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心の病気と闘う日々をつづる(エッセイ)

生きていれば、頑張れたこと、頑張れなかったこと、後悔すること、後悔したこと、沢山あると思う。


心の病気って難しいものだ。永遠に寝ていたくても、なかなかそうもいかないし、気分が悪い時は一日が終わるまでの時間でさえ、長く感じる。ポジティブに考えようとしても心が落ちる。


ただ、今noteを書いているのは気分が落ち込んだ18時頃、書きながらだんだんと症状が和らいできた。

思えば私が何か文章を書くときは、気分がふさいだ時だった。


だから何も書かないときの方が、健康だったのだ。創作活動というのは、いわば私の健康のバロメータ。ある意味、鬱状態の時の方が執筆は捗るような気がする。


そう思うと、少しだけ気分が楽だ。何かを生み出すというときに、明るい気分である必要はない。息をするために文章を書く。そういうものなのかもしれないと思った。


鬱な時に書けないよりは、書いた方が楽になるのであれば書けばよいと思う。少しずつ少しずつ、塞いでいた気持ちが明るくなるのを感じる。世の中の小説家や漫画家は、いつもこんな気分で書いているのだろうかと思ってしまう(笑)

そんなことはないだろうが、昔の文豪の書く、例えば「夏目漱石」や「太宰治」のような人の作品を私が読めないのは、どこか悲観的で暗い物語を読みたくなかったからだと思う。彼らの精神状態が安定していたとはとても思えないし、作家の中には自殺した人もいる気がするし、正直作家という生き物は闇が深い人が多いように思う。


私が文章を書こうとするときは、いつも気分が暗い時だった。今、不安な時は何もできないような気がして、焚火動画を見たりジブリの曲動画を見たりしたが、なんだか気分があまり良くならなかった。

前回の記事でボーっとするとよいと書いたが、どうやら効果がない時もあるらしい。自分自身でこころの実験をしているような、不思議な気分になっている。


私自身を実験体にして、こうしたら良くなる?こうしたら悪くなる?という趣味の悪い実験をしている気分だ。文章にすると、途端に自分がただの登場人物の一人になったような気分になり、なぜか気分が楽になる。そんな気がした。


今はなんだか気分が楽だ。15分ほどたっただろうか。絶えずキーボードを叩きながら、自分の気持ちの整理をしている。

今日から、フォロワーさんから勧められた、気分の上下を記録する日記をつけることにした。試しにメモ帳に、時間とグラフを書いて、気分の落ち込みと上がり具合を山で表してみた。


午前中に出掛けたおかげで、昼頃は気分が上がり、夕方になるにつれて下がっていた。つい、15時半くらいに帰宅してしまい、それ以降気分が緩やかに下降。18時頃にピークを迎え、今noteを書いたことで気分が上昇し始めた。


生きるために、私は書く必要があるのかもしれない。書くことでしか表現できないのなら、私には書くしか手立てがない。うまく言葉で伝えられないのなら、書けばよいと思う。エッセイほど自分に向いている分野はない。

絶えず続く思考の一部をここに書き込むだけだ。


ただ、すでに10月2日の昼頃に投稿してしまっているので、この記事は明日投稿しようと思っている。だから今読んでいる方には昨日書いたものを読ませてしまって申し訳ないが、書く手が止められないし、自分でも自分の生態を知ることに躍起になっている。


なぜなら、不安状態になるのは本当に嫌だからだ。この不安がいつ襲ってくるかわからないのも、最低だ。どう過ごせば一番こころが健康でいられるのかがわからないと、とりあえず外に出ることくらいしかできないのだ。


色々なことを試してみた。ただ、時間が過ぎればよくなったりもしている。今適応障害から次の局面に移ろうとしているのであれば、全力で止めねばならない。それで手帳が得られるとしたって、苦しみが長引くのは絶対に嫌だ。

これはこころの病にかかってみないとわからないが、不安状態で一生いたい人間なんていない。外で元気そうにしている休職中の人を見て、「ふざけるな」と思う人は多いのだろうが、じゃあ体験してみてくれよと思う。必死で生きようとしてようやく外に出られたのかもしれないし、絶えず不安と闘う恐怖は病気になってみないとわからない。


遅かれ早かれ、こうなっていただろうなと察せられるぐらいには、社会生活が向いていない。二度とこうなりたくない。だからこころの病気になる前に逃げることは、悪いことじゃないと声を大にして言いたい。


休職すればよいじゃんと思うかもしれない。ただ、一旦病気になるとなかなか治らないだろう。鬱より軽度の適応障害でさえ、鬱になる危険をはらんでいる。仕事を辞めたところで、働かなければならない現実は変わらないが、だからこそ休むことが必要なのだと思う。


無理やりにでも働かなければなんて、思わないようにしよう。今の不調が身体のサインだ。朝起きるのが怖いなんて、吸血鬼みたいだなと思う。自分は平気だと思っていたけれど、案外平気じゃなかったみたいだ。


それでも、書くことで楽になるならいくらでも書きたい。ここがあってよかったと思わずにはいられない。


心が疲れている人、社会に迎合できなくて悩んでいる人、誰しもが悩みを抱えている。頑張ってそこから離れるか、離れられなければそのことを考えないようにするしかない。どうしても無理なら、寝るしかないなと思う(笑)寝てる時間は脳も休んでいる。生きづらければ目をつむる。眠れなかったら薬を飲む。


そうやって、日々をやり過ごす。もう少し、少しずつ、責任や社会への不安をなくしていこう。今これを読んでいるあなたも、私も、きっと大丈夫だから。

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