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天秤(日本/東京)no.19

世の中には、成功者と呼ばれる人たちがいる。その成功者と類される人たちもきっとそれそうの努力をしていて、時に運も持ち合わせているだろうが、運を引き寄せるだけのエネルギーを持ち、成功に見える部分は結果の一番輝かしいところ、なのだと思う。

そんな人たちに憧れて、私も僕もという夢や希望、思いや憧れを持った人たちが世の中にはたくさんいて、はっきりと言い切る勇気がないだけで私も間違いなく憧れを抱き、もしかしたら私も、なんていう淡い期待をしている1人だ。

大都会のビルの合間にある夜の公園で出会った1人の女性が、「旅に出たいんだけど」だけど、に続く憧れと行動が伴わない理由が彼女にはあった。この芝生の上で私たちの共通点は、住んでいる場所でも仕事でもなく「旅に出たい」という今すぐしたいことを片方の天秤にかけた時、もう片方にかかる錘(おもり)がとてつもなく重いものだということだった。それは家族の存在、これが暗くてあまり顔も見えないようなところで見つけた私たちの共通点で、この天秤の苦しみが分かち合えて、いわゆる成功者の語る全てよりもこの場での共感は仲間を見つけられたようで、身を乗り出すように「共感」を共有した。

「美容師はもう辞めることを決めた」彼女はそう言った。30歳を過ぎ、ずっと美容師という技術職で食べてきた彼女は「もうワクワクしなくなってしまった」と、お客さんとの交流は楽しいものの仕事に対しての熱意が下がってしまったと言い、辞めることは決意したのだという。仕事を辞める時にかける天秤はというと、「仕事」と「自分の人生」である。この天秤は「自分の人生」に傾くことで、安定した収入がなくなるかもしれないという不安を抱えつつもその代償が降りかかるのは自分であり、自己完結してしまう天秤である。

では、仕事を辞めてまでしたいことが「旅に出ること」そこまではわかっているのにじゃぁなぜ旅に出ないのか。旅に出るということを想像した時に、金銭面から長期間留守にすることを前提で話を進めるが、長期間留守にした時に「家族」の存在がもう片方の天秤にかかってくる彼女と私にとって、この時間の存在が重たいこと。彼女の場合は家族の体調が芳しくなく離れることが心配だという。家族のことを心配して、自分のやりたいことを諦めることは紛れもなく自分で選ぶ選択の一つだし、素晴らしいことだと思う。のちに旅に出なかったことを後悔する未来も容易に想像できるのだが、旅に出たが故に、家族に対しての後悔をすることがとても怖いのだ。旅に出ること、家族を選ぶことのどちらを選択するも自分、どちらを選択しても選んだことに対して後悔はしなくても、選ばなかったことの方への後悔はするのだ。

きっとどちらを選んでも悪者とか、裏切り者、勇気がない、逃げた、なんてことにはならない。そうやって追い込むのは自分である。夢や憧れを諦めよう、そう考えられるだけの大切な家族が近くにいて、生きていることが幸せだと変換もできる。家族と永遠に一緒にいられる訳ではないし、だから一緒にいられる時間を大切にしたい。でも、一緒にいられなくなった時にやっぱり後悔するのはもう片方の天秤にかけたものなのか。なぜあの時旅に出なかったのだろう、家族に少しの間無理をさせてでも自分のために動けばよかった、きっとそう思ってしまうのだろう。なぜ、家族も自分の人生も両方が大切なのに「どちらか」を選ばなければならないのか。幸せなようで残酷な無限ループの完成だ。

「私は悩んでいます」そういって、旅に出たいけど出るのを躊躇う理由を聞かせてくれて、仕事をやめる決断の潔さも持ち合わせている。ここまで同じルートを辿り、同じところで悩んでいた。こうやってぐるぐる考えていることを口に出しても「行けばいいじゃん」という、ストレートな後押しは嬉しい反面、行けるなら行ってるよ!なんていう私の心の叫びがまま人間という形で現れたような、彼女の存在だった。本当に、行けるなら行っているのだ。

今宵、たくさん話をしてぐるぐると考えがループしている中できっと、答えは出ていない。私もそうだ。私の人生の選択に対して家族は応援してくれるだろうが、結局は私が一緒にいたいと思っているのだ。とても偉そうな言い回しにしかならないが、彼女がこれからどんな選択をするのかとても楽しみだ。家族との時間、看病を選ぶことももちろん素晴らしい。何か踏ん切りをつけて旅を出ることを選ぶのならば、ずっと旅に出たかった1人の女性の旅路に興味しかない。それとも、金銭面の打開策を見つけて、単発で日本を拠点にたくさんの国を回ることもあるのかもしれない。どうであれ、仕事を辞める、ここに対しての決意は揺るぎがなさそうだったから、彼女の人生の一つの節目にかかるこれからを、応援せずにはいられない。

そして、多くの成功者に聞いてほしい。ストレートな「とにかく行ってみなよ」の言葉は嬉しくて勇気が芽生えて心が震える。行けるかも、と気持ちがたかぶるのだ。しかしそれと同時に、この一瞬の胸の高鳴りのままに動けた人たちだけが成功を掴めるのか、もし動けずに現状維持を選んだ時その程度なのか、と思われたくない、と口角だけが上がった状態で、焦点が合わなくなってくる。行く、行かないは間違いなく自分たちの選択であることは十二分に理解している。でももし時間があるようならば「行きたいけど行けない」、成功者には言い訳にしか聞こえないかもしれないが、永遠に繰り返してしまうような悩みを、旅に出たいけど出ていないもう片方の錘の話をどうか、聞いて欲しい。凡人の思考回路も、もしかすると何かのネタになるかもしれない。そして我々凡人も、無限に続く気がしていたループを何周かした時に抜け出せるかもしれないし、もしくは悩みきったのだという潔い諦めにも繋げられると思うからだ。

とは言え、「どちらか」を選ぶのではなくて私たちは3つ目を作ることが出来るかもしれない。悩んだからこそ開かれる道を、天秤じゃない考えや手段を見つけられるのはきっと私たち自身だ。妥協は禁物、貪欲に生きていこう。一気に世界一周することだけが、旅の完成形ではないのだから。真面目に生きてきた故に失われたわがままになることだとか、どこかデタラメな適当さとかが欠けているだけなのかもしれない。旅に出ていない私たちの旅は、これからはじまる事しかないのだと思うと、悩んでいるこの今が過去になる日が楽しみ、にも思えてくる。



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