家族との関係”母親”

私の母親は、頭がよく、読書家で、器用で、料理は上手、仕事もやらせたらなんでもそれなりにこなす、家事は完璧な人。

子供のころは、勉強のできない私に付き合ったり、旅をさせてくれたり、自分の時間のほとんどを子供の時間に使ってきてくれた。

また、両親は大学生活がとても楽しかったようで、私たち子供にも、大学生活という素敵な時間を持たせてくれた。

でも、私は母親に対して、今でも顔色を窺って接している。

本当は、キャリアウーマンみたいに仕事をしていたかったと思う。時代や父親との関係から、仕事から離れて家庭に入ることを余儀なくされてしまう。

子供を持った今だからこそ、子育て真っただ中の母親は本当に大変だっただろうと想像できる。よく、逃げ出さずに過ごせたなと思うくらい。

父親は、今でいうイクメンとは真反対の人。仕事中心の生活で、休みの日はゴルフかテレビゲーム。家事もできないし、子育てもそこまで参加していない。学校行事へ来るなんて皆無だった。
それでも、子供から見る父親は、怒らない、優しい存在だった。

妻である母からすると最悪な夫だっただろう。今の私なら耐えられない。

子供が学校に行きだすと、母親は仕事を始める。
しかも、職場が少し遠かった。
それでも、朝、子供にご飯を食べさせて、掃除、洗濯、自分の用意、仕事に行き、帰って、夕飯の支度、お風呂に、寝かしつけ、片付け・・・
考えるだけで地獄のような毎日を過ごしていた。自分の時間なんて1㎜もない。
夫はいるのに、いわゆるワンオペ状態。

こんな、時間を過ごしているから、母親はいつも怒った顔をしていた。
私は、何かを言い出したくても、言い出せず、結局、直前になって言い出すことになり母親からは「急にそんなこと言われても」とイライラ声が響いてくる。

何かをしたいと言えば、「そんなの困る」と不機嫌になる母親を想像して、あまり言えなかった。

今思えば、私の提案はいつも突然で、急だから、母親は対応できないのであろう。
私は、ずっと前から温めていたことだけど、母親のイライラした反応を想像して言い出せなくて、直前にどうしよもなくて伝えてしまう。この悪循環ばかりだった。

拒否されることをイメージして伝えてみた結果、母親からはこれは成長の一歩と捉えて、機嫌よく「いいよ、じゃーどうする?」なんて言われると、私は逆に混乱する。
えっ、その回答は待っていなかった。どう、対応したらいいかわからない。特に考えもないけど・・・と。結果、いい方向には進んでいかない。

それでも、母親とは母と娘という関係を作り出したかったし、認めてほしかったし、褒めてほしかった。

しかし、何かを聞くといつも「んー、まあまあ」と中程度の評価で、批評も付いてくる。私はそれを期待していない。
「すごいね」これだけでよかった。

活字と縁を切った私が、活字の入り口に入った時、手にしたのは、漫画のタッチ(あだち充)。漫画だけれども、始めてすべてを読み終えることができた。
そのできた感も喜びだった。
そして、母親に「たっちゃんと、かっちゃん、どっちが好き?」と聞いてみる。「私は、たっちゃん」と先に自分のことを伝えると「まーそういう漫画だからね」とそっけない。
そんな大人な回答は求めてなかった。「私は、こっち」と質問の回答をしてほしかったし、そこから漫画の話しをしたかった。
でも、想像していなかった大人の回答に、それ以上の会話を終えてしまった。

学生を終えてからは、就職先をコロコロ変えて、あげく全く結婚という話を持ってこない娘に心配をしただろう。その心配の表現の仕方がまたおかしい。

27歳の誕生日の夜、電話がかかってきた。

「今日、誕生日だね。私は、今のあなたの歳で、あなたを産みました」

と。

えっ、おめでとうじゃなくて。

30歳を超えて、ようやく結婚話しを持ってこれた。結婚式には母親の姉の着物を借りたり、母親の帯を借りたりと、母親孝行しているつもりだった。
それに反応するように、新婦の母らしく、着付けやヘアメイクの打ち合わせに母親も付いていくと言い出した。それは予想していなかった、うれしいできごとだった。
しかしいざ、日程を決めようと連絡をすると、「あー、私も行くの?」とそっけない。もう、そんな気分はなくなっていたみたい。
当日の現場でも、コメントを求めるが、特に反応はない。「いいんじゃない」と。

結婚式当日も、新婦の親らしく泣いたのは父親だけ。母親はあっけらかんとしていた。

結婚後、なかなかできない孫にヤキモキされつつ、ようやく出会えた孫。産後、1ケ月実家でお世話になった。母親は自分の産後は実家に長く世話になった経験もあるため、待ってましたと受け入れてくれた。

家を離れてから、これほど長く母親と一緒の時間を過ごすことはなかった。母はこれでもかってくらい、父親にたいしてぐちぐちと不機嫌なことを言っている。よく、父親は怒らないなと感心するほど。
この、ぐちぐちが、子供のころの母親のイメージを具現化させ、私のメンタルはソワソワしっぱなしで、実家にいるのに落ち着かず、気を使ってばかりいた。

1か月後、家に戻ったとき、心配もあったけど、ほっとした方が大きかった。

2人目の産後も実家で世話になることとした。そこには、2歳児も一緒に。
2歳児や新生児の面倒をさほど見ることなく、仕事と家事に没頭する母親。
2歳児は急激な環境の変化にバランスを崩し、いつもはやらないようなことをして、私にも、私の母親にも、父親にも怒られてしまう。

そんな、私も一人目の実家生活を思い出し、気を使い、産後で私自身もバランスを崩し、限界だった。
まだ、実家にきて1週間。ここでの生活は無理と判断し、家に戻った。気が楽だった。

母親はいつも、母親なりに子供の成長を考えて、行動し発言していたと思う。私にその理解力がなかった。母親の背景を知れば、しょうがないと思うし、もっと私から別のアプローチをするべきだったのだろうと、今は思える。

それでも、心にできてしまった、母親に対するイライラした顔や声のイメージはなくならないし、今もその姿に私はひるんでしまう。
それでもその人の笑顔を引き出したくて、その人に認められたくて、いろいろと恐る恐るぶつけてみる。

やっぱり今でも思ったような反応はないけれど。

そんな思いは、自分の子供にさせたくないと思っていたけれど、イライラしっぱなしで、そのイライラした時の言葉が、当時の母親そっくりで、嫌になる。
同じことをしてしまっている。ぐっと、こらえる日もあるけれど、余裕はいつもない。

だめだと、思い4歳児に甘えさせてみると、相手は少し照れながらびっくりもしている。

そこで、さらにあっ、まずい、と思う。

イメージしているママにはなかなかなれない。今の生活を全く変えてみないといけないか、と思うこともある。一番なりたくないママのイメージはできているのに、そこにばかり近づいてしまう。

いつも、いつも焦っている。できないことに。

そして、あー、今月も帰って孫に会わせなきゃな・・・と母親の顔を想像して、そんな風に考える。

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