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音の物語:自然から耳を鍛えた鈴木昭男の源に戻る

第二章

この秋、私は丹後を訪れた。1988年、一日自然に耳を澄ます「日向ぼっこの空間」の後、鈴木昭男さんが住み続けた場所だ。丹後半島の日本海側北部、福田川が流れる町並みへ、15時間以上、バスに揺られて辿り着いた。網野駅に、鈴木さんと奥さんの宮北裕美さんが出迎えて下さった。

車に乗ったところで、「お腹がペコペコでしょう」「眠たくない ?」と聞かれて、直ぐにお昼ご飯の場所に向かい、ありがたくご馳走になった。サーファーで賑わう八丁浜を通り過ぎて、緑深い高天山を望むと明るい野芝のある丘の上あたりが「日向ぼっこの空間」の現場ということだった。

「日向ぼっこの空間」は「秋分の日に、一日、自然に耳を澄ます」ため、一年半をかけて標準時子午線が通る地点で、現場の赤土から「日干しブロック」一万個を造りつつ二面の壁を積み上げたという。

詳しくは「第一章: 妙なる音を奏でる鈴木昭男をたどる

婚礼家具屋さんだった廃屋を住まい兼二人のアトリエにしたのだそうだ。鈴木さんがコーヒー豆を挽いていた時、ふわふわのロング毛猫のコトちゃんが挨拶してくれた。お三時のコーヒーをいただいた後、一階の鈴木さんのスタジオに下り、過去の経緯について語っていただけた。

一週間前、京都で開催された展示の写真を印刷してくださった。限定の本もいただいて、ドイツのノルトホルンのマップ、熊野古道の展覧会の本、ポストカードなどなどが私を待っていた。

父親が音楽をしていたため、オルガン、マンドリン、バイオリン、シロフォン、琴、尺八、鼓などが所狭しとあった家に育った。ところが、小学3年の頃に風邪気味で留守番となった鈴木さんは退屈しのぎにさまざまな楽器を並べて遊んでいた最中、要件が変わって帰宅した親にひどく叱られたため、「音楽嫌い」になってしまった。青年期に建築に携わっていた頃、「階段のリズム」という発想が突然に降って下り、バケツいっぱいのガラクタを階段に投げてみたくなり、名古屋駅の中央線プラットホームから実行した。しかし、頭の中に流れた美しい曲が、ガランポシャーンと終わってしまった。そのギャップを埋めるため、修行が必要と悟ったという。

音の世界に目覚めて以来、「自然を師」とした鈴木さん。1963年から10年近くを「自修イベント」と題して、本州と四国の各地を旅した。神保町の地図屋さんで白地図を手に入れて、土や石の採掘場、洞窟、渓谷、トンネル、切り通し、街中などの地形の音を確かめた。「小川を訪ねる」や「エコーポイントを探る」など、石を打ったり声を投げかけたりすることで、共振あそび実験ノートを描き溜めていった。

『トランソニック』1976年10夏号「レポート・一九七六・三・十八」

1976年10月号の音楽季刊雑誌『トランソニック』を見せていただいた。埼玉県の吉見百穴古墳群の洞窟でのレポートが記され、昔は、入り口に草がぼうぼうに生えた怖い入口に鈴木さんが入って音遊びをしていた。穴の空いた細い筒を振り回し、風を切る反射音が洞内をめぐって返ってくる。空間が応えてくれるのだ。残念ながら、1983年頃に、10年蓄積してきた図形と資料を黒いビニールを覆ってベランダに放置していたため、粘土のようになってしまった。

『トランソニック』1976年10夏号「レポート・一九七六・三・十八」

「空間に絵描きさんはよく筆でやるけど、これは一緒、音の筆ですよね」。 

冬の湖で、人々はスケートに興じるけれど、鈴木さんは岸のあたりで氷を投げてその音に耳を傾けた。膨張してせり上がった氷を砕いて、飽きず滑らせるのだった。遠ざかって細かくなってゆく氷はすてきな音を奏でた。耳を澄ますと、向こう岸で点てる音が「きょよよよん♪」と伝わってくる。網野町の「はなれ湖」のほとりに、廃材で建てた小屋にも10年住んだという。湖の不思議に惹かれ、日々自然を観察していたのだ。

〈耳・住む・澄ます〉

今、私はヘッドフォンで聴能形成をしようとしているが
 鈴木さんの耳は、自然から鍛えられていたということに
 感銘を受けた。

その頃、鈴木さんは毎日、網野町の「Kanabun」というカフェの二階の窓際の席でコーヒーを飲んでいた。オーナーさんは、80年代に鈴木さんのガラクタによる演奏を見届けた小学生だった。同級生たちは、記憶していないのに彼だけは、鮮明に覚えているという。お店を建てた頃に鈴木さんが店にやってきて、お二人は、20年ごしの再会をしたという。

そこで、「日向ぼっこの空間」のあるふもとに木造の家があると聞いた。前に鈴木さんにコーヒーをいただいた時、話に上がった草木染めをされている方だった。オーナーさんに教わってその「山象舎」の看板のある家に辿り着いた。なぜか気が引けて私は、立ち去った。

カフェに戻ったら、気さくな方だから突然に伺っても良いはずだという。1998年の壁つくりの仲間で「日向ぼっこの空間」を終えてからあそこに住んでいる「木象さん」という方だ。挨拶すればよかったのに…。

「あの山のエコーは、不思議だったなぁ」。10年に渡る旅で、最も心に残った音は、四国の山村で出会った「やまびこ」だった。徳島県の「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)」を南下し高知県の大杉に辿り着いた時、腹ペコの彼は、一軒の農家に立ち寄りおばあちゃんから自家製のお茶をいただいた。「美味しいお茶ですね」と発した自分の声が、近くの山からオウム返しに「おいしいおちゃですね」と、そのまま戻ってきた。お隣さんの噂話も出来ない村だった。以来、「やまびこ現象」に憑依された彼は、エコー音器のアナラポスの創作や、50ヶ所以上になる「点 音」に至り、音の探求をし続けて60年になるという。

   サウンド・インスタレーションには、基本スピーカーを使わない。            音は、表現をせずあるがままを聴くのが良い。
   録音した音は、「自然は不自然になってしまう」。

もっと資料をコピーして下さっている鈴木さん。

冬の山中湖、伊豆の天城トンネルなどの音の実験は、NHK・ドキュメンタリーフィルム(30分)に納められているそうだ。どこかに、これらの箱のどこかにそれがあるのでしょうか。

次に、6つの「点 音 “o to da te”」エピソードをシェアして下さった。

「ソナムビエンテ・フェスティバルのわくわく」
「ルーブル宮の騒ぎ」
「アテネの汗」ボーダーラインフェスティバル
「メルボルンでの悟り」
「ボン以来の観測」
「都現美「みちくさ」のすすめ」

1996年にベルリンで開催されたソナムビエンテ・フェスティバルは「点 音」の始まりだった。ドイツの首都がボンからベルリンに移るにつれ、建設ラッシュの音が街中に響いていた。若い頃の「エコーポイントを探る」を、公共の場に示すかたちで、ベルリン発祥の中洲一帯、ペルガモン博物館のある北の博物館島と南の漁師島と呼ばれる地区に25箇所の耳を傾けて佇むスポットを選んだ。足跡と耳の形でデザインしたマークをステンシル技法で白いスプレーをして回った。「点 音」は、茶の湯の「野点 (のだて) 」の精神から、そしてマークは、ジョン・ケージの左の耳をスケッチした過去の絵が元になっているというコンセプトです。 ケージの耳を踏むようなので、ずっと内緒にしていたという。

写真:怡土鉄夫、鈴木昭男 音のみちくさ「点 音」in
大府アートオブリスト実行委員会発行ブックレットより

無許可の落書き同然なのでわくわくだった。つづいてパリの街に招待された際、市の許可書があったために、ルーブル美術館の中で観光客に通報されたけれど守衛さんに助けられた。数年前、ギリシャのアテネでは、マーキングに立ち会ってくれた弁護士のために、17時ぴったりに終えなければならず、普通のんびりとするところを大急ぎで汗をぬぐいながらの重労働となった。

次は、メルボルンへ。ジェット機の窓から眺めた町並みが整然としていたところから挑戦的な一策を講じた。普段は、歩き回ってポイントを探したが、個展会場から5分、10分、15分、20分で行けそうな距離を地図上にコンパスで同心円を描き、それに米の字の線との交点で決めてみた。偶然に任せた交点を訪れると、どのスポットも完璧な解説が書けることに驚いた。

鈴木さんの手書き

その一例としては、歩道脇にあるマンホールの蓋だった。「点 音」マークの向きが変えられるかも知れない面白さがあり、そこに佇むと、目の前の車道が速度を落として静かな雑音になる。凸形に膨らんでいたのだ。また、向かい側の並木越しに線路があって、音のチャンスが聴けそうで印象深かった。いつものように、どんな路地も見逃さず、足を棒にして一生懸命探さなくていいんだ。日々の生活に休止符を打って、周りへの感覚が自然に開いてくる。ようするに耳を澄ますスポットは、世界のあらゆる場所にあると悟った。

ボン市立美術館の屋外に設置した“Observatory of Spirits” (2018)

写真:“Akio Suzuki: Stadtklangkünstler Bonn : city sound artist Bonn
Volume 14 of Urban sound art (2018)”ブックレットより

これまで、街の音に耳を傾けていたが、「ボン以来の観測」では、天空へと意識を向ける契機になった。人々は、鉄管の下方から声を出すと上方の閉じられた蓋に反射したエコーが返ってくる。各自の声紋は、祖先から受け継がれているとすると、ご先祖さんの声を耳にすることでもある。鉄管の先は、古代に人類が頼りにしていたであろう「北極星」に向けられているところから「精霊の存在に意識」敬うコンセプトだった。

何事も早い回答を欲してしまう昨今、大切なことをみのがしがちだ。2019年に、東京都現代美術館の野外展示場に置いた “no zo mi” も、「みちくさ」のすすめとして提示した作品という。

ロケット、飛行機、新幹線、車、自転車では、見逃すものがいっぱい。急発展を遂げる未来につれ、ゆっくり時間をかけて、気づいて、感覚を取り戻すことに、鈴木さんは追い求め続けている。歩いてこそ、野に咲く花を愛でたり四季折々を感じられる。原点に“耳の人間”として戻りたい。

 「ちゃんと歩いて、静々見たり、そういう道草が僕の人生なんですよ」。

丹後の旅は、網野町の「いっぷく亭」で催された音楽会で終わった。明るく浮遊した音に不思議を感じた。遠くから眺めて、鈴木さんが鉄板焼きの「おこしがね」で膝を打った音だった。膝は、そんなに響くんだ。彼の手首をじっと見つめた。その手首がリズムに乗って踊っているように見えた。きっと、膝頭から出てきた音を追って遊んでいるに違いない。なんと。

実は、古いペンキを剥がすための「皮すき」だったと鈴木さんが指摘して下さった。「おこしがね」のいとこのように見えた。

H2ADパフォーマンス「彼岸の空に」に登場した
音器の「石笛」、「アナラポス」と「スズキタイプ・グラスハーモニカ」

19時に終わったパフォーマンスのあと、37分の電車に間に合わないと大変で、網野駅までは、歩いて20分はかかる。打ち上げの席で、「Urashimaのピッツァを早く食べて行かないと、お腹が空くよ」と、鈴木さんが3回も声をかけてくれた。

幸運にも、主催者の方がビューんと車で送って下さったおかげで電車に間に合った。三つの乗り換えと二度遅れた電車で、ドキドキしながらやっと京都駅に到着できた。

夜行バスの中
その神秘な木の家のことが
私の頭の中にこだましていた



「第一章: 妙なる音をたどる」はこちらから。





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