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第21話:名をつける

結婚したばかりの頃、まだ子供が出来る気配もないのに、僕とカミさんの間で子供の名前についてのひそかな論争が巻き起こった。

名前を付けることは、難しい。

学生のときの友人にまりんという名前の女性がいたが、その名は両親が海が好きだったため、marineをそのまま平仮名で表記したと言う。そんなおしゃれなエピソードを持つ名前もあるかと思えば、僕の同僚は居酒屋で飲んでいる時に誕生の報せを聞き、ふと見上げるとアサリと書いた品書きがあり、それで|麻里《まり》とつけたと語ってくれた。そんな人に語りにくいエピソードを持つ名前もある。

何故か僕もカミさんも女の子が産まれると信じており、女の子の名前ばかりが話にのぼるのであるが、考え出すと何を見ても聞いても名前と結び付けずにはいられなくなり、頭の中が名前だらけになってしまう。

人名、地名、季節、新聞からテレビから、カミさんはいろいろに名前を引っ張り出し、候補を捻出するのだが、何かしらの思いを込め、普通すぎず、しかも変わり過ぎていない名前を付けたいという思いがある。
と同時に一年間に何百人もの生徒と接する教員稼業の悲しさで、どうしても名前とその生徒のイメージがだぶってしまう。正直なところ、いかにしても避けたい名前もある。

そんなこんなで挙げられた名前を、それはダメ、それもダメと否定してゆくと、しまいに話はバカげてきて、「それなら果物や野菜なんかから採ったらどう?みかんちゃんとか、トマトちゃんなんてかわいいじゃない」などということになってしまう。

業を煮やしたカミさんが「あなたは何がいいの」と聞くので、万葉集の歌の中にある夏実、あるいは寺山修司の歌の中に登場する夏美、室生犀星の小説の中にある杏子と挙げてみるが、決定打にはならない。
ふと、キョンキョン(小泉今日子)のCMを見ながら「キョーコはどう?」と聞くと、唐突に「わたし決めた。アキコにしよう」と言い「字は亜希子」と言う。
アキコはダメ。杏子がいい」と反論すると、「どうしてそんなに杏子にこだわるの?亜希子でいいじゃない。杏子さんてお知り合いの方でもいたの?ひょっとしたら初恋の相手だったのかしら」などと言い出す。

「とんでもない。僕は君が初恋だ」などと訳の分からない反論を試みるが、彼女は自分の名が父親が「これでなければならん」と一言で決めたのを、父親が初恋の人の名を付けたのだと疑っており、その想念が強く頭にこびりついているらしい。
そう言えばそんなふうに初恋の人の名を娘につけるお父さんもいるやに聞く。授業でそんな話をし、女生徒に「君たちの名前はひょっとしたらお父さんの初恋の人の名前だったかもしれない」と言ったら、「ゲェー」と言っていたが。

ここだけの話、字こそ違うものの実はカミさんが主張するアキコこそが僕の初恋の相手の名前なのである。初恋に苦い思い出のある僕としては、ぜひその名だけは勘弁してもらいたく必死に懇願していた次第なのである。


さて、くだらぬ論争はさておき、かくかくのやりとりの中で、名前とは何だろうかと名前の不思議さに思いを馳せてみたりした。

名を呼ばれしもののごとくに振り返り朴の大樹も星も動きぬ

ある歌人の歌である。優しい響きのある良い歌だと思う。人は名を呼ばれながら育ち、名前によってあるものになり、それを呼び合うことによって人とつながり、時に名をものに付けることでそのもの願いや豊かさを与えようとしている。
あなたは自分の名を呼ばれたときにどんな顔をして振り返るのだろう。自分という存在をどのように名付け、意味づけてゆくのだろう。

そうすると、ある意味では、名前とは、思いや願い、希望であるのかもしれないと思ったりしてみる。

1989.7.昭和は終わり、新しい時代は平成と名付けられた。内平かに外成るという意味であるそうだ。必ずしも、そういう時代ではなかった。
そして、2019年5月、令和が始まった。beautiful harmony、美しい調和という意味が込められていると言う。図らずも、コロナや不穏な世界情勢の中で、その名に込められた思いには遠い現状である。

平和な時代であることを願いたい。

(土竜のひとりごと:第21話)



参考までに昭和・平成・令和の(多分)出典となる記述を挙げておきたい。ただ、これが限定的な出典であるかは知らない。

【昭和】史記卷一 五帝本紀 「堯帝」

帝堯者放勳、其仁如天、其知如神。就之如日、望之如雲。富而不驕、貴而不舒。黄收純衣、彤車乘白馬。能明馴徳、以親九族。九族既睦、便章百姓。百姓昭明、合和萬國

堯は放勲、その仁は天のごとく、その知は神のごとく、これに就くこと日のごとく、これを望むこと雲のごとし。富めども驕らず、貴けれども舒らず。黄収純衣、彤車にして白馬に乗る。よく馴徳を明らかにし、もって九族を親しむ。九族すでに睦まじくして、百姓を便章す。百姓昭明にして、万国を合和す。

※でも実は「昭和」は「光文」であったのを、東京日日新聞がスクープしてしまったため、枢密顧問官たちが別に用意して置いた「昭和」が採用されることになった、とのことである。

■【平成】史記卷一 五帝本紀 「舜帝」

昔高陽氏有才子八人、世得其利、謂之「八愷」。高辛氏有才子八人、世謂之「八元」。此十六族者、世濟其美、不隕其名。至于堯、堯未能擧。舜擧八愷、使主后土、以揆百事、莫不時序。擧八元、使布五敎于四方、父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成

高陽氏に才子八人あり。世、その利を得、これを八愷という。高辛氏に才子八人あり。世、これを八元という。この十六族の者、世々その美を済し、その名を隕さずして堯に至る。堯、いまだ挙ぐることあたわず。舜、八愷を挙げ、后土を主らしめ、もって百事を揆る。時に序でざるはなし。八元を挙げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝、内平かに外なる。


■【令和】『万葉集 巻第五』梅花歌卅二首并序

初春月、気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す(新春の好き月、空気は美しく風は柔らかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如き香りを漂わせている)

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