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【自立を考える時期 の内容】


形は様々だけど、誰しも迎える自立について書きました。ここでの主な内容は、高校進学の事、就職に向けてのことです。


幼いころの息子は、私にとって永遠に守っていくべき存在で、自分の手の中から離れていくなんて想像もしていませんでした。けれど、声変わりもして、「ちゃん付け」で呼ぶことが不自然になった頃、社会へと送り出す準備をしなくてはいけないと思い始めたのです。可愛いからこそ、手を放していける環境を作る必要があると思います。その環境作りは、この文章を書いていた時も進行していた作業でした。






【露骨に成長の差を見たショック】


保育園年少組のとき。通り道だった公園で、砂場で遊んでいる知らない子のシャベルが欲しくなった息子が、その子の横で両手をパーにして体の横で振りながら、私のほうを向いて「こえっ!こえっ!」(「これ!欲しい」という意味)と言い続けました。



その頃、体は年少ですが言葉は1~2歳程度。「かして」も言えない息子に向かって、その子が「この子、なに言ってんのぉ。気持ち悪い」と言ったのです。年は同じくらいでした。あまりの発達の違いに、私は、血の気が引くような感覚がしました。自分が思っているよりも、息子を見る世間の目は冷たかったのです。




20歳になった息子は不器用な言葉づかいながらも、日常生活では困らずに会話をしていますが、彼の出発はそこなのです。努力を重ねて成長した過程を忘れてはいけないと、つくづく感じます。私のほうも、発達障害は治るものではないし、治そうとするものでもない。必要なことは「理解と支援」なのだと、思えるようになっていきました。



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