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【ためし読み】小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』/⒈虹をたずねる舟(パント)

2020年7月に創業したばかりの出版社、素粒社です。素粒社のはじめての本となる、小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』が刊行されました。フランス、ニース在住の俳人・小津夜景さんがつづる漢詩のある日々の暮らしーー杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。本記事では『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の一部をためし読みとして公開しています。


 虹をたずねる舟(パント)


 高校生のとき、英語の教育実習生として、北方領土からユーリ先生がやってきた。

 ユーリ先生はもうすぐ28で、不死身の兵士みたいにごつい体つきをしている。眼光はするどく、片頬に刃物の古傷があり、めったに自分から喋らない。
 あの先生、お休みの日はなにしてるのかなあ。引っ込み思案だし、あんがい一日中部屋にいたりして。
 いらぬ心配をつのらせたわたしは、翌週の授業のあと、阿寒湖畔や摩周湖といった近場の観光地をユーリ先生に教えた。するとユーリ先生は風土が似ていることに関心をもったのか、硫黄と温泉が豊富でおまけにヒグマもいるという択捉(えとろふ)島の話をはじめた。そしてそのまま校舎の裏にある蝦夷(えぞ)桜の下で、先生と二人でお弁当を食べる流れになった。

「言葉とか、いろいろ、つらくないですか」
 かたことの英語でたずねつつ、チャーリーブラウンのお弁当箱をひらく。ふたの上に、ぽとん、と枝から毛虫が落ちる。葉桜の季節だ。
「少しね。でも島には仕事がないし、日本で英語の先生になれたらいいなと思っているんだ」
 購買のカツサンドをほおばりながら、ユーリ先生が言う。
「じゃあ、先生はずっと無職?」
「いや。賭博場で働いているよ」
 ユーリ先生はお尻のポケットから手帳をとりだすと、カードのように頁をめくって一枚の写真を引き抜いた。横からのぞきこむと、そこにはオホーツクの見なれた風景が写っていた。

 人は生まれる場所を選べない。自分も炭鉱の町に生まれ、知らない土地をめぐるうちにすっかり小さな実存主義者づいて、よわい九つにもなると、山も谷もない吹きさらしの原野から、ソ連の監視船がゆきかう海をはるか遠くにながめては、なぜ自分はここにいるのか、なぜ自分は生きているのか、と考えない日はなかった。
 不条理という言葉をおぼえ、ふしぎな親しみを感じたのも同じころだ。この世界しか知らないのに、別世界をさまよっている感じがぬぐえなかったわたしに、その言葉はかすかな、それでいてゆるぎない光をもたらした。そしてその光へといたる道に咲きほこる孤独と郷愁、詩と思弁、狂気と笑いといった花々の香りを、すでに終わったできごとのように回想した。ところがーー

 キーン、コーン、カーン、コーン……。

「あ」
「行こうか」
 ユーリ先生が立ち上がった。わたしはチャーリーブラウンの弁当箱を袋にしまうとそのあとを追った。教室への帰りしな、水飲み場に寄り、手を洗うために蛇口をひねると、冷たい水がわっといきおいよくほとばしった。
 水しぶきが織りなす6月の光と虹。ふいに胸の中から、だが虹は不死身である、不条理の世界においてさえも、という声が聞こえた。

 高校の教育実習は3週間でおわり、ユーリ先生とはそれきり一度も会っていない。それきり、は日々のまんなかを流れる川だ。生きていれば別れがあるし、もっとありのままにいえば、この世界ではうしなわれるものだけが目の前にあらわれる。
 でもそれならば、あのとき水飲み場で耳にした不死身の虹とはなんだったのだろう。わたしは首をかしげた。

 ふたたび、さよならケンブリッジ  徐志摩

 そっと僕は立ち去ろう
  来たときのように そっと
 僕はそっと手をふって
  さよならする  西の空の雲に

 金色に染まる岸辺の柳は
  夕日にたたずむ若き花嫁
 きらめく波にあやをなす影が
  僕の心にゆらめいている

 やわらかな泥に生えたみずはこべが
  つやつやと水底にたなびいている
 カム川のやさしいうねりに僕は
  あらがえずして一本の水草になった!

 あの楡の木陰の淵が湛えるのは
  清らかな泉ならぬ天空の虹
 浮き草のあわいでもみしだかれ
  沈んでゆくのは虹のような夢

 夢をたずねようか? 長い棹をさして
  青い草むらよりもっと青いところへと
  ゆるやかにさかのぼり
 舟(パント)いっぱい星をしきつめ
  星明かりのなか 僕はうたう

 ただし僕は声を立てない
  静けさこそ別れの調べなのだから
 夏の虫も僕のために口をつぐむ
  今宵のケンブリッジは沈黙の舞台だ!

 ひそかに僕は立ち去ろう
  来たときのように ひそかに
 僕はひらりと袖をふって
  ひときれの雲さえ持ち帰らない

 徐志摩が「青荇」とした草は中国では見かけない植物で、張葵「カム川畔の『青荇』を探す:『志摩草』はこのようにして生まれた」(加藤阿幸、兵頭和美訳)によれば、英語で « water-starwort » の俗称をもつ。日本語ではみずはこべというらしいが、水星草(すいせいそう)、と直訳してみるのもこの詩の情緒にふさわしいのではないか、と張葵は書く。
 浮き草にもまれ、くしゃくしゃになって、水底にしずんでもなお、虹の光彩をうしなわない夢というもの。この、あたかも醒めることを禁じられているかのような夢の起源をたずね、星くずをしきつめた舟で川をさかのぼるとき、世界はなにも語らぬおももちで詩人をそっと囲いこみ沈黙の言葉をつむぐ。詩人は詩人で、はるか遠くからこちらを向いて立っている別れが、舟の進む速度でしだいにそのきらめきを増してくるのを感じながら、声なき歌を胸いっぱいにうたうのだ。

 結局、虹のような夢の起源には、たどりついたのだろうか。

 徐志摩は1897年生まれ。ケンブリッジ大学留学中に文学に目ざめ、帰国後は「新月」を刊行、中国の新詩運動の祖となった。彼がこの詩を書いたのは3度目の当地訪問の折で、その3年後、旅客機の墜落事故で34年の生涯をとじた。現在、ケンブリッジを流れるカム川のキングス橋のたもとには、この詩を刻んだ白亜の石碑が建っている。

 再別康橋  徐志摩

 軽軽的我走了,
  正如我軽軽的来;
 我軽軽的招手,
  作別西天的雲彩。

 那河畔的金柳,
  是夕陽中的新娘;
 波光裏的艶影,
  在我的心頭蕩漾。

 軟泥上的青荇,
  油油的在水底招揺:
 在康河的柔波裏,
  我甘心做一条水草!

 那楡蔭下的一潭,
  不是清泉, 是天上虹
 揉砕在浮藻間,
  沈澱着彩虹似的夢。

 尋夢?撑一支長篙,
  向青草更青処漫溯,
 満載一船星輝,
  在星輝斑斕裏放歌。

 但我不能放歌,
  悄悄是別離的笙簫;
 夏虫也為我沈黙,
  沈黙是今晩的康橋!

 悄悄的我走了,
  正如我悄悄的来;
 我揮一揮衣袖,
  不帯去一片雲彩。

小津夜景(おづ やけい) 1973年北海道生まれ。俳人。2013年「出アバラヤ記」で攝津幸彦賞準賞。2017年『フラワーズ・カンフー』(2016年、ふらんす堂)で田中裕明賞。2018年『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。ブログ「小津夜景日記*フラワーズ・カンフー



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