会えることの有り難さ
1日は24時間。
誰にでも等しく与えられている。一応。
(組織のトップは、また少し勝手が違って、
チームメンバーの時間をいくらか自分の為に使うこともできるけど)
決められて、毎日等しく分配される「時間」
最近は時間の概念が少し変わってきたように思う。
可処分時間の使い方
コロナウィルスが蔓延して、私たちの生活は劇的に変わった。
「オリンピックがあるから時差出勤やテレワークを導入しようね」
お国がいくら推奨したって実現できなかったであろうテレワーク化を、ウィルスは瞬時に実現させた。
『進化とは脅威に晒される度に起こるものである』
どこかの偉い人がそんなことを言っていた。
まさしくその通り。
今、日本人は、全世界は、脅威に晒されて生き残りを懸けて戦っている。
その中で特に変わったと思うのは、可処分時間の使い方だ。
「こんな時にでも、話したいことは何か?」
「こんな時にでも、会いたい人は誰か?」
「こんな時にでも、やりたいことは何か?」
今まで意識していなかったようなことを、みんなが考えるようになった。
その中でも、「会いたい」はお互いの気持ちがあって初めて実現すること。
こんな時にでも会いたいと思い、思われる関係は貴重だ。
取捨選択の時代に
取捨選択を余儀なくされる、今。
会いたいと言って会えるのは、とっても特別なこと。
彼氏でも、友達でも、サークルの人でも、会社の人でも、取引先の人でも、美容院の担当さんでも、みんなそう。
ひとつひとつの「会う」に、改めてありがたみを感じた日だった。
私のために、今日の自分の可処分時間を使ってくれた全ての人たちに
ありがとうございました。
これを読んでくれた人も、ありがとうございます。
ご清聴、ありがとうございました。
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