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【口は災いの門】 『知らせない勇気』という本がベストセラーになる未来  ・・・がくるかも。

souiです。Go Toトラベルやらイートやらがじんわりと(良いのか悪いのか)活況ですね。
それに伴っめいろんな風景や食べ物、アトラクションを、SNSで見る機会が増えました。
え!そんなのまで!?というような珍しい場所や体験を、写真や動画で共有してくれており、みんなここぞとばかりにGo Toリベンジしてるなー、と実感します。

世界中が『知る人ぞ知る』を頑張って消していく

SNSを覗いてそんな”キラキラした思い出”を見るにつけ、みんながみんな世界中のあらゆることを、“誰もが知っている状態”にしようとしているように思えてきました。
まるで『知る人ぞ知る』という言葉を、世界中のみんなが一生懸命消滅させようと頑張ってるんだな」と思えるほどに。
当然それが珍しいものであればあるほど、素敵な経験であればあるほど、です。
(アドラー心理学でいう『優越コンプレックス』に話が飛びそうな予感がします)

長い目で見ると”マイナーであること”がステータス?

ふと思ったのは、みんなに知らせることや知らされた情報それ自体は、ユーザー(発信者)側のではなく、実は情報に触れない、触れさせない、関わらない側の利益になりそうということ。
”公知”と距離を置くことでこそ希少性が増すからです。

逆に、使えば使うほど“自分自身と発信する情報をコモディティ化させる可能性”があるのがSNSかなと思い始めました。

だからアカウントそのものも、実名、顔写真、所属する会社名、組織名をオープンにするということは、今は王道のように見えるだけで実は邪道だったのかもしれません。
そこにあるのは『有名無力、無名有力』という言葉がありますが、逆の生き方を自ら選んでいることになるという危うさ、かなと。

だって『知る人ぞ知る』、ではなく『よく知らない人でも知ってる』状態なら、もう触れる価値が毀損されている状態と言えなくもない。

自分の持っているものの価値を信じているほどに、公知にしないことが大切になる。『知らせない勇気』という本がベストセラーになる未来がくる・・・かも。

(あ「口は禍の門」、という良い言葉が既にありますね)


最後に)ノンビジュアライズな仙人を探そう

もし価値ある情報が欲しいと思ったら、「話そうと思えば話せるけれど、敢えて話さなかった人たち」の話を聞くしかないと思います。
そして聞かせて欲しい、と頭を下げるしかない。SNSの外にいる、そうでなければ極端にSNSに登場しない人に。つまり、”見えない仙人”な人たちに。

無料と手軽を栄養にして育ってしまった人間には辛い現実・・・。でも、自身の知見を深めたいならそうするしかないかもしれません。広めたいなら無料に手軽に、Googleがなんでも案内してくれますけれど(本当は無料ではないですが)。

だから、本当に価値があるものが欲しいなら、そんな人たちを探そう、会いに行こう、話をしに行こう と、思うのです。










ちなみに、ご自身のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、自分が育った町、そこに昔から住む人たち・・・。

その辺の方々は思い浮かびましたでしょうか?
見えない仙人・・・思い出の中にいてくれるその人らもそうですよきっと


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