音響を学びたく、私は大学に通うことになった。
その大学は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった4大マスコミを中心とするマスコミ概論が必須科目で、情報文化を学ぶことが出来る。
(今思うとメディアのチョイスに時代を感じる…)

記憶にある講義の1つが未来に生まれる原子力発電。
そのカラクリと材料となる水素は水から作れるので日本は海に囲まれているので半永久的に利用可能。
安心安全なエネルギーと習う。
(そう信じてたのにどこが)
後、水素爆弾の作り方の授業。
(同じ原理の相反する使い方)

大学生活で1つ失敗があったとしたら、それは住むところかもしれない。
一人暮らしで学校にも実家にも行き来しやすいところとして、駅近のマンションを設定したのだが、思いの外、学校から離れていた。
バス1本で通えるところではあったが、わざわざ下宿しているのに片道750円かかる距離のところであった。

これが災いし、学校生活後半に金欠で給料日まで学校に通えない時期があった。

そうして学校に通い始めたのだが、しばらくして周りの学生とにギャップを感じたことがあった。
私はわざわざ調べて勉強したくてこの学校に来たのだが、そういうことを考えて来ている人が尽く少なかった。

やりたいことがないから大学へ行く人が殆どで、短期大学なら尚更だ。
就職するまでのステップでしかないのが普通だと知った。

一人暮らしなので、すぐにアルバイトを始めた。
初めは近くの耳鼻咽喉科の病院だ。
病院は初めてだったのだが、もちろん何の資格も経験もない。
だが、慣れてきてすぐ器具洗浄、診察補助、レントゲン撮影補助、薬調合と仕事が増えていった。
が、あまりにも安い時給でやる事が多く忙し過ぎる。
後、飲食店バイトの名残でサービス精神を押さえきれず、どうしても患者さんが帰る際に

「ありがとうございました!」

と言いそうになる事が多々あった。
(あ…まで言いかけた事はよくあった。)
そんなこともあり、どうしてもしっくり来なくて早々に辞めてしまう。

次に始めたのは、もっと家の近所の居酒屋だった。
居酒屋はもちろん時給もよく、思いっきり「いらっしゃいませ。」と「ありがとうございました。」と声を出せるし、何の仕事をしたらいいのか分かりやすく自分に合っていた。

入店後、仕事を一通り説明されまだお客も少なく待機しているところ、本日2人目のアルバイト初日の女の子が入ってきた。
彼女は私より3つ上の大学生だった。

仕事説明を終えた彼女に声をかけられた。
仕事の質問をされたので、ここに直すみたいよ。と答え、少し会話をした。

「このお店には、いつくらいから働いてるの?」
と、彼女に聞かれた。
「いつくらいから…って、1時間前くらいかな。同じ初日だよー。」
と答えると、彼女は心の底から本当に驚いていた。

どうやら1、2年くらい働いてるバイト生と思っていたようだ。

私、どんだけ態度デカかったのか。

こんな始まり方であったが、この彼女を始め、このお店で出会ったアルバイトの男女6人はすぐに仲良くなり、2年間ほぼ毎日のようにつるむ様になった。
青春である。

青春と言えば、私は高校生時代から組んでいたバンドがあった。
また、このバンドのドラマーとお付き合いもしていた。
会おうと思えば会える距離ではあるが、所謂、長距離恋愛アンド通いバンド活動であった。

バンド活動の際に、私は地元に帰り、練習とデートをするようにしていたのだが、彼と2人になった際いつも喧嘩をするようになっていた。

バンド活動は私にとって本当に楽しいものであったのだが、私が他の男子メンバーと楽しげに音楽会話する様子を見ては、彼は嫉妬していた。

せっかくデート出来る貴重な時間に毎回不貞腐れるので私から別れを告げることになる。

そうして相変わらず、毎日アルバイト仲間と夜な夜なカラオケに行ったり、ドライブに行ったり、自分の家に集まって語り合ったりしながら遊んでいたが、

初めのチャンスが訪れる。

居酒屋でのアルバイト中、常連さんと話していたのだが、どうやらこの方某テレビ局関係の方だったらしく、私が音響の仕事希望していることを知り、音響会社を紹介をしてくれたのだ。

すぐ様、連絡を入れた。
どうやら、現在全国ライブツアー中らしく私は夏休みの休み期間中のみ参加させて貰うことになった。
(有名ミュージシャンなので名は伏せておく。)

リハーサルスタジオに行く。
そこには本人は来ないが、ツアーバンドとミュージシャンの付き人、音響会社などの関係者が集まっていた。

いきなり、プロ現場だ。
こんな機会は滅多にない。
なんせ何の知識、経験もない私だ。
ギャラは無しだが、交通費と食費のみの支給の条件で飛び込んだ。

ツアーが始まってからは、朝も早かったりするので、私は音響スタッフのボスの家で寝泊まりさせてもらった。

機材の詰まったトラックで各会場を回っていく。

経験のないポンコツの私は、各地域で買い物に走ったり、片付けをしたり、ステージ中はケーブル巻の練習をしながら、袖でステージを見ていた。
そして、撤収の手伝いをしていく。

全てが楽しくまた刺激的だった。
ボスは合間をみて、私をとてつもない大きさのスピーカーが山積みの倉庫を見せてくれたり、番組などで扱う着ぐるみの会社の倉庫を回ってくれたり、珍しいものを沢山見せてくれた。

この体験はすぐに終わってしまったし、お金にはなっていないのだが、ずっと心の中に輝かしく残っているのだ。

が、これを後に繋げていく術を私は持っていなかった。

せっかくのチャンスを終わらせてしまう。

2年間の学校生活は早くあっという間に終わってしまう。
学校側の経験と言えば、音楽物の音響と言うよりも、テレビやラジオ番組での音響、音声さんの実習や知識の勉強が中心であった。
実際ラジオ局での実習もあり、番組出演、調整室見学、番組テープの編集、リクエストハガキの選出などのバイトもやったりはした。

そして、就職活動に入る。
音響関係となれば、大手テレビ局は4大生となってしまうので、制作会社とかを何件か受けるのだが、イマイチ乗らなかった。

やりたい事とやはり少しだけ違うのと、こんなに専門的で技術系の仕事の面接なのに、何故みんなと同じ様なリクルートスーツを着て、当たり障りのない優秀な回答をし、何なら3Kでも大丈夫か。とやる前から確認されながら、6秒間で判断されなきゃならないのか。

この就職活動自体に疑問を抱き、早々に辞めてしまった。

どうも、時代がこうだから、、とか、
みんなこうやって来ているから、、では、私は動けなかった。

就職活動は辞めてしまったが、親の手前(学費と家も出してもらったのに)無職で帰るわけには行かない。

ので、とりあえず、自分のペースで職探しをする事にした。

卒業を前に私は決めた仕事とは。

次回、就職編に

つづく。

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