総発信時代における負の側面にどう対処するか~リテラシー能力を身につけるための価値観への気付き~
無駄なものと言ったら失礼だけど、情報をはじめとした色んなコンテンツが世の中には溢れている。
多様性を認める社会があって、色んなものに手を出せる環境というのは、
自然発生的に作られたものなんだろうけど、コンテンツは飽和状態。
総発信時代の負の側面なのかなという感じがする。
この時に消費する側に求められるのはリテラシー。
時間は有益。効率的なものを求めてしまうという思考の前提があるから、
ついついこれらの事に否定的な見解の仕方しかできないんだけど、
これから先、もっと色んなコンテンツが増え続けるであろう時代の中で、
子ども達がしっかり成長していくためには、リテラシー教育は欠かせないと思っている。
では、リテラシー能力をつけるにはどうすればいいか?
これは、意味あるもんだよ。これは、あんまり意味ないからやめとけよ。
のように、大人が取捨選択の間に入ってしまっては、リテラシー能力は備わらない。
価値観の決定権は、実際に消費行動をとる子ども達にあって、そこにあーだこーだ口を挟んではいけないのが、まず最初のポイント。
そもそも良し悪しの価値観を判断できないからと言って、大人が介入しまくってはいけないと思う。
そうなった時にできる事はなんだろう?
単純に考えると、自分で判断させて決めさせてという事になるんだろうけど、
一番大事な事は、
自分の中の価値観に気付かせてあげる事だと思う。
なぜそんな選択をしたのか?
いちいち聞いてても仕方ないんだけど、問う事で、考えさせる機会を与える事が重要なんじゃないだろうか。
人はたくさんの選択を繰り返してると言うけど、その選択の繰り返しの中で、
少しずつでも意味を見出だす事ができたら、
段々と角張ったものが丸みを帯びてきて、自分なりの価値観への気付きに繋がるんじゃないかと思う。
ろうそくの火は、かつては周りを明るくするためのものだった。
停滞していくろうそく産業は、アロマキャンドルという意味を付け加える事で、産業として復活した。
これは、意味あるものを消費したいという人の根元的な欲求だと思う。
その根元的な欲求に気付かず、無駄なものを消費し続けていては、
大人になって、意味あるものを作り出そうとした時に、思考が停止しちゃうんじゃないかと思う。
色んなコンテンツが溢れているからこそ、色んな場面で意味や価値を意識する。
そんな心がけが必要じゃないかと思う。
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