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シンデレラ・ストーリーに憧れるのは。


『シンデレラ』とは、世界中で愛されている物語である。
両親を亡くし継母たちにいびられながらも、魔法の馬車で王子に出会い、最後には愛されるという理想的な寓話。

つまりシンデレラ・ストーリーとは、シンデレラのように不幸な境遇の者が愛し愛されて幸せになる類の物語全般を指している。
不幸だった者が強く生きて、困難や障壁を乗り越え幸せを掴むという物語の構図は、『王道』として世間に浸透しているように見える。

シンデレラはよくできた物語だ。特に王子と出会っても、魔法が解けるから逃げねばならず、ガラスの靴を片方だけ落とすという演出が、シンデレラをただ王子を追う存在でなく王子が追う存在にすることで、よりロマンチックにしている、と思う。

ただ、それと同時に虚しくも思う。やはり世界的に不幸な少女が救われるのは『愛』だと思われているのかと。
そういう愛に救われている人間が大勢いるとは分かってはいても、それに救われない人間は物語の主人公になれないのかと。


しかし、そういう昔からの価値観が揺らぎ、恋愛をしない生き方を肯定するような物語も少なからず現れ始めている。仕事に生きる女性、恋愛をしない男女、恋愛が関わらない物語、そしてセクシャルマイノリティーを扱った作品もかなり目立ち始めている。

こういう記事を前にも書いたが、過去に書いたものは私含め記憶が薄くなっていくと思う。
恋愛をすることが主流の社会で、理解できない孤独を抱えている人は私以外にもいることは知っているので、そういう人に『恋愛が全てではない』と定期的に伝えられたら良いと思う。

私は発達障害者でありセクシャルマイノリティーであり、障害者雇用で雇われている事務員でもある。自分が明らかにマイノリティー側に寄っているから、万人受けの文章は書けないし、そういうものを書くのは私の仕事ではないとさえ思う。


恋愛に救われる男女の物語は需要があるし、恋愛メインの漫画や小説、映画も既に数多くある。
実際、世間一般では恋愛をしている人がほとんどなのだから、当たり前かもしれない。だからこそ、恋愛をしない人は誰にも言えないこともある。
私も実家の家族は詳しく話さずとも勘づいているだろうが、他人にはあまり話せない。あとはネットでセクシャルマイノリティーだと自認している人たちと話すぐらいだ。

ネット上には、恋愛をしない人は山ほどいる。探せばいくらでも。
だからわざわざ長い文章を読まなくとも、孤独を感じる人は減っているだろう。

それでも私が書くのは、エゴでしかないとは思う。ただ、恋愛を当たり前にする人にも、辛い恋愛で傷ついた人にも、それが全てではないと伝われば嬉しいと思っている。

そういう人にも届く可能性が高いのは、この場所だけだ。
SNSでは鍵をかけているしセクシャルマイノリティーの人としか繋がっていないので、私がメガホンを持って演説でもするかのように大声を上げているのは、ここだけ。

多くの人にはノイズかもしれないが、それが全てだと思うほど執着しているのであれば、世界を広く見るきっかけにはなるかもしれない。
もっといろいろな価値観に触れれば触れるほど、自分の芯はブレるかもしれないが心が楽になることもある。

もっと知りたい。
その欲求が、物語でない現実世界に、心をつなぎとめてくれるだろう。

アロマンティック
……他者に恋愛感情を抱かない人
アセクシャル
……他者に性的欲求を抱かない人



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