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茶会における「観客」の出現〜オンライン茶会を経験して〜

 先日、 一席一菓 〜祓えのに参加させて頂いた。人生初のオンライン茶会。とても楽しかった。菓子は前日に冷凍で届き、当日に常温で解凍して本番を待つ。不備などは機器的なものしか起こらなかったため、現段階では問題に値しない。亭主と正客の見事な案内によって、茶会は終始和やかに進み、無事、一座建立して終了を見た。


出現した「観客」という存在

 オンライン茶会の内容よりも、私が気になった点は、亭主と正客が交わるその瞬間を傍観する我々が今まで以上に「観客」であることを認識したことだ。

 以前から、大寄せの茶会(一席、数十人が集まる茶会)など、大人数で行われる茶会でも、観客の存在は感じていた。何故なら、亭主、もしくは点前者が点てる茶を直接飲める客人は、お正客から三客まで、濃茶であれば五人までで、それ以降の客人たちは、裏で点てられた茶を飲むことがほとんどだったからだ。亭主と正客の会話を眺めている我々は一体何者であるのか。以前から気になっていた点であったが、今回の茶会に参加したことで、それまでの「傍観者」とは全く異なる存在となり得たことを感じた。それが、今回の「新たな観客性」だ。

 茶席は、通常亭主と客人の二人称で進行するが、今回に至っては、亭主、客人、観客という三人称の出現を見た。二次元であった関係性が、三次元化し、それによって、「オンラインの奥行」が生まれた。茶会における「客人と観客」については、これまで何度も議論されてきた点であると思うが、画面という境界線と、所持せねばならない「アカウント名」という存在性において、より現実に具象化されたものであったと思う。さらに新しいことは、観客が亭主に会話を投げかけることができる、という点も言える。
 つまりは、参観者の誰もが正客であり、観客にもなりうる、今までにない茶会であった。

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 今回の茶会は、大変盛況であったようで、亭主一人に対し、百人以上の客人がいたようだ。現実に行えばそれだけの人数を一人でもてなすことなど不可能だが、オンラインゆえの自由自在な三者構造によって、その目的を果たせたのだと思う。
 オンライン茶会は、これまで大寄せの茶会で大量生産された「傍観的連客」の存在を消した。亭主が名指しで話しかければたちまち正客となるし、黙秘したまま終われば、その場にいない故にただの観客となる。
 
 では、実際の茶会で行うことは不可能である、参加者全員を観客とさせず、正客として迎える場合、どのような方法があるだろうか。既に私は実験したい茶会が幾つか頭に浮かんでいる。それはオンライン茶会であるからこそ、成立するのだと思っている。

 世界中で大きな災厄が多発していて、日々、気の滅入ることも多いと思われるが、今までにない希望的転換が起きていることも事実である。ただ楽観的になるのではなく、現実を精査すれば必ず明るい次の展開がある。その日を楽しみに、毎日を生きたい。
 非常にたくさんの気づきを与えて頂いた茶会だった。

武井 宗道

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