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知らない世界を知る。

2024年、とても暖かいです。春を迎えること、夏になることを少し億劫に感じています。ただ暖かくなるのが早かっただけで、夏の気温は平年通り変わらないということにならないかと期待しています。ただ、夏は暑すぎるのでもう少し涼しくなれと思いますが。

今僕は大学4年の春休みで帰省しています。4月から社会人になり、地元を出ることが決まっているので学生生活最後の帰省になります。
地元へは、大学生活の長期休みの際帰省することが多かったですが、大学卒業後、地元へ戻るという選択肢はないです。

僕は大学生活を始めた当初から地元へ帰る気はなかったです。
地元の友達やお世話になっている人たちにもそう言っていたんですが、時間が経ち地元へ帰ってこないことが現実味を帯びてくると、「なんで帰って来んとや?」「寂しかろ?地元が一番ばい、帰って来い」ってありがたいことに言ってもらっています。
僕は「なんでや?なんで地元出たくないんや?」って逆に聞き返すんですが、大体みんな地元が一番知っていて楽しいし、楽だから、友達がいるからって答えます。
そこです。僕はそこに重きを置くより、知らない世界を知ることの方が楽しいと感じています。

最近、「知らない世界や物事を、その内側から知ること、体験することが好き」だなって言葉にしてしっくり来ました。
思い返せば、幼少期から「コレはこう」「それはソウ」だと物事や世界を決め付けられていることが嫌でした。
「なんで?」まではないものの、違和感、妙な引っ掛かりを感じていました。
でも、引っかかっていることを考える時間は途方もないし、めんどくさいし、時間かかるし、そもそも自分で考える、言葉にする力が人一倍しょぼいので「コレはこう」の世界で高校までの18年間生きていました。
「コレはこう」の世界線で物事が進んでいくと、その物事をはじめた原点に違和感があるから、余裕がなくなる、苛立つ、怒るっていう負のサイクルを生み出していました。こんな風になること、多かったです。

しかし大学では、そこに新しいスパイスを加えてみる方法を学びました。「コレはこう」に「コレはこうじゃないんじゃない?」、「コレはビョーンでどう?」みたいな、、笑。議論するみたいなイメージで良いです。(自分の脳内、人とです。)
このスパイスとは僕の知らない世界のことです。
僕の知らない世界とは、僕と違う考え方や、思想、価値観、はたまた、文化や歴史、本や人間など多岐にわたります。

知らない世界や物事の捉え方を”知る”、でもそれを”知る”だけでは僕は納得できないし、空中分解してしまうから、その世界を体験する、感じる、体を動かす、質問する、とにかく納得するまで何かしらのアクションを起こす。(その内容によるけど、わからないことは人の話を聞いて理解するより、身をもって感じ、自分の内側から湧き出てくる言葉で理解した方が僕にとって100倍理解できるし覚えられるので。)そうしてやっと知らない世界を自分のフィルターを通して自分のものにすることができる。
コレ、ものすごい気持ちいいんです。 

それに大抵自分の知らない世界をその内側から知った後は、もともと知っていた世界も新しい世界も両方とも好きになる。物事や世界の捉え方は増えるし、今度はそこに関わっている人たちに興味が及ぶ。そこでまた、自分の知らない世界や人間と出会う。知らないことを知ることに終わりはないんです。

探求は止まらない。

みんながみんな完璧にお互いのことを理解し合うことは難しいのかなって思います。でも知らないことを自分のフィルターを通して体験、知ることで新しい世界と自分に出会い続けることができると思います。

僕を形成する一つの価値観が昨日の深夜に言葉として降りてきたから、ここに言葉を綴っています。
気持ちい。


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