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掌編「天然工房」

 二十数年も生きてきたら、くさくさもするんだ―

 私は最近ちょっとしたことでも腹が立った。店員の笑顔が曖昧なだけで馬鹿にされていると思い込むし、デスクの端からボールペンが転げ落ちると「もうっ!」と怒鳴る。ボックスティッシュを取ろうとして端がビリっと破けるだけでも舌打ちしたくなる。

 そんな話を友人のママにすると、「天然工房」を勧められた。ママ曰く、あなたみたいな子がみんな行けば、世の中は平和を取り戻すという。私は話半分に聞いていたけれど、帰りがけにママが店の名前と地図を描いた紙をくれた。そして、「私も行ったから、安心して行っておいで」と微笑んだ。その微笑みに絆された訳じゃないけれど、私は何となく興味を覚えて、週末に訪ねてみる事にした。

 そこは広大な牧場で、青草が茂り、羊や牛がたくさんいた。その牧場の片隅に、ぽつんとロッジのような建物があった。入り口に「天然工房」という看板が出ているので間違いないと思い、意を決して中へ入る。

「いらっしゃいませ」

 入った途端綿菓子みたいな甘い香りが鼻腔を擽った。店に居たのはベージュ色のエプロンをつけた女性で、同年代にも見えるし、上にも下にも見えた。まるでさっきまで羊の毛を刈っていたような恰好をしている。ただし手に持っているのはバリカンではなかった。透明な瓶だった。女性は私にテーブルを勧めてくれた。私は躊躇いながらも木製のテーブルへ近付き、傍にある丸太みたいな椅子に腰かけた。

「あの、人から聞いて来たんです」

「はい、ありがとうございます」

「えーと」

 私は何を説明すればいいのかと戸惑ってしまった。しかし女性は大丈夫ですよ、と言って、店のカウンターの後ろの、ずらりと並んだ棚から一つの瓶を手に取った。さっき持っていたものとは違うもの。コルクの蓋に、透明の瓶。中には綿菓子にしか見えない白いふわふわしたものが入っている。一つの瓶に、一個だけ入っていた。

「今のあなたへの、一番のおすすめがこれです」

 そう言って瓶を差し出されるが、一体これは何だろうと思う。受け取っても大丈夫かしら。

「あの、これはなんですか?」

「天然です」

「え?」

「このふわふわしたのが天然そのものです。これを毎朝ちぎって食べてみて下さい。甘くて美味しいですよ」

「食べ物なんですか?羊は関係ないですか?外にたくさんいましたけど」

「あれは飼っているんです。可愛いでしょう」

「そうなんですか。それで、食べたらどうなるんでしょうか」

「人によりますけど、欠けたり足りなくなったものが蘇って来ます。その代わりに、お風呂に入ったりすると、段々要らない物が流れていきますよ」

 私はへえーと言いながら、恐る恐る瓶を受け取った。何処か曖昧な説明だけれど、何となくイメージは出来た。そんな都合のいい物聞いたことも無いけれど、ママも来たと言っていたのだし、危ないものじゃないのだろう。駄目で元々と思って、試してみようと思う。そして不図、瓶の違いが気になった私は、女性に棚を指差してそれを質問した。女性は棚を振り仰いで、にこりと笑った。

「天然成分は人によって違うので、味や色が微妙に違うのです。どれをお渡しするべきかは、あなたの香りに反応している天然を見つけるだけですから簡単なんですよ」

 私はまたへえーと言っていた。なんだか、まだ瓶の綿菓子みたいなのを食べていないのに、心が柔らかくなってきたような気がした。そういえばいつの間にかにこにこしている。懐かしい感じがする。

「あなたに天然が戻れば、周りの皆さんにも少しずつ浸透していくでしょうから、どうぞ最後まで召し上がって下さいね」

 私は満面の笑みで「はい」と頷いた。そして、ママのスナックが潰れる寸前で盛り返した理由をようやく知る事となった。

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