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ひよこクラブVol.22 その席は、誰が決めるのか? 〜席替えする意味(後篇) 〜

 たった一人の生徒のクレームを聞き入れた結果、次々に玉突きが起きて、いつの間にか生徒たちの思い通りの席替えになっている

 でも、これは実際には一部の生徒の思い通りになるのであって、「生徒全員の思い通りの席替え」には決してなりません。その理由はみなさんおわかりだと思います。どういう共同体にも先天的にパワーバランスは存在します。その構図が顕在化しないこと、見えないことが大事なのであって、浮き彫りになってしまったら、まるで開き直ったかのようにあっという間にその共同体にいじめや、差別や、支配と服従が生まれます。
 
 もう一つ、「そんなだったらクジで決めます。恨みっこなしだかんな。後で文句言うなよ」となります。つまり、運が決める。

 これは恨みっこなしなので現実的だといえます。ただ、前に書いたような、生徒の心身の成長と健康の維持のことを考えての席替えの本来の意味、意義や、教育の機会は失われます。先生にも責任がなくなってしまうからです。意図も目論見もない、ただのレクレーションへと変わります。
「席替えなんてただのレクレーションでかまわない、そんなことまでいちいち教育されてたまるかよ」
と、ノリが命のバブル世代のような生徒か、あるいは、かまってほしくて何でも反対!の反抗期の中学生ばりの生徒にとってはその方がいいのでしょう。正直先生としてもいちいちめんどくさくないので、いっそのことその方が助かります。

 そう考えると、クジで決めるのは、これはこれでまるでWin-Winなのでノープロブレムなんですが、果たしてそうでしょうか?

 席替えで一度でも生徒や保護者からのクレームが起きると、二度と先生の方で熟慮して席を決めることはなくなります。それは何を意味するかというと、ひとつには、クラス生徒ひとりひとりについて、人間関係や学習態度、生活状況を悩みながら考える機会を先生から1回分(席替えが年3回なら3回分)奪ったことになります。もうひとつは、ある目的を持って実践された方法が失策だったということになるので、混乱や動揺のリスクを避けるために、少なくとも同じ年度内に同じ手法を取れなくなるのはもちろんのこと、そのクラスに対して新しい試みをあまりしなくなります。そういう意味ではLose-Loseです。

 たかが席替えと侮るなかれ。

 もちろん席替えに対して生徒は文句を言うなとか、クジで決めるのはダメだとか言いたいのではありません。わがままでない範囲で、心身面でのつらさがあるなら席替えであっても遠慮なく担任の先生に相談するべきですし、クラスの状況を鑑みたとき、クジの方が適切な場合だってたくさんあります。

 ここで一番みなさんに伝えたいことは、「例外の一般化」が始まると、思考停止にとどまらず、自分たち自身にとっての不利益変更を招く、ということです。
 席替えにしても、校則にしても、行事にしても、少なくとも最初は必ず意味と必要性があって実施されたはずです。学校で行われているひとつひとつに、できあがった経緯と意味を見出していきましょう。中には本当に不必要な儀式やルールもあるかもしれませんね。

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